第5話「そこは謝るところじゃないですよ」
「いえ、仮眠ならとってます。大丈夫ですよ」
「それって休んだうちに入ります?」
「入ります。大丈夫です。それに夜は滝先輩たちが起きていてくれるそうです。ですから夜間はしっかり寝ます。皆でそう決めました。もちろん、よつきさんもですからね?」
火を止めてまた小鍋の中をかき混ぜつつ、彼女は用意した言葉を口にする。
皆が皆細切れの休息しかとっていないのは大問題だ。サホたちとも話し合った結果、今夜はできる限り皆で休もうという結論に至った。一旦しっかり休息をとることがまず肝要だろう。
「釘を刺されてしまいましたね。いや、でもずっと寝ていたので……」
反論の言葉はなかった。それでもテーブルの方から、もごもごと何か言いたげな気配が漂ってくる。しかしこれも予想範囲内だと、ジュリはあえて無視をした。
寝るだけで回復するのならば話は早いのだから、そこを躊躇う理由はない。治療室で眠っている者たちとは違う。
あれこれ考えたくなるのを放棄し、彼女はひたすら手を動かした。シチューを皿によそっていると、優しい香りが鼻腔をくすぐる。つい頬が緩んだ。
妹やサホたちと準備したものだから、どうしたって馴染みの味になる。匂いもそうだ。昔もよくこうやって作ったなと思い出すと、懐かしい心地がした。
切り分けたパンをバスケットに手早く乗せ、トレイを持った彼女はそのままテーブルへと向かった。疲れた顔をしたよつきは、ぼんやり外を眺めていた。小さな窓からは白い大地と空くらいしか見えないが、雪は降っていないようだった。
「できましたよ」
「ああ、ありがとうございます」
「食べたら一度中央制御室に行きましょう。私も皆さんの状況を確認したいので」
トレイをテーブルの上に乗せれば、彼は少しばかり身を縮めた。ようやく目が覚めてきたのだろうか。彼女は浮かび上がった言葉の幾つかを飲み込み、向かいの席に腰掛ける。
考えることを止めると、手を動かすのを止めると、疲労と不安が頭をもたげてくる。胸の奥に押し込めていたもやもやとした感情が、すぐに顔を出そうとする。
故に気を探ることもしばらくは止めていた。神経を研ぎ澄ませた途端にレーナの強く鮮烈な気に当てられ、全て塗り潰されてしまう。それは隠そうとしていた負の感情を、あっという間に増幅させる。
誰だってとにかく不安で、周りに当たり散らしたいくらいだろう。そうするのをどうにか我慢しているだけだ。破る者が現れれば、決壊してしまうに違いなかった。
「滝先輩たちはもう起きているんですか?」
シチューを口へと運びつつ、よつきはそう尋ねてきた。あっという間にパンも一切れ消えていく。寝起きで食べられるのかと密かに心配していたのだが、取り越し苦労だったようだ。ジュリは後ろで結わえていた髪を解きつつ、小さく頷く。
「はい、今は中央制御室で情報収集中ですよ」
彼女がそう答えた時だった。明らかにそれまでとは違う気が、基地の近くに現れた。この気には覚えがある。――ミケルダだ。
「ミケルダさん?」
スプーンを動かす手を止め、よつきが顔をしかめる。彼女は髪を耳へとかけながら、首を捻った。上の者がやってくると大体よくない話が持ち込まれる。今回は何だろうか?
「急にどうしたんでしょうね」
それでも今は食事優先とばかりに、よつきは再びパンへ手を伸ばした。ミケルダなら基地の中のこともわかっているから、迷うこともない。案内は不要だ。それに向かう先はおそらく中央制御室だろう。いきなり食堂に来ることはまずない。
「妙な話じゃなきゃいいんですけどね」
頬に手を当てた彼女は、ついそうこぼした。弱気な発言は避けたかったのだが、全てを押し込めるのは無理だった。
ふと脳裏をよぎったのは、技使いたちへの疑念の件だ。あの日、イダーで何が起きていたのか。一般人にも怪我人が出ていたが、その後宮殿はどのように収めたのか? やり方を間違えると不満が噴出するだけになる。
そのままミケルダの気の行方を見守っていると、案の定、中央制御室へと向かっていった。彼女はゆるゆると息を吐く。あとは些細な話であることを祈るばかりだ。
そう思って顔を上げた途端、よつきがこちらを凝視していることに気がついた。彼女は頭を傾ける。
「どうかしました?」
「ジュリもやっぱり疲れていますね。気が揺らいでいますよ」
そう率直に指摘され、彼女は瞳を瞬かせた。感情が気に反映してしまうのは仕方ないにせよ、揺らぐというのは通常はない現象だ。おそらく引っ張られているのだろう。
「すみませんね」
何を言おうかと逡巡し、それでも結局選んだのは簡素な謝罪だった。心配をかけたいわけではない。全員が揺らいでいてはどうしようもない。体が元気な者だけでも、心をしっかり保たなければ。
すると彼はパンを口に放り込み、複雑そうに顔をしかめる。
「そこは謝るところじゃないですよ。まあ、皆満身創痍ってことでしょう。色々な意味で」
パンを咀嚼してから、彼はどこか言いづらそうに視線を逸らした。
――色々な意味で。そうか。怪我をしていてもしていなくても、誰もがぼろぼろということか。彼女は瞳をすがめる。
療養中の仲間たちのことが、いつも頭の隅に引っ掛かっていた。だが問題なのはそれだけではない。
一般人に疑われていたことも、魔族が潜んでいたということも、全てが全て皆の心に響いているのだろう。命を張っているのに理解されないというのは、思っていたよりも応える。心身共に疲れ切っているというのが、きっと本当のところだ。
「そうですかね」
ぽつりと独りごちるような声が食堂の空気を揺らす。そう考えると、長らく身を削りながら、疑われながら神技隊を守ろうとしてくれていたレーナは、どんな思いを抱いていたのだろう。誰も信じてくれないどころか命まで狙われて……。
それなのに魔獣弾たちが現れれば必ず助けに来てくれたことを、本当はもっと感謝すべきだったのかもしれない。この基地ができた時、信じ切れないながらもやってきた彼女たちを、アースが不機嫌そうに見てきた理由もようやく理解できた気がする。
それからしばらく沈黙が続いた。よつきが手にするスプーンの音だけが、かろうじて静寂に音を与えていた。口を開けば愚痴か弱気な発言がこぼれ落ちてしまいそうで、当たり障りのない話をする気力も沸かなかった。
訪いがあったのは、それからしばらくもしないうちだった。
サホの気が食堂の傍まで来ていることに気づいたジュリは、慌てて顔を上げる。こんなに近くまで来てようやく気づくとは、ずいぶんぼんやりしていたらしい。
「ジュリさん、よつき先輩」
食堂の扉が開くと、すぐにサホが顔を出した。ふわふわとした銀の髪を揺らして近寄ってきた少女を、ジュリは立ち上がって迎える。
「サホさん、どうかしましたか?」
「先ほどミケルダさんがやってきまして。少し話があるようなんですが、できればもう少し人が集まってからにしたいみたいなんです。来られそうですか?」
サホは遠慮がちにそう告げる。やはりミケルダ絡みのことだったか。ジュリは相槌を打ちつつ、横目でよつきの方を見遣った。ジュリがぼうっとしているうちに、いつの間にかほとんど食事は終わっていた。頷いたよつきもすぐに立ち上がる。
「わかりました。片付けは後にして行きましょう」
「助かります」
食器はそのままにして、三人はすぐに中央制御室へと向かった。食堂を出て、そのまま廊下を真っ直ぐ進むだけで辿り着くというのはありがたい。特に今日のように重い会話を避けたい時には。
気の抜けた音を立てて大きな扉が開くと、モニター前にいたレンカが振り返った。その傍の椅子には滝もいる。まとまった睡眠がとれたおかげか、想像していたよりは覇気のある面持ちをしていた。ジュリはひっそり胸を撫で下ろす。
「よつきたちも来てくれたのか。食事の途中で悪いな」
「いえ、ちょうど食べ終わったところでしたから」
柔らかな微笑と共に滝が立ち上がると、よつきは首を横に振った。ゆっくり前へ進み出ながら、ジュリは素早く視線を走らせる。
中央制御室にいるのは滝、レンカ、ダン、そしてミケルダだけだった。ゲットの面々は、別の神技隊に呼びに行っているのだろうか?
「ちょうどシンたちは大浴場らしくてな。まあ、それは仕方ないだろう」
肩をすくめた滝はそう付言する。言われてみれば、リンの気も大浴場の方にあった。梅花も一緒ということは、それくらいの元気は戻ってきたのだろう。ゆっくり湯に浸かるというのも回復方法の一つだというのは、無世界で学んだ。
「そっか。じゃあこんなところ? もう少し来るかな? わかんないなら、まず先に別の件を確認しておこうかな。今動けそうな神技隊って誰が残ってるの?」
そこで振り返ったミケルダが、首の後ろを掻きつつ問いかけてきた。大事な話には違いないが、直視したくない現実の一端を引きずり出すような質問だ。垂れた瞳が細められる様は見慣れたものなのに、その奥に鋭い光が見えるような気がする。
ジュリは思わずよつきと顔を見合わせた。
「えーっと、フライング先輩ではゲイニ先輩、ミンヤ先輩、ヒメワ先輩の三人ですね。私たちストロングやスピリットは全員無事です」
躊躇う者たちよりも早く、端的に答えたのはレンカだった。いつの間にか手にしていた紙を見下ろしながら、顔をしかめている。
「シークレットは、とりあえずは梅花をのぞいた四人」
レンカはそこで少し言葉を途切れさせる。梅花を戦える者として数えてよいか判断が微妙だからだろう。万全ではないのは間違いないが、それでも何かあれば出てきてしまう可能性が高い。
「わたくしたちピークスは全員大丈夫です」
続けてよつきが口を開く。そう、幸いなことに、ジュリたちは全員無事だった。軽い怪我を負った者はいるが、ジュリの治癒の技ですぐに治る程度だ。足りないのは十分な休息だけとも言える。
「そうね。ゲットはアキセ、すい、ときつ、サホの四人。ということで合計二十六人です、ミケルダさん。ただこれは……起きて活動できている、という意味ですので。どれだけ戦えるかというのは、正直かなり疑問です」
首を横に振ったレンカは、そう付け加えた。その指摘は、ジュリの心をも抉った。ミケルダの表情もにわかに曇る。
もし次に五腹心が攻めてきたら。おそらく、死者が出るだろう。五腹心イーストが現れたナイダ山での戦闘でもぎりぎりだった。そこから人数を減らしているのに、一般人の行動まで気にかけるとなると、楽観視できる要素など何一つない。
皆が回復する時間が稼げたらいい。しかし戦力を整える前に五腹心が動いたらどうなるのか? 考えたくもない未来が脳裏をよぎるのを、止められる者がいるだろうか。
何よりレーナが倒れたままというのが痛かった。神技隊だけでは、五腹心たちに対する知識も乏しい。
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