第4話「適切な時って、いつだろうな」

 中央制御室に戻ったシンを待ち受けていたのは、異様な光景だった。昼食の片付けをすませている間に何があったのか? 部屋の隅にいる青葉へと一瞥をくれつつ、シンは視線でリンへと問いかける。

「たった今よ。突然入ってきたと思ったら……」

 モニターの前で困惑顔をしていたリンは、助けを請うようにそう告げてきた。頷いたシンは、まずリンの方へと向かう。しかし彼女は首を横に振るばかりだ。

 青葉は珍しくも気を隠していた。だからこんなところにいるのにも、シンは気づかなかった。傍目にもわかるくらいに力ない背中をしている。

 これは放っておいてよい状態ではない。そう、シンの経験が告げている。ため息を堪えたシンは、仕方なくゆっくり青葉へと近づいていった。

「青葉、何かあったのか?」

 幾つかの可能性を脳裏に描きつつ、シンは問うた。敵襲の気配はまだないし、レーナの気が不安定なのも相変わらず。滝が目覚めたという報告もない。何か起こりそうにもないのだがと訝しみつつも、シンは怖々と青葉の様子をうかがう。

 即座の返事はなかった。気が感じられれば少しは予測がつくのにと考えたところで、だから隠しているのかと察する。自分の気が濁っている自覚があるのだろう。

「シンにい」

 おずおずとこちらを見た青葉は、どんよりした目をしていた。シンは気圧されつつも相槌を打つ。

「おう」

「オレ、やっちゃったんだよね」

「何を?」

「告白」

 いつもよりもさらに低く曇った声で告げられた内容を、すぐにシンは咀嚼できなかった。今にもその場に座り込みそうな青葉のうなだれようと、告白という単語が脳内で結びつかなかった。

 しばし考え込んだシンは、それから突如頭を殴られたような衝撃を受ける。

「え? いや青葉。まさか――」

「そのまさか」

「まさか? 本当に? この状況で?」

「そう、この状況で」

 馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。会話が聞こえているはずのリンが何も言ってこないのは、おそらくまだぴんときていないからだろう。

 シンは頬が引き攣るのを自覚しつつ、何をどう表現すればよいのか当惑して視線を彷徨わせる。

「何故、また、そんな……」

「何というか、流れで。というか、切羽詰まって……何故か」

「そうか」

 相槌を打ったシンは、そこで思考が回っていなかったことを自覚する。よく考えればすぐにわかることだ。青葉が梅花の部屋を離れているという事実。後悔しているらしいという様子。そこに来ての告白。すぐに何が起きたのか想像できて当然だ。

 つまりシンもかなり疲れている。

「え、青葉、梅花に告白したの!?」

 そこでようやく現状を理解したらしいリンが声を上げた。察しの良い彼女ならもっと早く気づいているはずだから、彼女もかなり疲弊しているのだろう。皆が皆、余裕がない。普段ならできていることすらままならない。

 シンは先ほど生じた衝動を思い返し、ひやりとしたものを覚えた。なるほど、あの感覚を思い出せば、青葉がそうしたのもわからないわけではない。要するにそれだけ誰もがじわじわと追い詰められているということだ。

「え、ちょっと待って。それってまずいでしょ」

「何がだ?」

「だって梅花、今は一人ってことでしょ?」

 よろけそうになりながら近寄ってきたリンは、口を何度も開閉させながら顔を青ざめさせた。彼女が何を懸念しているのか飲み込めずに、シンは首を捻る。

「そうだ。水を持って行くって言い残してきたんでした」

 我に返った様子の青葉が、ますます申し訳なさそうに背を丸めた。自分の言葉すら頭から抜けているというのは相当だ。しかしリンはそういう話ではないと言わんげに、首を大きく横に振る。

「うん、水も大事だけど。目が覚めたばかりのあの子を、いきなり大混乱させるようなことして放置とかまずいわよ。今レーナはあの状態なのよ? 変な風に相乗効果になったらどうするのよっ」

 頭を押さえてため息を吐いたリンに、シンはそれもそうかと相槌を打つ。青葉と同じくらい、きっと梅花も動転していることだろう。するとリンは何かを決意したように顔を上げた。「よし」と小さく頷いた彼女は、ちらと青葉へ一瞥をくれる。

「わかった。私が梅花の様子を見てくるわ。まず水を持って行って、それから何か少しでも口に入れてもらう。だから心配しないで。何かあれば報告に来るから。それでシンは、青葉とこっちの方をよろしく」

 ついでリンはシンの方へと視線を寄越した。腹を決めた時の眼差しだった。役割を得た彼女は強い。

 彼女はすぐさま身を翻そうとし、その直前で何か思いとどまってまたこちらを振り返った。その気に滲んだ感情の複雑さは、彼女としては珍しいものだった。彼女はどこか言いづらそうに眉尻を下げ、口を開く。

「切羽詰まると駄目よね。でも青葉が狼狽えていても仕方ないわ。別に、間違ったことをしたわけでもないんだし」

 何か言い含んだような、それでいてじんわりと染みる声だった。

 それが事態をこれ以上悪化させないための配慮なのか、本心なのかは、シンには判別ができない。どうしたって自分のことが頭をもたげて、冷静な判断の邪魔をした。ただ彼女が、青葉も労るべき存在だと認識したことだけは確かだ。

「とにかく今はこっちは任せて」

 少しだけ微笑んだ彼女は、そのまま中央制御室の扉へと向かった。慌てたせいか、甲高い靴音が室内に響く。小さくなっていく背中をシンは黙って見送った。こういう時の切り替えの早さはさすがだ。

 扉の閉まる気の抜けたような音を聞きながら、シンはもう一度横目で青葉を見た。依然として気は感じられないが、それでも自己嫌悪していることは間違いなさそうだった。実に面倒くさい。

 滝がここにいたら適当な言葉で一蹴してくれるだろうか。いや、本格的にまずいと判断されれば、慰めに入るだろうか。シンは肩をすくめる。

「まあ、リンが行ったなら、大丈夫だろ」

 今のシンにはそう口にすることしかできなかった。実際に梅花がどのような様子なのか、想像しようとしても無理だ。長らく傍にいた仲間から告白された少女がどんな顔をするのかというのは、知りたいようで知りたくない。

「シンにいのその信頼感、すごいですね」

「……ん?」

 青葉の反応を待っていると、予想外な方向の苦笑が返ってきた。力ないのに、それでいてどこか呆れたような声音が、ここで放たれるのは心外だ。シンは体はそのままに視線だけ向ける。

 ぐったりと背を壁に預けた青葉は、何か言いたげに口をもごもごさせていた。

「どういう意味だよそれ」

「そのまんまっすよ。……シンにいも間違えないうちに、ちゃんと伝えた方がいいと思う」

 何か考え込んだ青葉は、ゆっくりとこちらを見た。至極真剣な眼差しで、それでいて痛いところを突かれて、シンは絶句する。

 確かに、いつ何が膨れ上がって破裂するか予測がつかない。取り返しがつかないと思ってしまう前に、適切な時を選べということだろうか。追い詰められた結果、勢いだけで口にするというのが、正解だとは思えない。

「……そもそも、適切な時って、いつだろうな」

 だがよく考えれば、そもそも正しい時というのがよくわからなかった。間違えてはならないとは思うが、果たして解は存在するのか。

 そこまで思考したところでシンは肩を落とした。せいぜい、命の危険に晒されている時ではないというのがわかる程度だ。これだけ各方面から追い込まれてしまうと、もはやあらゆる判断を放棄したくなる。

「そんなのわかんないっすよ。でもまあ、後回しにしてもよいことはないと思う」

 何もかもがままならないのは、一体いつからだろうか。全てが嫌になり、シンはモニター越しの空を見上げた。考えるのを止めたいのに、それでも青葉の苦々しい声が耳に残る。きっと本心からの助言だからだろう。そこに揶揄するような響きはない。

 どうやら青葉は心底悔いているらしかった。それはつまり、もっと早く言うべきだったという後悔なのか?

 たとえばレーナが倒れる前に。仲間たちが倒れる前に。人々が技使いに不信感を抱く前に。

 いや、本当はさらに前でもよかったのかもしれない。もっとずっと平和で、神技隊としての仕事をしていたあの頃に。余計なことを気にせずにすんでいた頃に、言えていたら。

「そうかもな……」

 無世界にいた頃は、あのような日々が続くものだと思い込んでいた。だからその平穏を壊すような一歩を踏み出すのに、躊躇していた。それがまさかこんなことになるとは予想もしなかった。

 つまりこれからだって、想像もしなかった事態が生じる可能性がある。そう覚悟した方がよいということなのか?

 その発想は、ますますシンの心に重石を乗せる。これ以上の困難な道など、見たくもない。考えたくもない。

「当たり前なんてないって、わかってたはずなのにな」

 それでもそう口にせずにはいられなかった。――人はどうして繰り返してしまうのだろう。

 シンは一つ息を吐き、足下を見下ろす。白い艶やかな床に映るぼんやりとした姿が、いつも以上に歪んで見えた。自分も気を隠した方がよいだろうかと思うくらい、弱気な考えしか浮かばなかった。




「よつきさん、おはようございます。夕方、滝先輩が人を集めるって言ってましたよ」

 布巾を持って厨房を出たジュリは、入り口に現れた顔を見てすぐにそう声をかけた。まだ微睡みから目覚めきっていないらしく、よつきは眠たげな顔をしている。

 それも仕方ないだろう。彼もまともな休息は取れていない。眠ったといっても、決してまとまった時間ではなかった。

「ああ、ジュリ。おはようございます。すみません、寝過ごしましたね」

「いえ、大丈夫です。ゲットの皆さんが中央制御室に待機してくれているので、心配いりませんよ」

 扉の閉まる音がする。微笑んだ彼女がそう告げれば、彼は一瞬だけ嫌そうに顔をしかめた。おそらくアキセの姿が脳裏をよぎったのだろう。しかしさすがにこの事態では悪態を吐く気にはならないらしい。寝癖の残る金の髪を掻きつつ、のんびり近づいてくる。

「ところで――」

「食べるものなら今温めてますからもうちょっと待ってください」

「……すごいですね。よくわかりましたね」

 彼女が厨房へと一瞥をくれれば、よつきは素直に喫驚を顔に表した。

 食堂に顔を出す人間の目的など決まりきっているのだが、そういう発想にならないのはまだ頭が回っていないせいだろうか。思わず彼女は苦笑をこぼす。括っていた髪が揺れて、首の後ろをくすぐった。

「すぐわかりますよ」

「でもわたくしがいつ起きるかはわかりませんよね?」

「それはそうですけど。でも、定期的に誰かが起きてやってくるので。そろそろ次の準備をしておこうと思っていたところなんです」

 そう説明しつつ、彼女は再び厨房へと向かった。食事の用意といっても大したものではない。切ったパンは既に準備されているから、余ったシチューを温めるだけだ。そろそろいい案配だろう。厨房の中に戻ればよい香りが漂ってくる。焦げた臭いはしない。

「もしかしてジュリ、休んでいないんですか?」

 テーブルについたらしい彼が、困惑気味な声を漏らすのが聞こえた。厨房の奥でシチュー皿を手に取った彼女は、鍋の方へと目を向ける。

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