第七章 窮鼠の告白
第1話「そうするより他ないのであれば」
「リシヤ様。現状を報告致します」
白い回廊に一人の青年が跪いた。目映い床に彼の長い髪が映り込み、揺らめく真珠色に緑の輝きが加えられる。
彼の後ろにはさらに数人、アルティードにも覚えのある顔ぶれが控えていた。揃いの白い装束には泥や血を拭った跡が見られ、戦闘の壮絶さを物語っている。
そんな彼らを遠くから眺め、アルティードは唇を引き結んだ。仲間たちが一人、また一人倒れたがために、こうした集まりに出る者も減っている。報告者の顔が確認できる距離から見守ることになるほど、かつてはつゆほども考えていなかった。
「五腹心は残り二人。イーストとレシガのみですね。直属も確実に数を減らしています。ブラストの封印に成功したおかげで、負傷したオルフェも撤退しました」
伝えられる内容とは裏腹に、報告者の声は沈鬱だった。気にも疲れ切った色が滲み出ている。誰もが満身創痍なのだから詮のないことだろうか。余裕を残している者などほとんどいない。
「そうですか」
青年が顔を上げた先にいるのは、転生神リシヤだ。この場で安定した気を放っているのは彼女だけだった。まるで満天の星空を模したかのようなベールを被っているため、その相貌はアルティードからはうかがえない。
転生神リシヤがいつからあのベールを纏うようになったのか、定かではなかった。封印の力で消耗する彼女のために、転生神アユリが生み出した物だという。
何故そのような物が生み出せるのかは杳として知れないが、大概は「転生神アユリだから」ですまされてしまう。
もはや転生神なしには何もできぬことが多いのに、その事実を疑問にも思っていない者のなんと多いことか。そんな危うさを思う度に、アルティードは落ち着かない心地になった。転生神がいなくなった時のことを考えると肝が冷える。
「あともう少しですね」
すると青年とは別の声が、横手から放たれた。泰然と中庭から進み出てきたのは、黒髪を頭上で束ねた男だ。確か先日他の星より帰還した者だった。だからアルティードも名は聞いていない。知っているのは、この男が血気盛んな派閥の一人ということだけだ。
転生神ツルギと転生神レイスの消息が不明となってから、宇宙の情勢は不利となる一方だった。
しかし五腹心ラグナが封印されたのをきっかけに、一気に均衡が崩れているという報告があった。魔族の統率が乱れていると。故に今こそ畳みかけるべきだと、宇宙の者たちは口を揃えて主張していた。
「リシヤ様、今が好機です。ですからどうぞここの者たちをお貸しください。さすれば宇宙はひとまず我々の勝利となるでしょう」
「そんな無茶な。まさか鍵の守りを、我々だけでと仰るのですか!?」
かしずいていた青年が立ち上がり、微笑む黒髪の男へと噛みついた。彼の心境はアルティードにもありありと想像できた。
鍵を巡る攻防はこのところ苛烈さを増している。前回の急襲だけで、幾人も死んだ。戦力は減る一方だ。それにここにはまだ戦の経験の浅い若者たちが多い。彼らを戦場に送ればすぐに核に傷を負ってしまう。死にものぐるいの魔族というのはそれくらい危険だった。
「何を甘えたことを仰っているのですか。ここには転生神が三人もいるというのに」
「それは、そうですが」
「この星の外にはもういないのですよ?」
黒髪の男はあげつらうように鼻で笑う。途端に凍てついた棘のある空気が、回廊を満たしていった。それでも異を唱えることができず、青年は押し黙る。またこの流れになるのかと、アルティードはため息を堪えた。
転生神がいるからという理由で、無理難題を押しつけられるようになったのはいつからだろう。転生神がいれば大丈夫だと、誰もが口にするようになったのはいつからなのか。その結果がこれだ。
転生神ツルギと転生神レイスに頼り切っていた他の星では、突然その存在を失って大混乱に陥った。そして多くの同胞を失った。それが転生神アユリの、巨大結界への決意を早めることになった。
本来であればもっと綿密に計画し、時間をかけるべきだったのに。しかし急がなければならないのだといって、転生神アユリはほとんどの時間を神界の奥で過ごすことになった。
一体何が崩壊の始まりだったのか? 今となっては判然としない。いや、そもそも長らく同じ状態が続くと思い込んでいたのが間違いだったのだろう。終わりは、必ず来る。そして予想外なところから綻びは生まれる。
それは魔族側にも言えることだった。実のところ五腹心ラグナの封印に成功するとは、誰もが本気では思っていなかった。
ラグナは最も獰猛で手に負えない男だ。まずは他の五腹心を標的にすべきだという意見が大半で、そのための策を弄しているところだった。運良く彼が傷を負った上に地球に乗り込んできてくれたおかげで、最も困難と思われていた封印に成功した。それはまるで奇跡だった。
故に逆のことも考えなければならない。五腹心が残り二人になったからといって、油断はできない。
第一、残っているのは頭脳派のイーストと、求心力の強いレシガだ。簡単に倒れてくれるはずがなかった。追い詰められた彼らはあらゆる手を打ってくるだろう。
「この星の者たちは優遇されているのにも気づいていないんです。大体、この状況でイーストとレシガが一斉攻撃を仕掛けてくるとは考えにくい。彼らは慎重派です」
「本当にそうでしょうか? この状況だからこそ、思い切って仕掛けてくる可能性もあります。人数を減らした彼らには、手が限られていますから」
二人のやりとりを耳に入れつつ、アルティードは眉根を寄せた。黒髪の男の言うことも、青年の言うことも一理ある。だがこのまま大人しくやられてくれる敵ではないことは明白だ。そうであるなら、これほど苦労していない。
「――間もなくアユリの巨大結界が完成します」
突として、転生神リシヤが口を開いた。ベールはかすかに揺れることさえなかった。皆は一斉に押し黙る。その視線がリシヤの方へと、瞬く間に吸い寄せられた。
「ですがシレンは、もう満足には戦えないでしょう。先日の戦いで深手を負ったと、アユリから聞いています。ですから彼の守りは期待できません」
リシヤが告げた予想外の言葉に、ざわりと動揺が広がった。その話はアルティードも初耳だった。プレイン封印の際に負傷した転生神ヤマトが、先日倒れたばかりだというのに。まさか次は転生神シレンも失うことになるのか?
「そんな……!」
「巨大結界発動のその時が、最もアユリは無防備となるでしょう。イーストとレシガが狙うのであれば、その時に間違いありません。ですからその前に、まずどちらかを封印します。そのためには彼らを引きずり出す計略が必要です」
ベール越しに響く転生神リシヤの声は、静謐だった。そこには何ら感情が滲んでいなかった。
転生神ヤマトを失ってから、彼女はずっとこうだ。鬱ぎ込んでいるのかと懸念されていたが、それでも彼女は淡々と皆のためにこうして言葉を授けている。
アルティードは時折、その心境を思う。大切な者を失ってなお、仲間たちのために動くその胸中を想像する。
「そうですか。おびき出すのならレシガですね。彼女は案外情に弱い」
しばしの静寂の後、黒髪の男が口を開いた。やはり彼は攻め入る思考が得意らしい。
もっとも、その案にはアルティードも同意だ。先日の戦いでも、レシガは最後までブラストを救おうとしていたという。助けを求められると、彼女は最後の最後で応じる傾向がある。
「そうですか……」
「リシヤ様、ではこうするのはいかがでしょう。レシガを引きずり出す策、私にお任せください。さすればこの星が攻められる可能性もぐんと下がります。そのかわり、こちらの者たちをお借りします。よろしいですね?」
流暢にそう申し出た黒髪の男は、微笑んで頭を下げた。その言に、異を唱える者はいなかった。レシガを引きずり出すまでの間の守りが薄くなるのだが、では代替案をと言われても何も思い浮かばない。
アルティードは肩を落とした。これでまた仲間たちが命を落とすことになるだろう。戦えない者も増える。
しかしだからといって沈み込んでいても仕方がない。落ち込んでいる暇があるのなら、その間のここの守りについて再考する方が有意義だ。転生神シレンの力を頼れないとなると、検討し直すことは多い。切り札がいない状況も同然だ。
「そうするより他ないのであれば。でも、それでよいのですか?」
すると転生神リシヤは、一度確認するように青年たちへと顔を向けた。もっともアルティードからは、ベールごと頭が傾けられただけのように見えた。しかし他の者は違ったようだ。かしこまった青年は、深く頭を垂れる。
「リシヤ様がそのようにと仰るなら」
こうして誰もが転生神に責任を押しつけていく。自分たちの背中から、決断という重荷を下ろしていく。
転生神にかかる重圧を思いつつ、アルティードは静かに瞳をすがめた。視線を落とせば、煌びやかな白い床に映る姿がどこかあちこちと歪んで見えた。
がくりと首が揺れて、シンははっと目を覚ました。どうやらうたた寝していたらしい。頭の中がひどくぼんやりとしている。
慌ててモニター越しに外を見遣り、彼は安堵の息を吐いた。陽光に照らし出されているのは、雪を被った草原だ。特に危機を知らせる警報も点滅していない。何事もなかったらしい。眠っていたのは、さほど長い時間でもなかったのか。
「いや、それもそうか」
彼はゆっくり頭を振った。万が一何かあればけたたましい警報が鳴る。あれだけの音がすれば、眠りが深くなったとしてもさすがに起きるだろう。胸を撫で下ろした彼は、首を回しながら椅子から立ち上がった。
普段滝が使用している椅子を使う気にはなれなかったので、モニター前に設置されているものを利用していた。こちらの椅子の方が少しばかり小さいが、座り心地は悪くない。とはいえ、午睡に向くようなものではなかったが。
こんな椅子にまで気を使っていたのかと考えると、シンは不思議な気持ちになる。
レーナはこの基地を作っていた時、どのような心境だったのだろう。あの時はまだ、神技隊らは彼女を信用していなかった。誰もが半信半疑ながら、仕方がないとただ諦めていた。それがまさか、こんなことになるとは。
背を伸ばした彼はそろりと振り返る。そこでふと気がついた。彼が寝ていたというのに声掛けもなく、そしていまだに物音がしないというのは、リンは不在ということだろうか。どこかへ出掛けたのか?
怪訝に思って視線を巡らせると、答えがあった。小さなテーブルに突っ伏す彼女の姿が、目に飛び込んでくる。
彼は瞠目した。だが寸刻の間を置いて納得もした。それもそうだろう。仮眠を取ったとはいえ十分な時間ではない。あの戦闘の疲れを癒やすには足りない。
彼は肩を回しつつ、足音を殺して近づいた。体が凝り固まっていたのか、あちこちから不快な音が鳴り、疲労を訴えてくる。
彼女の側まで寄れば、穏やかな寝息が聞こえてきた。起こすのも憚られるが、かといって寝かせたままであることを後で知ったら怒られるだろう。どうしたものかと悩みながらも、彼は怖々と彼女の横顔を盗み見た。
白いテーブルに広がる、豊かな黒い髪。緩やかな呼吸に合わせて上下する背中。固く目を瞑る彼女の口元までは見えないが、眉間には皺が寄っている。夢の中でも何か考えているのだろうか。
どれだけ前向きに捉えようとしたところで、レーナが倒れたままという現実は重い。怪我を負った仲間たちもいる。この状況で考え込むなという方が無理だろう。幸せな夢を見るのはなかなか難しいに違いない。
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