第12話「否定はできない」

「お前たちはどうしても他の人間を庇ってしまうようだしな」

「そ、それは……」

 思わぬ指摘にシンはたじろいだ。昨日の戦いのことがつい脳裏をよぎる。

 まさか無関係な人々が巻き込まれて死ぬのを、見過ごせとでもいうのだろうか。しかし昨日、ラフトやレグルスたちは逃げ惑う人々を守って負傷したらしかった。

 技使いではない人間は、自ら身を守る術を持っていない。せめてこちらの意図を理解してくれたらまだ動きやすいのだが、技使いを敵視しているような者にその期待はできない。

「そうならないためには、有事の際に速やかに避難してもらう必要があるし、魔族側が戦場を選べるような事態を避けなければならない」

「え、まさか先制攻撃ってことですか?」

「いや、それは無理だろう」

 すかさず声を上げるリンに、シリウスは首を振ってみせた。昨日の問題は、本来は魔族と戦うつもりがなかったという点だ。人々の間に生じた騒動に駆けつけたはずなのに、そこに魔族が現れた。

 あれは偶然だったのか。騒動に便乗して魔族が動き出しただけなのか? それにしては奇妙な印象を抱く。

「だが芽は潰しておく必要がある。アルティードやお前たちの話を総合すると、この星に魔族がまだ潜伏している可能性がある。同じことが繰り返されないよう、何らかの対策を講じなければならないな」

 忽然と、時間が止まったかのような錯覚に陥った。心臓の底がひやりとするような感覚に、背筋が冷たくなっていく。シンは思わずリンと顔を見合わせた。

 ――魔族が潜伏している。その可能性を考えなかったわけではない。退却する魔族の数が合わなかった時にもそうだし、あちこちから魔族が脱出した話を聞いた時も、「もしもまだ残っている者がいたら?」と一瞬は考えた。

 けれども考えたところでどうしようもなかったから、それ以上に考えなければならないことがあったから、意識の外に追いやっていた。その後は特に騒動が起きていなかったので、油断していた面は否めない。

「それって……もしかして、騒動を誘導していた可能性があるってことですか?」

「ああ、否定はできない。その件についても調べてもらうつもりだ。まあ、そうでなかったとしても、既に火がついてしまった後では同じことかもしれないがな」

 リンの問いに首肯したシリウスは、ついで深く嘆息した。シンは頭をがつんと殴られたような心地になる。よい話がない。これではさすがのリンも前向きには考えられないだろう。

 そう思ってもう一度視線を向ければ、彼女は難しそうな顔で何か考え込んでいた。パンを持つ手にも力がこもっている。

「案ずるな。この件はお前たちが思案すべきものではない。動くのはアルティードやケイル、その下の者たちだ。お前たちはまず戦力を回復させることに集中しろ」

 するとふっとシリウスの表情が緩んだ。皮肉げに歪められた口元はそのままに、わずかだけ、眼差しが優しくなる。

「……そうですね。私たちには私たちの役割がありますもんね」

 呼応するよう、深々とリンも首を縦に振った。結局はこうなってしまうのか。

 子どもの頃とは違い何かあった際に動けるだけの力を得たつもりだが、それでも十分ではない。いまだに頼らなければならない部分は多かった。しかし、それに気づくことも、気づいて受け入れることも、大人になるということなのかもしれない。

「何か変わりがあれば私かミケルダが伝える。それまでは休息に努めてくれ。ああ、勝手に動くなよと、アルティードが言っていた。これは他の者にも伝えておいて欲しい」

 シリウスは苦笑をこぼした。まるで釘を刺されたようで、シンはぎくりとする。

 昨日の件は、ほぼ独断だった。無論、神技隊が動かなければもっと悲惨な被害になっていた可能性は高い。――それも全ては結果論だ。だがこれだけ負傷してしまったからには、今後の判断は慎重にする必要がある。

「わかりました」

 答えるシンの声がかすれた。モニターの外ではさらに明るくなった空が、今日という日の始まりを宣言していた。




「アースは休まなくてもいいの?」

 遠慮がちに扉が開いた途端、不安げなイレイの声が飛び込んできた。ベッドを見下ろしていたアースは、気怠さを感じたまま顔を上げる。

 イレイの気が近づいてきていたのはわかっていたから、別に驚くようなことはない。それでも案じられたのが自分であったことには、少々喫驚した。アースは肩越しに振り返りながら、眉間にしわを寄せる。

「休む? 我々は睡眠も食事も必要としない存在だろう?」

 座ったままシーツにつきたてた指に、つい力が入った。冷静に告げたつもりの声にも、やはり棘がある。扉から半分だけ顔を出したイレイが、眉をひそめるのが見えた。困らせたのは明白だ。

 アースはそっと視線を外す。途端に、ベッドで呻くレーナの姿が視界に入り、ますます指先に力が入った。

「そう、みたいだけどさ。でもね、アース」

「すまないが、放っておいてくれ」

 苛立ちをイレイにぶつけたところでどうにもならないというのに。絞り出した声は、ずいぶんと低くなった。視界の端で、イレイが肩を震わせる。余裕のなさを突きつけられたような心境になり、アースは歯噛みした。

 何を口にしても逆効果だ。表情を取り繕うのも億劫だし、気を隠すのも苦痛だ。アースは唇を引き結ぶ。それでもイレイが立ち去る気配はなかった。仕方なく、アースはそっとレーナの顔を見下ろす。

 時々苦しげに呻き、呼吸が荒くなり、しばらくすると少しだけ落ち着く。そういったことを繰り返していた。ベッドの中で青い顔のまま目を瞑る彼女を見ているのは辛い。しかし見えないところで彼女が苦しんでいるのはもっと辛い。

 第一、おそらく彼女は、彼が離れてしまえば目を覚ます。そこには確信があった。どれだけ危険な状態であっても、一人きりでは意識を手放せないのだと、彼女は以前苦笑しながら言った。それは『死ぬ』時だけだと。

「レーナはまだ目覚めないんだね」

 ぽつりと、泣きそうな声でイレイが呟いた。いつもは楽観的なイレイも、彼女の様子を確認していない方が怖いのだろう。アースはそう推測する。

 気が感じられるから生きていることはわかるのだが、それだけでは不安になる。その気持ちはよくわかる。

 忽然と叫び出したくなるのを堪え、彼はそっとベッドに手を伸ばした。解かれた髪を静かに梳けば、少しだけ彼女の頬が緩んだような気がする。

 ――いや、錯覚だろう。そう思いたいだけだろう。彼はそのまま指の背で彼女の頬を撫でた。いつになく熱っぽいのが、彼の胸の内をざわつかせる。

「ずっとこの調子だ。まあ、静かになった方が恐ろしいかもしれないな」

 アースは苦笑をこぼした。冗談にでもしなければ、耐えられそうになかった。そうでなければ苛立ちのままにイレイを攻撃してしまう。

 ただただ見守っているだけの時間は拷問だ。この時が永遠に続くのではないかと、どうしたって考えてしまう。それでも彼女が諦めていないことはわかっているから、だから信じて傍にいる。

「アース……でもアースも休んだ方がいいよ? 何かあったら、僕が呼ぶから」

「いや、そういうわけにはいかない。こんな状況でも、こいつはわれがいなくなったら目を覚ますんだ」

 イレイが心配するのもわからないわけではないが、これだけは譲れなかった。少しでも彼女を休ませるためには傍を離れるわけにはいかない。

 わかってくれと言いたくてもう一度振り返れば、イレイはきょとりと目を丸くし、それから何か言いづらそうに明後日の方を見た。

「アースって、たまに自惚れてるんだかそうじゃないんだかわからないこと言うね」

「こいつが言ったことだ」

 イレイは今まで見たこともない歪な笑みを浮かべた。一方的な思い込みとでも勘違いされたらしい。実に心外だが、イレイは知らない話だろうからここはぐっと堪える。

 彼女はいつだって自分の弱みになりそうなこと、他人に心配を掛けそうなことは滅多に漏らさない。寝ないのではなく寝られないなどという話を、おいそれとするわけがなかった。それを勝手にアースが伝えるわけにはいかない。

「そっか。レーナの気、アースが傍にいる時が一番落ち着いてるしね」

 何か文句を口に仕掛け、しかし思いとどまったようにイレイは首を縦に振った。その指摘は初めて耳にすると、アースは片眉を跳ね上げる。彼女の気は大抵凪いでいるから、そういった印象を持つことはなかった。

「そうか?」

「うん。まあ、レーナの気が不安定な時ってアースは必死だから、気づいてないかもしれないけど」

「……そうか」

 なるほど、そう言われればそうかもしれない。アースは静かに納得する。彼女の身に何かあった時、普段の気と冷静に比べているような余裕はない。

「まあいいや。じゃあ水か何か持ってくるから、それで少しでも休んで」

 するとイレイは何かを諦めるがごとくため息を吐き、ついで弾かれたようにぽんと手を叩いた。その拍子に扉が揺れる。何事かとアースが顔をしかめると、イレイはぱちりと音がしそうな瞬きをして、こちらを見た。

「そうだ、一緒にベッドに入っちゃったら? それなら休めるでしょ!?」

「……は?」

 思わぬ提案には、アースもつい気の抜けた声を漏らした。無邪気な笑顔でこちらを見るイレイの双眸は輝いている。本気で良案だと思っているらしい。呻く彼女の隣で横になれ、というのか。

「だってずっと起きて座ってたら疲れるでしょ? 横になった方が休めるよ。いくらアースでも、少しは休んだ方がいいよ?」

「お前……休めるわけが、ないだろ。大体それだとこいつが休めない」

「そうかなぁ?」

 脱力したアースは自らの額を押さえた。それでもイレイはぴんときていないらしい。時折イレイはこうして突拍子もないことを言い出すのが困ったところだ。全く悪気がないだけに怒る気力も失われる。

 それでもこんなわけのわからない話をしているおかげか、先ほどよりは幾分か気分が軽くなった。そのことを自覚してアースは笑い出したい境地になる。こんな時だというのに、彼も楽になりたいと思っていたらしい。

「……わかった。考えておくから、いいから水を持ってきてくれ」

「はーい」

 諦念の声でそう告げれば、イレイは満足そうに返事をした。嘆息したアースは、扉が閉まる音を背に受けながら、手の甲で彼女の頬へと触れる。汗ばんだ肌を撫でると、血の気のない唇がわずかに動いた。

 耳を澄ませども、はっきりとした言葉は聞き取れなかった。それでも名を呼ばれたような気がして、彼は静かに瞳を細めた。

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