第13話「攻撃して、こない?」
魔族が現れたと耳にしたのは、辺りがようやく明るくなるかという頃だった。ちょうど夜の待機当番と日中の待機当番の交代の時間だ。
たまたま朝食をとり終えていたシンは、すぐさま食堂を出て草原を目指す。外は寒い。夜の名残を感じさせるような冷たい風が吹いていた。薄手の上着であることを悔やみつつ、シンは辺りを見回す。
真っ先に飛び出していたラフトとカエリも、あちこちへと視線を彷徨わせていた。まだ魔族は降りてきていない。シンは頭上を見上げた。
灰色の雲の向こうに、感知できる気は五つだ。それは先ほど中央制御室のモニターに表示されていた点と同じ数だった。今のところ行方の知れぬ者は出ていないということか。
「来るわね」
基地の方から駆け寄ってきたリンが、辺りを警戒しながらそう声をかけてくる。と同時に、背後に突如奇妙な違和感が生じた。慌ててシンが振り返ると、それまで何もなかったはずの空間に一瞬白い光がほとばしる。
「魔族か!」
風がざわりと草を撫でた。揺れる緑の狭間に、二人の魔族が姿を見せる。少年のような小柄な男と、筋骨隆々な大柄な男の二人だ。シンは慌てて結界を張る。ここで先手を打たれると終わりだ。
咄嗟の判断であったが功を奏した。やにわに放たれた黒い光弾が、透明な膜に弾かれて霧散する。
「シン!」
リンの声が響いた。間髪入れずに彼女の気が膨らむ。おそらく風の技だ。右手へと跳びつつ、シンは腰から提げていた剣を引き抜いた。これがないと魔族に傷一つ負わせることができない。
巻き起こった青い風が、魔族二人の接近を阻む。その間にシンは体勢を立て直す。素早く辺りの気を探ることも忘れなかった。
ラフトたちの方に一人、別の魔族が現れている。が、基地から仲間たちが駆けつけてきているところだから、どうにかなるだろう。気にかかるのは、いまだ空にいる魔族がいつ動くかだ。
剣を構えたシンは、まず大男へと向かった。上の魔族が仕掛けてくる前に一人でも数を減らしておきたい。草原だと炎の技が使えないので、剣のみでの勝負となるが、それにも慣れてきた。
大男の黒い瞳が剣呑な光を帯びる。その指先から生み出されたのは、巨体に似合わぬ細長い氷の矢だった。それらが次々と迫るのを、シンは剣で叩き落とす。
甲高い音が鳴り響き、矢の残骸に打たれた草が鳴いた。シンは手のひらに力を込める。まずい。まだこの気温に体が慣れていない。かじかんだ指先にうまく力が入らなかった。
「それで朝なのかよ」
悪態を吐きつつも戦略を練る。ここで後退するわけにはいかない。もうしばらくもすれば体も暖まってくるだろう。
しかしこれは今後も問題となることだった。暖を優先すれば動きが制限される。結界を纏えば寒気は遮断できるが、結界を生み出し続けながら他の繊細な技を使うのは難しい。なるほど、レーナが装備の一つとして手袋をすすめていた理由が今になって理解できた。
シンが地を蹴ると同時に、小柄な男がリンへと黒い光弾を放った。彼女の援護を妨害しようとでもいうのか。破壊系の技を得意としているのは小柄な男の方だったらしい。だが相手が遠距離向きであれば、リンにも分がある。
よそ見を続ける暇はない。大柄な男が、再び氷の矢を放った。単調な攻撃だ。それでも矢に伴って周囲へと振りまかれる冷気が厄介であった。
まさかそこまで考えての選択なのか? 彼らが人間についてどこまで知っているのかは定かではない。しかしシンはかまわず突っ込んだ。髪の一部が凍り付く感触がしたが、そのまま一気に踏み込む。
大男の灰色の衣を、剣の切っ先がかすめた。跳び退った男の指先から、細い矢が複数生まれる。さすがにこの距離でこの数は払い除けられない。身を捻りつつ、シンは結界を生み出した。パキパキとまるで薄い氷が割れるような音が、鼓膜を揺らす。
その時ふわりと、男の後ろに白い何かが見えた。瞳をすがめたシンは一歩だけ後退する。何かの技か? そう思ったが、頬へと冷たいものが触れたことで気づく。ふわりと消えゆくこの感触。雪だ。道理で冷えるわけだ。
ヤマトと同じなら、この時期はまだ吹雪くことはないはずだった。けれどもここらは風を遮るものが乏しい。油断はできないと、シンは奥歯を噛んだ。この状況で一対一の攻防が続くのはまずいだろう。どちらかをどうにか打ち倒さなければ。
「リンさん!」
そこへ甲高い少女の声が響いた。サホだ。つまり、二人組のアキセも一緒のはずだった。
はっとしたシンはそのまま左手へと跳んだ。ほぼ同時に、銀の弾丸が弧を描きながら大男へ向かっていく気配を感じる。
アキセの操る武器だ。弾丸自体が特殊な金属でできているため、魔族にも効果がある。かつ光弾等では打ち落とせないから、この大男のような者には特に有効だった。シンは素早く視線を走らせる。
サホはリンの元へと駆けつけている。となると、シンはアキセの近くに向かった方がいいだろう。そう判断するとシンは駆け出した。アキセの武器の弱点は、操る彼自身が無防備になりやすいことだった。彼を一人にはしておけない。
「助かった」
アキセへと走り寄りながら、シンはそう声をかけた。ついで、大男ががむしゃらに放った光弾を剣で切り伏せる。間一髪だ。再び氷が割れるような音が鼓膜を震わせた。
それが途切れると、今度は風を切る音を耳が拾った。剣を構えつつそちらへと目を向ければ、徐々に強まる雪の向こうで、大男が必死に結界を張っていた。その透明な膜へと、銀の弾丸がぶち当たる。
けたたましい金属音と共に、弾丸は草むらへと落ち――しかし、再び息を吹き返したように浮かび上がった。アキセの力だ。
土系の技は、使い方によっては武器まで操ることができる。そう教えたのはレーナだという。アキセは集中力があるらしく、複数の弾丸を同時に操ることができる類い希なる者の一人だった。
大男の気に焦りが滲む。動きが粗雑になる。再び結界を生み出そうとした男の背後に、もう一つ弾丸が現れたのをシンの目は捉えた。
大男も振り返るが、気づいた時には時既に遅い。その分厚い胸板を、銀の弾が貫いた。舞い散る白に、鮮やかな赤が混じる。シンは息を呑んだ。どうしてもこの瞬間は体に力が入る。
と、後方から小柄な男のものと思われる声がした。その気に滲む怨嗟が、シンの肌をぞくりと粟立たせる。顔を見ずともその双眸に憤怒が宿っているのは確信できた。柄を握る手に力を込め、シンは奥歯を噛む。
戦う相手が、心ない生き物だと思えたらどれだけ楽だろうか。それでも手加減などしたらこちらがやられる。ああして叫ぶのは、自分たちかもしれなかった。
倒れ伏す大男が光となって消えるのを横目に、シンはやおら振り返った。ちょうどリンの青い風が、小柄な男を包んだところだった。大男へと意識が向けられた隙を突いたのだろう。声なき悲鳴が辺りの空気を震わせる。
びりびりと肌に伝わる気が、痛かった。それはまるで冷たい空気が肌を刺すのと似ていた。魔獣弾たちに襲われていた時とは違う。この重さは一体いつまで続くのだろう。
青い風が消えると、小柄な男の体が光の粒子となって立ち上っていく。それは大粒の雪に交じって、見る見る間に消え失せてしまった。息を吐いたシンは、剣を携えながら視線を巡らせる。これで残りは三人のはずだが、ラフトたちの方は大丈夫だろうか?
不意に、強い風が吹き荒れた。びゅうと風の鳴く声にあわせて、頬へと雪が突き刺さる。シンは瞳をすがめた。指先の感覚がますますなくなっていく。
途端、「え?」と気の抜けたリンの声が耳に飛び込んできた。緊迫感のない、虚を突かれた声だった。その理由は間もなくシンにもわかった。
「……撤退?」
ラフトたちが向き合っていた魔族が、忽然と空へ飛び上がった。いや、単に地を蹴ったのではなく、身構えたラフトたちを置き去りにして雲の向こうへ隠れてしまった。まさか上空からの攻撃かと警戒するも、その高度はますます上がるばかり。顔を上げたシンは瞠目した。
「攻撃して、こない?」
「どういうこと?」
戸惑うシンたちの声に、答えられる者はいない。いや、驚くのはまだ早かった。誰もが呆然と立ち尽くしている中、同じように数人の魔族が一斉に空へ飛び上がるのが見えた。ある者は草原から、ある者は山間から、息を揃えたような動きだ。
どうするべきかわからず、シンはその光景をただ凝視していた。深追いが危険なことはわかっているが、彼らをこのまま放っておいてもよいのか?
「本当に……逃げた?」
飛び上がった者たちの姿が肉眼で捉えられなくなっても、ただただシンたちは空を見上げていた。そしてついには、気まで辿れなくなる。――つまり巨大結界の外に出たということなのか?
「嘘だろ?」
事態についていけずに困惑したシンは、立ち尽くすリンと顔を見合わせた。雪が降りしきる中、当惑の空気が辺りへと広がっていった。
シンたちが中央制御室に入った時には、既に十人以上の仲間たちが集っていた。本当は真っ先にここへ駆け込みたかったのだが、冷え切った体を暖めろと半ば強制的に大浴場に押し込まれてしまった。
それでもゆっくり湯につかるような気にはなれなかったから、すぐに駆けつけてきたのだが。さすがにまだリンはいないらしい。ラフトが我先にと大浴場を出て行ったのは確認していたが。
「だから、あれは絶対この間の奴だって!」
そのラフトが声を荒げていた。一体何の話かと首を捻れば、中央で腕組みしていた滝の視線がこちらへと向けられる。そこに問いかけるような色が見えた気がして、シンはおずおずと近づいていった。
「どうかしたんですか?」
「先ほど逃げた魔族の中に、先日ラフト先輩たちが見た魔族が混じっていたらしい」
奇妙な雰囲気を感じつつも問うてみれば、滝は困惑気味にそう答えた。シンは絶句する。それは、先日の戦いで行方がわからなくなっていた魔族のことか?
「絶対に見間違いじゃない! 逆立った赤い髪の、むかつく顔の奴。あれはオレだって忘れない!」
力強く断言するラフトの声が室内で反響する。カエリがいれば確かめられるかもしれないが、彼女もまだ中央制御室にはいなかった。
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