第12話「だって青葉は、私のこと嫌いだったでしょう?」
「リシヤの日? ああ、そう言われればそうですね」
記憶を辿るよう天井を見上げ、青葉は気のない声を漏らした。
各地方にはそれぞれ特別な日というのが設けられている。ヤマトの日は四月二日だ。リシヤの場合はそれが十二月二十五日だった。しかしそれがどうして滝の了承と繋がるのか……と考えたところで、青葉はあんぐりと口を開ける。
「え、それって」
「レンカ先輩の誕生日。知ってる人がいないから、リシヤの日に祝ってるんだって」
「私情!?」
「いいじゃない。別に誰が損する話でもないでしょう? まあ、祝われるべき人が主に料理作ってるってのはどうかと思うけど。でも作るのが好きだって言われると、どうしようもないのよねぇ」
瞳を瞬かせる青葉へと、リンは深く頷いてそう答えた。あの滝でもそこは甘くなるのかと思えば、何とも言いがたい気持ちになる。過去のあれこれを知っているからだろうか。シンの微苦笑を見るとそんな気がしてくる。
「リン先輩の情報網ってすごいですね」
「これはダン先輩から聞いたの。昔からなんだって。レンカ先輩、愛されてるわねぇ」
しみじみと口にするリンの様子に、青葉は得も言われぬ居心地の悪さを覚えた。思わずシンの様子をうかがうと、眉をひそめて彼女へと一瞥をくれていた。
愛に気づいてもらえない場合は一体どうしたらよいのだろう? ぶつけても仕方のない疑問が、青葉の胸に満ちた。
同時に、以前リシヤの森でレーナに指摘されたことを思い出す。『これだけ愛されてるってことに、早く気づいてくれるといいんだが』と。レーナにもわかるくらいなのに、どうして当人には伝わらないのか。
「ちょっと青葉、そこで渋い気を出さないでよ。ほらほら、梅花たち来ちゃうわよ?」
と、苦笑したリンはぽんと手を打った。青葉の気を指摘するくらいなら、シンの方を気に掛けてやって欲しいのだが。何故だか他人の事情の方がよく見えるものらしい。
青葉は苦笑いしながらグラスを出す作業を再開する。言いたいことは色々あったが、梅花たちが訓練室に向かってきているのは確かだ。側には滝とレンカがいる。先ほどまでレーナと話をしていたはずだが、いつの間に別れたのだろう。
「わかってますよ」
青葉はちらと奥の飾りの方を見上げた。無世界ではツリーと呼ばれるものが飾られていたが、ここではすぐには用意できない。それでもきらきらと輝く鈴や小さな人形が、歪な木の枝からぶら下げられていた。
人形はジュリの妹の手作りらしい。リンたちと一緒に作ったのだというから、ずいぶんと器用だ。
――そうか、ここには子どもがいるからか。だからパーティーなのか。青葉はふと気がつく。
ここが生活の場となってしまったからには、祭りごとを楽しむことも必要だ。この味気ない基地内を彩ることだって考えなければならない。たとえば食堂だとか。白と灰色で統一された室内は、宮殿ほど殺風景ではないが、それでも生活感には乏しい。
グラスを全て出し終えたところで、訓練室の扉が開いた。まず顔を見せたのは梅花だった。大きな籠を抱えた彼女は真っ直ぐテーブルの方へと向かってくる。後ろで結ばれた髪が左右に揺れた。
「レーナとの話は終わったのか?」
近づいてきた梅花へと、青葉は軽い調子で声をかけた。籠をテーブルの隅に乗せた梅花は顔を上げる。
「ええ。結論が出るわけでもないし、アースが来ちゃったしね。ずっと私が独占していちゃ悪いでしょう?」
梅花は微苦笑を浮かべて肩をすくめた。そこでアースの名が飛び出すとは思わず、青葉は息を呑む。
それはつまり、アースがレーナを好いているという事実には気づいているということなのか? つい恨みがましい気持ちが湧き上がるのを、青葉はどうにか堪えようとした。気に滲むのはまずい。かといって、ここで急に気を隠すこともできない。
「そうか……」
それでも絞り出した声は低くなった。アースと自分の差は一体どこにあるのか? 考えれば考えるほどにわからなくなる。アースが言葉に出してはっきり何かを告げているところは見たことがない気がする。行動には如実に表れているが。
『もうはっきりきっぱり言うしかないだろ』
先日、滝に呆れ混じりに指摘された言葉が脳裏をよぎる。ここで告白するようなつもりはないが、それでももっとわかりやすい表現を選ばないといけないのだろうか。
青葉はちらと梅花を見た。籠から皿を取り出す彼女の横顔には、これといった感情は浮かんでいない。このパーティーを嫌がっている様子もなかった。ただ淡々と、自分の仕事をこなしているかのようだ。
実際そうなのだろう。きっとこのクリスマスパーティーとて、彼女は他人のためのものだと思っている。誰かのためになるなら、彼女はこうした準備も苦には思わない。
「なあ、梅花」
つい勢いで、青葉はそう呼びかけた。振り向いた梅花が不思議そうに首を傾げるのを見ると、気持ちがぐらつきそうになる。どんな手を使ったとしても届かないのではと、諦めたくなる。去年のことを思えば、ずいぶんと近づいたはずなのに。
「何?」
「梅花は、オレのこと嫌いか?」
逡巡した後、青葉が選んだのはそんな言葉だった。遠くで滝が噴き出すような気配を感じたが、青葉は一顧だにしなかった。ここで滝の表情を確認したら絶対に心が折れる。シンとリンが動揺の気を滲ませたのにも気づいたが、それも無視することにした。
当の梅花は一瞬意味がわからないと言わんげに瞳を瞬かせ、ついで硬直した。彼女の気が困惑の色を纏うのをどう捉えるべきか。青葉にははかりかねた。彼女は手にしていた皿をどうにか他のものと重ね、おずおずと口を開く。
「急にどうしたの? その、私、そう思われるような行動をとっていたかしら? だとしたら軽率だったわ。ごめんなさい」
眉尻を下げた梅花は、思いも寄らぬ答えを返してきた。今度は青葉が絶句する番だった。そうだ、彼女はこういう人間だった。自分の言動が相手に不快な感情を導くに違いないと、半ば当然のごとく思い込んでいるような少女だ。
だがその質問は、彼女が彼を嫌っていないということも意味している。――無論、嫌われているとまでは思っていなかったが。それでも明確に告げられたことに、彼は胸を撫で下ろした。
「でもそれは、私の方が聞きたかったんだけど」
だがさらに梅花がそう続けたことで、青葉は思わず「は?」と声を漏らした。「私の方が」とはどういうことなのか。
「だって青葉は、私のこと嫌いだったでしょう?」
心底訝しそうな梅花の声が、青葉の胸につきりと突き刺さった。皿を全て出し終えた彼女が籠を抱きかかえるのを見つめつつ、どう答えるのが正解なのかと考える。
彼女が言っているのは、出会った当初のことだろうか。嫌いではないが、苦手だった。何を考えているのかわからない、無表情で冷たい彼女の言動に打ちのめされたのは確かだし、どう扱ってよいのかわからずしばらく困惑していた。サイゾウを傷つけては淡々と仕事をこなす彼女に苛立っていたこともある。
変わったのはいつからだろう。それまで隠れていた彼女の一面に、気づかされたのはどの時点だったか。はっきりとした区切りがあるわけではないが、気づけば目で追うようになっていた。
「それは……」
「別にいいの。嫌われることには慣れていたから。でもそうじゃなくなる人は、珍しかったから」
本当に気にしていないのだと言うように、梅花は相槌を打つ。そもそも彼女はいつ嫌われても不思議ではないと思っているのか。青葉が想像していた以上に、彼女は疎まれることを当たり前だと思っているらしい。
そうなるとこの神技隊という集まりは、彼女にとっては相当未知なる世界なのだろう。
「私は今まで、誰かを嫌いになったことはないんだけど。そう思われやすいのかしら。困ったわね」
深々と梅花は息を吐く。慌てて青葉はぶんぶんと首を横に振った。それではまるで彼女が悪いかのようだ。確かに勘違いされやすい言動かもしれないが、だが決して彼はそう思ったから尋ねたのではない。
「いや、違うから」
「何が?」
「そう思われやすいんじゃなくて」
怪訝そうな眼差しを向けられると、言葉が喉に張り付いてしまう。シンたちが興味津々で聞き耳を立てていることがわかるだけに、焦りは増していくばかりだ。やはり場所が悪かったと、青葉は後悔する。これは失敗だ。
「それでも時折不安に思ったり、聞きたくなったりするのが、普通なだけだ」
仕方なく青葉はそう答えた。梅花はしばし考え込んだ後、合点がいったとでも言うように首を縦に振る。
「ああ、そういえばミケルダさんも急に聞いてきたわね。そういうものなの?」
「……おう」
「そっか。普通は、嫌われたくないものだものね。確かめたくなる、ものなのね」
噛みしめるような梅花の口ぶりに、青葉の胸がわずかに軋んだ。最初から諦めている彼女にはない感覚だったのか。何気ないやりとりから『普通』を確かめていく彼女に、そこに無理に合わせなくてもよいと伝えるべきか否か、彼は躊躇した。
大切にすべきなのは彼女の本来の感情であって、一般的な何かではない。だが本来の感情が自分で掴めていない人間に、何がしてやれるというのか。
「――ああ、だからお前が、何かを無理に変える必要はないと思う」
せめてこの感情が少しでも伝わればよい。そんな願いを込めて、青葉は付言した。
籠を抱きしめた梅花は、寸刻の間をおいてふわりと破顔する。先ほどとは別の理由で胸を打たれた彼は、思わず目を逸らした。
視界の隅でシンたちが神妙な顔をしているのが見えたが、やはり気づかない振りをするしかなかった。
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