第11話「私は彼女が好きですよ」

 しばらくもしないうちに、梅花の言う通りにミケルダが姿を見せた。垂れた瞳を細めてひらひらと手を振る姿にも、もう慣れてしまった。ここを何だと思っているのかわからないくらいに気安く遊びに来ている。

 今まではシリウスがいるからだと思っていたのだが、そういうわけではなかったらしい。

「梅花ちゃん、おはよー」

 景気よく挨拶をするミケルダの声が食堂に響いた。眠気をどうにか追い払っている青葉たちとは違い、彼は朝から元気だ。

「おはようございます。レーナならここにはいませんよ?」

 無表情なままミケルダの方を見遣った梅花は、真っ先にそう告げた。青葉は眼を見開く。何故そこでレーナの名が出てくるのだろう。だがゆっくりと近づいてきたミケルダの双眸には、怪訝そうな色がなかった。

「あ、そうなんだ。レーナちゃんもいるかと思った」

「彼女はこの時間ならたぶん屋上です。基本的には気を隠していますね」

 端的な梅花の返答に、青葉は喫驚する。レーナの行動について、梅花がそこまで把握しているとは知らなかった。

 彼はできる限りレーナとは無駄な会話をしないようにしていた。武器や装備を作ってもらうといった関わりはあったが、そういう必要がなければ言葉を交わすことはない。

 信用できないわけではない。少なくとも自分たちの命を守ろうとしてくれていることは実感している。

 それでも彼女たちと距離を縮めることには、どうしても抵抗があった。それは同じ顔だからというものでもないだろう。しかし梅花は違うらしい。

「へぇ。梅花ちゃん詳しいね」

「特に変わったことなどないので安心してください。また偵察でも頼まれてるんですか? あちらも懲りないんですね」

 皿を脇へと寄せた梅花は、気怠そうに頬杖をつく。ミケルダの動きが一瞬止まったことは、青葉の目にも明白だった。よく顔を出すなとは思っていたが、目的があったのか。

「……シーさんがいなくなっちゃったから心配なんだよ」

 しばし視線を泳がせてから、観念したようにミケルダは首をすくめた。なるほど、シリウスという監視役の不在が上の不安を増長させているらしい。協定を結んでおいても、まだ疑っているのか。

 ――レーナの厚意を素直に受け取れない青葉たちが言えることではないのかもしれないが。

「レーナちゃん強いし」

「まあ、彼女まだ隠していることが多いですからね」

 ミケルダは両手をひらひらと振り、降参とでも言うように笑った。対して梅花はどこか素っ気なく、わずかな寂しさを匂わせて答えている。

 そんな彼女の横顔から、青葉はそこはかとなく奇妙な感覚を受けた。レーナが全てを語っていないというのは、彼も何となくわかっていた。が、梅花の表情に浮かんでいるのはもっと確たるものだ。

「梅花ちゃんはそんなことまで掴んでるわけだ」

「いいえ、何も。彼女に関しては、私は何も知りませんよ」

 ミケルダも同じように感じたらしく、どこか複雑そうな眼差しでそう問いかけた。しかし梅花はすぐに頭を振る。その声はどこまでも平坦で、今までの感情の読み取りにくい彼女そのものだった。この違いはどこから来るのだろう。

「……梅花ちゃんは、レーナちゃんのことどう思ってるの?」

 突として、ミケルダは困惑気味にそう問うた。青葉は何故かどきりとする。

 レーナが梅花をどう思っているのかは明らかだったが、逆については深く考えないようにしていた。特にラウジングに殺された――と思っていた――あの一件以来、そのことには触れないようにしていた。嫌っていないことは聞くまでもなかったから。

「私は彼女が好きですよ。彼女の気も精神も優しい。落ち着きます。彼女を見ていると、自分がどれだけ端から色々なものを諦めてきたのか、突きつけられちゃいますが。それでも彼女は私にとっての一つの道標です」

 背を正した梅花は、真っ直ぐな言葉を口にした。青葉にとっては眩しすぎて直視しにくいものだった。

 彼女のこのところの変化に、少なからずレーナが関与しているだろうとは思っていたが。それは梅花自身も自覚していたのか。なんとはなしに羨ましさを覚える。自分の方が長く共にいたのにと思うと、かすかなわびしさも胸に広がる。

「そっか。そうだね。じゃあ梅花ちゃん、オレは?」

 大きく相槌を打ったミケルダは、おどけたようにそう尋ねた。子どものように無邪気に首を傾げる様に、青葉は度肝を抜かれる。梅花は何を言われたのかわからないと言わんげに、きょとりと目を丸くした。

「オレのことは? 好き?」

 あまりに直球な疑問を口にするミケルダを、青葉は唖然として見た。聞きたくとも容易には口にできぬ問い。それをこんなところで投げかけてしまうとは、一体この神は何なのだろう。

「嫌いだと思ってたんですか?」

 どう答えるのかとはらはらしていると、梅花は半ば呆れたように苦笑して肩をすくめた。遠回りな肯定に、ミケルダはあからさまにわかりやすく安堵する。

 そのやりとりにどことなく茶番の匂いを嗅ぎ取り、青葉は閉口した。こうしたことが当たり前だったのか? それとも言わずともわかるだろうということなのか? やはり二人の距離がわからない。

「あーもう、梅花ちゃんは相変わらずだな」

「そうですか?」

「うん、可愛い。最近つれないから心配だったんだ」

 けらけらと笑うミケルダの屈託のなさに、青葉は拍子抜けした思いだった。一方、梅花は手に負えないとでも言わんばかりに嘆息している。そして何か考えたのか、サラダの皿を持つとゆっくり立ち上がった。

「それもいつものことじゃないですか。今さらですよ。で、レーナに会いに行きます?」

「……え?」

「会っておかないとまた色々言われるんですよね? だったら行きましょう」

 梅花はわずかに口角を上げた。案内するのが当たり前だと言わんばかりの口調だった。目を丸くしたミケルダを横目に、青葉はひっそりと落胆する。

 ミケルダたち上の者がやってくると毎度こうだ。梅花はまるでそれが自分の役割であると認識しているかのようだった。実際、そうなのかもしれないが。

「ごめんなさい、青葉。ミケルダさんを案内してから中央制御室に向かうわね」

「――おう」

 ついで、特に感情の浮かんでいない双眸がこちらへと向けられる。青葉は頷いた。本日の待機当番は青葉たち第三チームだ。

 梅花はミケルダの返事を待たずに、その肩を押した。ミケルダは困惑気味に眉根を寄せながら、それでも半分は嬉しそうな様子で歩き出す。かつんと鳴った靴音が、食堂の中で反響した。

 そのまま有無を言わさぬ調子で食堂を後にする彼女を、青葉は横目で見送った。残った珈琲を飲み干せば、先ほど感じた以上の苦さが口内に広がる。

 じくじくと胃の底を刺激するものが何であるか、理解できないわけではない。しかしこんなところで嫉妬してもどうしようもないことは、頭ではわかっていた。

 扉が閉まる音が室内に響く。どっと肩の力が抜ける思いで、青葉は息を吐いた。と同時に、厨房から声が飛んでくる。

「そんなに苛立つくらいなら何か言えばいいだろ」

 ひょいと顔を出したのは滝だ。どこか小馬鹿にしたような、からかうような声に、青葉は眉をひそめる。カップを手にしたまま厨房を睨み付ければ、滝は微苦笑とも言えぬ複雑な笑みを浮かべた。

「滝にいには関係ないだろ」

「ある。これから待機だってのに、余計なこと悶々と考えられたら困るからな。大体、気を隠したってそんなにわかりやすかったら意味ないだろ。お前らしくもない。回りくどい」

 滝にばっさりと切り捨てられ、青葉は口をつぐんだ。

 皆に尊敬され、頼りにされるという滝も、何故だか青葉やシンには辛辣だ。子どもの頃だけかと思いきや神技隊になっても同様だから、今後も変わらないだろう。それが滝の甘えなのだと予想はできても、青葉としては納得しがたい。

「まあまあ滝。青葉もかわいそうじゃない。こんなにわかりやすいのに気づいてもらえないんだから」

 そこで助け船――いや、追い打ちをかけてきているだけだが――が出された。滝の背を押し出すようにして厨房から出てきたレンカが、ふわふわと笑いかけてくる。

「まあ、そこはな。わかってないのは梅花だけだろ」

 首肯した滝の言葉が、さくりと青葉の胸に刺さった。

 しかしその通りだ。好意というものにひたすら疎い少女に対して、遠回しに言い寄ったところで全く伝わらない。だからできる限りわかりやすい言動を選んだつもりなのだが、それでも当人にだけは届いていないようだった。

「言い返す言葉もない」

 呻くように呟いた青葉は、静かにカップをテーブルに置いた。全員から嫌われていたはずもないのに、どうして梅花はあんなにも鈍いのか。常に自分を蚊帳の外に置こうとするのか。そこが青葉には解せない。

「もうはっきりきっぱり言うしかないだろ」

「簡単に言ってくれるな、滝にい」

「そりゃ、他人事だからな」

 あっさりと言ってのける滝を恨みがましくねめつけつつ、青葉はがっくりとうなだれた。伝わればよいという話だけならこんなに悩まない。そうぼやいても詮のないことは、わかりきっていた。




 驚くほど何事もなく、日々は過ぎていった。魔族の動向については特にこれといった進展もないし、襲撃もなかった。

 そうしている間に、クリスマスパーティーの日を迎えてしまった。本日の日中の待機当番は青葉たちだ。パーティーは日暮れ前から夜にかけて開催するというので、途中から滝たちに交代となるが、それまでは装備ははずせない。

「しかし本当に開催されるとはなぁ」

 グラスを籠に詰めて訓練室へと持ってきた青葉の耳に、そんな言葉が飛び込んできた。シンだ。出入り口の傍で腕組みをしたその横顔へと、青葉は一瞥をくれる。

 シンの隣にはいつも通りにリンがいた。このパーティーの主催の一人だ。彼女は満足そうな顔で、部屋の奥にある大きな飾りを見上げている。

「そりゃあもちろん、やるからにはちゃんとやらないとね。美味しい物を食べる口実も必要でしょ?」

 青葉は不意に無世界での生活を思い出す。

 クリスマスというものを、彼が祝ったのは一度きりだった。あの頃は街中が彩られていくのを不思議な気持ちで見つめたものだ。金銭の余裕がなかったので安いケーキを買っただけで終わったが、印象的な行事ではあった。

「それに、誰も反対する人はいなかったし」

「そりゃあ、リンが進めて滝さんの了承が得られてたら、反対する奴なんていないだろ。別に強制参加なわけではないんだし」

 シンとリンの会話を耳にしつつ、青葉はゆっくり中央のテーブルへと近づいた。そこには既に料理の一部が並べられている。

 普段食べられない物が食べられるならと、思う者は多いだろう。人数と効率の関係で、今のところ口にできる料理の種類は限られている。もっと肉が食べたいと思っても、そう意見するのはまだ憚られた。

「あの真面目な滝にいが即座に賛成したのは、やっぱり食事の問題?」

 籠から取り出したグラスをテーブルに乗せながら、青葉は肩越しに振り返った。こんな時にパーティーだなんてと言いそうなものだが、やはり皆の不満は感じ取っていたのだろうか? するとリンは大きく首を横に振る。

「いいえ、リシヤの日だからよ」

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