第14話「宮殿が疑われてるってことか?」

 もしラフトの言う通りだとすれば、あの撤退は先日の魔族たちを連れ戻すのが目的だったのか? まさかどこかで情報収集していたのだろうか? ――それにしては、宮殿には全く近づいていなかったように思えるが。

「レーナはどう思う?」

 困り切った滝は、先ほどからモニターを睨み付けているレーナへと尋ねた。このところ、滝はこうして素直にレーナに意見を求めることが多い。以前のような躊躇はほとんど見られなくなっていた。

「さぁ。だが、潜り込ませた奴らの回収が目的だったということはあり得るだろう。イーストはまず情報収集を優先することが多い。どんな情報を集めていたのかは不明だがな」

 鷹揚と振り返ったレーナは、神妙な面持ちのままそう答えた。

 ではシンたちが葬ったあの魔族たちは、情報収集のために犠牲となったのか。刺さったままだった棘がちくりとうずくような錯覚に陥る。シンにこんな風に思われても、彼らは迷惑だろうが。

「それって大丈夫なのか? なあなあ!?」

 まなじりをつり上げたラフトが、ぐいとレーナの方へ詰め寄っていく。途端、ぶわりと右手から圧迫感が生まれた。

 シンが慌てて目を向ければ、部屋の片隅にいたアースが険悪な表情をしているのが見えた。思わずラフトもぴたりと動きを止める。無言の牽制だ。

 皆が何かを感じたには違いないのに、誰もあからさまな行動には移れない。アースにもの申すことができる者は、神技隊にはまだいなかった。

「それを保証できる者などいないぞ、ラフト」

 沈黙が生まれかけたところで、苦笑したレーナがそう口にした。諭すようでいて、どこか柔らかさの滲む声に、シンは今一度冷静さを取り戻そうと肩の力を抜く。不安に取り付かれてもよいことはない。それは先日再確認したばかりだ。

「誰もが確かなことなど言えない。しかし注意は必要だな。もしかしたら、できる限り戦力を消費せずに宮殿に近づく方法を探しているのかもしれない。あの宮殿は身元の怪しい者は近づけないようになっているが、それでも抜け道は必ずあるはずだ。ただ今回の件で、彼らが我々に察知されずに潜伏する方法を身につけているらしいとは確認できた。そこは今後も念頭に置いておこう」

 ついでレーナにそう指摘されて、シンははっとした。宮殿の出入りの際に面倒な手続きが必要だったのは、まさかそういう理由だったのか?

 今さらながら、様々な不思議が全て魔族から『鍵』を守るための戦略だったのだと気づかされる。あれだけ理不尽だと感じていたものも、理由がわかれば腑に落ちる。

「情報収集か……」

 滝のこぼした声が、張り詰めた空気に染み入った。

 相手の狙いが読めないというのは、こうも落ち着かないものなのか。全てがわからなかったあの頃よりもましなはずなのに、切羽詰まった焦りを覚えるのは何故だろう。シンは暖まったばかりの指で服の裾を握る。

「ところで宮殿と言えば、オリジナルが向かったみたいだが、何かあったのか?」

 そこで不意にレーナの声音が変わった。憂慮の滲んだその優しい声が向かった先にいるのは滝だ。すると滝は思い出したように「ああ」と相槌を打つ。言われてみると、この場に梅花がいないのは不自然だ。青葉はいるのに。

「魔族が来る直前、どうやら宮殿から呼び出しがあったみたいでな。魔族の襲撃もあったから、そろそろ帰ってくるとは思うんだが」

 梅花は宮殿に呼び出されていたのか。それは気づかなかった。レーナは誰かの気が宮殿内にあったとしても感知できるらしい。信じがたい話だ。もっとも、彼女であればさもありなんとも思える。

 それよりも、まだ梅花はこんな風に宮殿に使われる立場なのか。そのことの方がシンにとっては衝撃だった。

 神技隊が神魔世界に戻ってきたのだから、そろそろ都合のよい情報伝達役は不要となるだろうに。呼び出すにしても、もっと時間を考えて欲しいところだ。つい、先日のカルマラの件を思い出す。彼らに時間感覚を求めるのは間違っているのだろうか?

「まさか、宮殿に何か異変が?」

 はっとした滝の声が強ばった。このタイミングとなるとそう考えたくなる気持ちはシンにもよくわかる。ざわざわと胸の奥底を冷たい何かに撫でられたような、そんな不安感が湧き上がる。

「それならもっとあいつらが騒いでるだろう。神界はそこまでざわついてなさそうだから、そんなに気張るな」

 不穏な空気が漂い始めたところで、レーナは悠然と頭を振った。それもそうかとシンは思い直す。もし重大な何かがあれば、きっとミケルダあたりが飛び込んでくるはずだ。一方的に呼び出すのではなく。

「ああ、ちょうどいい。オリジナルがこっちに戻ってくるな」

 するとレーナの声がわずかに高くなった。彼女の言う通り、シンにも梅花の気が感じ取れるようになった。宮殿を出た証だ。

 外はまだ雪だろうかと、シンはちらとモニターを見上げた。画面越しに映る景色は、暴力的な白に覆われようとしていた。まだまだ雪は止みそうにない。このまま積もるのだろうか?

 梅花が基地に戻ってくるまで、さしたる時間はかからなかった。おそらく雪が降っていたから一気に空を飛んできたのだろう。皆が集まっていることに気づいたせいか、彼女は真っ直ぐ中央制御室へとやってきた。

「えっと、遅くなりました……」

 扉が開くと同時に皆の視線を浴び、梅花は困惑気味に小首を傾げた。そんな彼女へと慌てて青葉が駆け寄っていく。結界でも張っていたのか髪はほとんど濡れていなかったが、体が冷え切っているのは間違いなかった。

「何か、ありました、よね?」

 無理やり青葉の上着を被せられた梅花は何か言いたげだったが、それでも本題の方が重要だと思ったらしく、まずは滝へと視線を向ける。

「ああ、攻めてきていた魔族が急に撤退してな。その中に、どうも先日の戦いで行方知れずになっていた魔族が混じっていたらしい」

「そうなんですか」

 端的な滝の説明に、梅花は眉根を寄せつつ首を縦に振った。それだけで皆が何を懸念しているのか読み取ったのだろう。困ったように視線を彷徨わせた彼女は、上着の襟に手をかけた。やはり爪の先まで白くなっている。

「何か企んでるんでしょうけど、現時点では掴めないってことですよね」

「ああ、それで梅花の方は――」

「残念かどうかわかりませんが、直接魔族が絡んでいそうな話ではありません。でもこちらも、別の意味で少し厄介ですね」

 皆から注がれる視線にも怖じ気づかず、梅花は言葉を選ぶよう一度天井を見た。その横顔を青葉が心配そうに見守っている。

 もはや目に馴染んだ光景だが、梅花が気づかわれることに慣れてきたことが違いだろうか? きゅっと上着の襟元を掴む彼女の手元が印象的だ。

「このところの魔族の襲撃に、町の技使いたちは当然気づいているんですよね。異質な気があって、戦闘の気配があるんですから。それをどうにかこうにか各長たちがごまかしていたみたいなんですが、その結果どうも……宮殿が何か企んでるんじゃないかって噂が広まっているみたいで」

 今にもため息を吐きそうな様子で、梅花はそう告げた。シンは固唾を呑む。辺りのざわめきが一気に静まりかえった。

 魔族が攻めてきたことも、その理由も、他の人間たちはまだ知らない。ならば怪訝に思うのが普通だろう。

 そうでなくともリシヤでの戦い、ミリカの町での騒動が尾を引いているに違いなかった。町が破壊されたことを人々がどう捉えているのかはようとして知れないが、疑心が膨らんでいてもおかしくはない。

「宮殿が疑われてるってことか?」

「今までの不満の分もあると思うんです。それをどうするのか、今頭を悩ませているところみたいなんですが。私たちにも、念のために注意しろって」

 梅花は声を落とした。注意しろと言われても一体全体どうしろというのか。シンは顔をしかめる。

 宮殿への疑念はかつての自分たちも抱いていたものだから、至極当然のことだとは思う。事情を知らなければ、上がやっていることは理不尽極まりない。

 それでもだからといってこの現実を全ての人々に突き付けるのも危険だった。大混乱に陥る可能性がある。逃げ場がない中で、いつ異質なる存在に襲われても不思議ではないなど、到底受け入れられるものではない。

「注意しろって? 具体的には?」

「戦闘中に、一般の技使いが様子を見に来る可能性があることは、頭の片隅にでも置いておかないといけません。まずはそこですね」

 首を捻る滝に、梅花は苦々しくそう告げた。途端、室内に戦慄が走る。

 なるほど、何が起こっているのか確かめようと動き出す者がいてもおかしくはなかった。今までは戦闘が長引かなかったから目撃されずにすんでいたが、今後もその保証はない。

 ずんと空気が重くなり、皆の気に沈鬱な色が溢れる。

 魔族との命懸けのやりとりだけでなく、何も知らぬ人間たちの動向にまで気を配らなければならないとは。想像していた以上に、自分たちが置かれた立場というのは複雑なもののようだった。

「確かにそうだな。魔族がいつ町の方へ向かっても不思議はないのだし」

 レーナがそう付言したことで、さらに皆の口まで重くなった。今までは、ただ幸運なだけだったのだ。取り返しのつかない事態に陥る前に、上にどうにか対処してもらわないと。このままでは、こちらの心労は増していく一方だ。

「人々の不安を煽るのは魔族の常套手段だしな。そちらの対策も練っておこう」

 それでもレーナが前向きにそう宣言したことで、幾ばくかは肩の重みが軽くなったような心地がした。今までの自分たちを思えば現金な話だと思う。

 シンは痛み出した頭を手で押さえつつ、モニター越しに降る雪をそっと見上げた。

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