第8話「じゃあお願いされてくれる!?」

 待機当番ではない日の過ごし方というのは、個々人に任せられている。気持ちを切り替えろと滝たちには言われるが、それでものんびり過ごすのは難しいとシンは実感していた。

 だからこの頃は訓練室を訪れることが多かった。誰かしらがいるというのもあるし、少しでも身になることをしている方が落ち着くというのも理由の一つだ。だが今日はいつもとは違う面々が、訓練室に集まっていた。

「ミケルダさん、お願いしますよー」

 真っ白な部屋の中に集まっているのはゲットだ。彼らが取り囲む中央でたじたじになっているのはミケルダだった。先日顔を見せたばかりなのに、また遊びに来たらしい。梅花が「下に来すぎだ」と注意していたのもよくわかる。

 どうしたものかとシンはちらと視線を右手にやった。そこには珍しくもレーナたち五人が揃っていた、これもまた話しかけにくい組み合わせだ。

「先輩たちに迷惑をかけるわけにはいかないんでございます!」

「そうそう。ミケルダさんならコツもわかるでしょ? 本気でやっても死なないし」

「……いや、君たちひどくない? オレのこと何だと思ってるの?」

 ゲットの面々は気安くミケルダにおねだりをしている。それだけ宮殿ではミケルダと親しくしていたということか。

 シンにとってはぴんとこない部分だった。上の者というのは近寄りがたい存在だと思っていたし、今でもそう感じているところはある。しかしゲットからはそういったものが読み取れない。

「あ、シン先輩。おはようございます」

 そこではっとしたように振り返ったサホが、ぺこりと頭を下げた。訓練を受ける気満々といった様子で銀の髪をきっちり結わえた少女は、もうシンたちの名を覚えたようだった。誰に声をかける時も呼びかけに戸惑っている様子を見たことがない。

 当初の自分たちのことを思い出すと、素直に感心する。

「ああ、おはよう」

 何気なく一歩を踏み出せば、靴音が思いのほかよく室内に響いた。アースたちがこちらへ視線をくれたのが、視界の隅に映る。妙な緊張感を覚えるのはどうしようもないだろうか。特に、いまだアースのあの眼差しは威圧的に感じられる。

「あーもう、ちょっとそこの君助けてよ。オレ、五人の相手とか無理なんだけどさ」

 まるで助け船が来たとばかりに、ミケルダはシンへと懇願してきた。さほど言葉を交わした記憶はなかったが、そんなことは意に介していない様子だ。

 この人懐っこさが彼の特徴だろうか。だから人間の中に混じっても和気藹々とできるのだろう。あのシリウスとは違う意味で、人間との距離が近い。

「いや、オレに頼まれても……」

 頬を掻きつつ、シンはゆっくりとミケルダたちの方へ近づいていった。そしてもう一度レーナたちの方を横目に見た。訓練を頼むなら、一番適任なのは彼女たちではないか。

 もっとも、シンたちはそんなお願いをするような立場にはない。武器を作ってもらい、こんな住処まで用意してもらってなお、完全に信用できないと主張する傲慢な自分たちが、さらに何かを求めるというのはさすがに図々しすぎる。

「あ、そっか。レーナちゃんたちに頼めばいいのか」

 するとミケルダはぽんと手を打った。まるでシンの思いを読み取ったかのようだ。ドキリとしたシンが口を開くよりも早く、片手を上げたミケルダはぱっと笑顔になる。

「おーい、ねえねえ」

「……思いっきり聞こえている」

 満面の笑みでひらひらと手を振るミケルダに、苦笑を殺しながらレーナが答えた。シンは思わず勢いよく振り向く。

 壁際で右手を腰に当てていたレーナは、こちらを肩越しに見遣り困ったように微笑んでいた。その後ろでアースがこちらを睨み付けているのはいつものことか。カイキ、ネオン、イレイは困惑を双眸に宿しながら口をつぐんでいる。

 どうしたって彼らと自分たちの間に距離があるのは埋められない。

「じゃあお願いされてくれる!?」

「だ、そうだが。われはこれから調整の依頼があるんだ。相手してくれるか?」

 それなのに驚くことに、レーナはそんな提案をアースたちへと向けた。アースは片眉を跳ね上げ、カイキとイレイはあからさまに驚きの気を滲ませながら眼を見開く。ネオンは絶句していた。

 彼らがどれだけ喫驚しているのかは、シンにも想像できる。

「せっかくだし、四人でブルーやってみないか? われが近くにいれば、たぶんそれだけでもかなり安定する」

 朗らかに微笑んだレーナへと、四人は何か言いづらそうな気配を漂わせた。ブルーというのは、あの『青い髪の男』のことだろうか?

 無世界で襲われた時のことなら、シンもよく覚えている。しかしまだ半年ほどしか経っていないのに、リンと二人で夜道を駆けたあの日がずいぶんと昔のことのように感じられた。

「え、相手してくれるん!?」

 沈黙が生まれかけたところ、嬉々とした声が訓練室に響いた。ゲットのスイだ。シンはまだまともに話をしたことがなかったが、ダンと二人組になった人見知りしない性格であることは聞いている。

「やったーな! アキセにーさん、わいら幸せ者だ」

「いや、まだ決まったわけじゃ……」

「本当ですよ、アキセさん。スイさんの言う通りですよ」

 にわかに空気が変わった。勝手にゲットの一部が盛り上がっていくのを、シンは呆然と見守っていた。違和感がじわじわと内に広がっていく。

 が、ふと思い直した。そうか、彼らはレーナたちと戦ったこともなければ、狙われたこともないのだ。どのような話を耳にしているのかは知らないが、おそらくミケルダに対する感覚と似たような思いしか抱いていないのだろう。

 人間ではない、それでもこの戦いでは欠かすことのできない存在だと。

「ご迷惑かもしれませんが、お時間があるならお願いします」

 今度はレーナたちの方へと振り向いたサホが、再び丁寧に頭を下げた。さすがのアースたちも、面と向かって懇願されればすげなく断ることはできないらしい。戸惑いの空気を纏ったまま、目と目を見交わせている。

「あ、ああ」

 渋々といった様子でアースが了承を告げたことで、この勝負はミケルダやゲットの勝ちとなった。

 カイキとネオンはいまだ困惑を顔に貼り付けているが、イレイは何故だか嬉しそうに瞳を輝かせる。その横で、レーナはどこか満足そうな目をしていた。

「強くなってもらうのがわれの願いだからな。そのために協力してもらえると、とても助かる。よろしくな」

 破顔したレーナにそう言われたら、もうアースたちは文句も言えないだろう。ミケルダが両手を振り上げて喜ぶのが、シンの視界に入った。こんなにわかりやすくていいのだろうか。それともこれは一種の演技か?

「もちろん、怪我しない程度に」

 周囲へと視線を巡らしたレーナが、最後にシンの顔もちらりと見た。その深い双眸に全てを見透かされたような心地になる。シンは固唾を呑んだ。

 水を差すなと言われたわけではない。だがここではシンの方が異端なのだと、知らしめられた気分だった。

 ゲットにとってレーナたちが敵ではないように、アースたちにとっても、ゲットはこの基地に転がり込んできた変な技使いでしかない。疎まれてもいないのに毛嫌いする理由など互いになかった。

 アースたちは、レーナのためにしか動かない。レーナは神技隊を守りたいと思っている。ならば神技隊が彼女たちに距離を置く理由など、本当はないのかもしれない。

 そんな単純な話を当初の印象が複雑なものにしているのだと、改めてシンは突きつけられた心地がした。先日短剣に感じた重みを思い出しながら、彼はそっと右の手のひらを見下ろした。




「何でこんなとこに来るんだよ!」

 焦燥感の滲むミツバの声が、辺りにこだました。

 ヤマトとバインの山間、草木が茂る場所となると、この時間ではろくに夕日も差さない。夜特有の冷たい空気が肌に張り付き、滝の顔を曇らせた。空から降り立つなりこの寒さだ。長居はしたくないと彼は奥歯を噛む。

 魔族は九人だと聞いているが、巨大結界の隙間を抜けた途端姿を消してしまった。これは予想外だった。レンカが転移の気配を掴んでくれたおかげでここまで一気に飛んでこられたわけだが。一体彼らの狙いは何なのか?

「滝、右手に!」

 レンカの声が山間に響く。振り向きざまに滝は剣を構えた。藍色の影が落ちた木々の合間に、薄黄色の衣が見えた。黄蘗色の髪をなびかせた長髪の男だ。その手の先に水色の光弾が生まれるのがわかる。滝は咄嗟に結界を張った。

「場所が悪いな」

 吐き捨てるように滝は呻く。視界や足場が悪いと接近するのも困難だ。かといって光弾や矢の形も使いどころが限定される。これだけ燃えるものがある場では火にも注意だ。

 生み出した結界が光弾を弾いた。その時には既に、男は動いていた。右奥へと飛び退りながら、今度は黄色い光球を放つ。

 水系の次は雷系か? 魔族は破壊系ばかり使ってくるのだと思っていたが、そういうわけではないらしい。いや、違う目的があるのか?

「山火事注意か。そろそろ雪の心配をする季節だってのにな」

 踏み込んだ滝は、剣で光球を弾いた。真っ二つに割れた球の一部が、傍の木にぶつかって焦げた臭いを漂わせる。かすかに立ち上った煙が冷たい空気を揺らした。

「ラフト、深追いしないで!」

 次の瞬間、遠くでカエリが叫ぶ声が聞こえた。やはり、こちらの戦力分散が狙いか? 日もどんどん暮れていく中で互いの位置が掴めなくなるのは余計にまずい。魔族は転移が使えるが、こちらは無理だ。

「レンカ! 上から相手の位置掴めるか!?」

 敵が逃げていくのなら、まずは状況確認が先決だ。滝が声を張り上げれば、レンカにも届いたらしい。短い了承の返事が響き渡る。

 しかしいくら彼女とはいえ、一人での行動にはやはり危険が伴う。滝は踵を返した。長髪の魔族の動きは気になるが、彼女から距離をとるわけにはいかない。

 すると背後で気が膨らむのが感じられた。長髪魔族だ。なるほど、おびき出されてくれないのなら力業で来るのか。後方を気にしながらも、滝は倒れた巨木を飛び越える。ざわざわと揺れる木々の葉のさざめきに、かすかな違和感が混じった。

 来る。反射的に滝は結界を生み出した。ばちりと、何かが爆ぜるような音がした。視界の端で黄色い光が瞬く。今度も雷系か? あの魔族は雷系が得意なのかもしれない。

 それでも立ち止まるわけにはいかないと、滝は草をかき分けつつ走った。こんな辺鄙な場所に来てしまったから、応援が来るまではしばらく時間がかかるはずだ。それまでは自分たちだけで乗り切らなければ。

「今ここにいるのは五人よ!」

 不意に、上空からレンカの声がした。つまり、滝を追いかけている長髪魔族の他に四人いるのか。ラフトたちが追っているのが一人か複数かはわからないが、当初は九人だったはずだ。数が合わない。

 どこかに潜んでいるのか? それとも別の場所に向かったのか? 魔族の気が遠方で感じられないところをみると、別の場所で暴れている可能性はないだろう。

 しかし、もしそんな事態になったら? 飛んでいくにしても多少の時間を要する。その場合は基地に待機している仲間たちに任せるより他ないか。

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