第9話「感傷に浸ってる場合じゃないな」
「よし」
レンカの姿が目視でも確認できるようになったところで、滝は足を止めた。ちょうど生い茂る木々が途切れた場所だ。動くのにも好都合だろう。
振り返りざまに剣を横薙ぎにすれば、鋭い一閃が黄色い光球を切り裂いた。ばちばちと火花の散るような音を立てながら、光球は空気へと還る。
風が生まれ、長草が大きく揺れた。立ち並ぶ木々の向こうに薄黄色の衣が垣間見えた。ここまで律儀に追いかけてきたのか。
「オレが一人だからか?」
相手の考えは読み取りきれないが、やるべきことは決まっている。再び光弾を放つ魔族へと、滝は一歩を踏み出した。この男の動きは単調だ。捻りがない。ならば対処はしやすい。
次々と放たれる光弾の波に向かって、滝は剣を振るった。精神を集中させれば、剣の切れ味が鈍ることもない。次々と爆ぜ割れていく光の中を、一気に突っ込む。そして飛び退ろうとする男の足目掛けて、左の手のひらを向けた。
土系は得意ではないが、使えないわけではない。この環境なら、少しの変化でも意味がある。
地面が盛り上がる気配に、男の動きが一瞬遅れる。その隙をついて跳躍すれば、一気に距離は縮まった。男の金の瞳に自分の姿が映し出されるのがわかる。
滝は躊躇せずにそのまま剣を振り上げた。手応えがあった。くぐもった悲鳴と共に、薄黄色の衣が血で染まっていく。
血しぶきの熱さ、臭いはやはりまだ慣れない。それでも逡巡せずに滝は剣をさらに突き立てた。間近から苦々しい気が突き刺さった。
草むらへと倒れ落ちる男の体から剣を引き抜くと同時に、滝は後ろへ飛ぶ。薄暗くてよかったと心底思う瞬間だ。鮮やかな赤を見なくてもすむ。
「感傷に浸ってる場合じゃないな」
着地した滝は瞳をすがめた。ここで安堵している時間はない。敵はまだいる。
もう一度頭上を仰ぎ、滝は唇を引き結んだ。レンカが精神を集中させているのはここからでもわかる。おそらく残りの敵を炙り出したいのだろう。
「レンカ! ラフト先輩たちは!?」
声を張り上げつつ、滝はまた駆け出した。誰がどの辺りにいるのかおおよその方向はわかるが、木々のせいもあり正確な距離が掴めない。駆けつけるとしてもすぐには無理そうだ。何より足場が悪い。
「サイゾウとレグルスが向かってるわ! 滝は左手のコブシたちの方をお願いっ」
すると即座にレンカの声が返ってきた。確かに、慎重に探ればサイゾウたちの気が動いているのが読み取れる。ならばそちらは任せた方がよいだろう。コブシとコスミは近距離戦向きではないから、この地形ではさらに不利になりそうか。
太陽はもうとうに山の向こうだ。かろうじて日の光の名残が雲を照らすばかり。辺りはすっかり夜の匂いに包まれていた。足下はほぼ見えない。
気の感知を怠らないよう気をつけながら、滝は先を急いだ。
ホシワとミツバも戦っているようだが、そちらは気にしなくても大丈夫だろう。相手は一人だし位置も山奥ではない。ホシワがいるから魔族の誘導に乗って深追いすることもないはずだ。
上空ではレンカがこちらにあわせて移動してくれている。彼女の目と察知力があれば最悪の事態には陥らない。問題があるとすれば、姿が見えない魔族だ。彼らはどこに潜んでいるのだろう。
だからといって、いつまでも考え事をしている状況ではなかった。木々の向こう、やや開けた場所に立つコブシの姿が見えた。彼の気に焦りが滲んでいるのは明白だった。
「コブシ!」
一声かけつつ滝は大きく跳んだ。と同時に、前方の魔族の気が二つに増える。また転移してきたのか?
後退するコブシと入れ替わるように、滝はそのまま踏み込んだ。薄暗い林に潜むように構える魔族が二人。灰色と黒の揃いの衣服に身を包んだ、細身の男たちだ。顔立ちがよく捉えられないせいもあり、双子のように見える。
灰色の男が左手を、黒い男が右手を振り上げた。しかし滝は動じなかった。上空で気が膨らむのを察知したのか、灰色の男の方が動きを止める。
そう、レンカがいる。彼らがあの林からこちらへと出てくれば、レンカの技が容易に届くようになる。
滝は左手で結界を生み出した。ついで、右方で片膝をついていたコスミの方を確認する。血の臭いがしないところをみると怪我はなさそうだ。
滝は視線のみで援護に回るよう合図した。上空と後方からを警戒しつつとなれば、あの魔族たちも動きがとりづらくなるだろう。
と、空気が揺れた。透明な膜に、黒い男の放った光弾が直撃する。弾け飛ぶ黒い光は破壊系の証だ。滝は気を引き締める。破壊系はかすっただけでも致命的となることがある。
不意にぶわりと、上空から風が吹いた。レンカの技だ。その意図は滝にもすぐに掴めた。ざわざわと揺れる木々が、男たちの動きを阻んでくれる。
――こうなると使える技が限られる。次の手が予測しやすくなる。
体勢を低く維持し、滝は草むらの中を一気に駆けた。灰色の男の手が動く。レンカが直接は攻撃してこないと踏んだのだろう。だが甘い。そう思わせることもあの風の目的だ。
灰色の男が放った白い光弾は、突然目の前に現れた結界によって霧散した。おそらくコスミの技だ。
ついで黒い男が真っ黒な矢を放つも、それらを滝は全て剣で叩き落とした。ああいった矢は曲がらないから、木々を避けての攻撃は読みやすい。
刹那、上空でレンカの気が膨らんだ。ほぼ同時に、揺れる木々の間を縫うように青い矢が地面へと降ってきた。
風は矢の通り道のために生み出されたと、男達もようやく気づいたのだろう。灰色の男は動きを止め、黒い男は慌てて草むらへと飛び出してくる。
その隙を滝は見逃さなかった。無謀にもこちらの間合いに入った黒い男目掛けて、素早く剣を振るう。
身を捻ってそれを避けようとした男の胴を、切っ先が捉えた。想像したよりも固い肉の感触に、思わず滝は奥歯を噛む。自分が斬っているのは霞ではないと知らしめられた気分だ。
それでも腹を決めて、ふらついた男の背中を切り上げる。と、林から灰色の男の悲痛な声がした。こちらへ来られないのは上空からの矢がまだ止んでいないせいだろう。レンカの援護は的確だ。
寸刻の間をおいて、黒い男が光の粒子となって消えた。その向こうに、灰色の男の双眸が見えた。憎しみをたたえた、確かなる意思のこもった眼差しが、真っ直ぐ滝を捉えていた。
――襲ってきたのはそちらだろう。そう叫びたくなるのを滝はすんでのところで堪えた。言っても詮のないことだ。確かに、滝は今ここであの黒い男の命を奪ったのだから。
そう思ってはいるのに、突き刺さる恨みの気に何かが削り取られるような錯覚に陥った。それでもその場で立ち尽くさずにすんだのは、上空からまた青い矢が降り落ちてきたからだ。
弾かれたように灰色の男が結界を生み出す。その横顔を凝視しながら、滝は一気に林へと飛び込んだ。
彼らをここで逃すことが何を意味するのか考えれば、追い払う以外に道はない。帰ってくれないのなら倒すしかない。そう考えれば、迷いは消えた。
矢が途切れる瞬間を狙って、滝は剣を振り上げた。後退ろうとした灰色の男の右手に光が宿る。まさかこの距離で光弾を放つ気か?
だがそれが男の手を離れることはなかった。勢いよく落ちてきた巨大な青い光弾が、男の体に直撃する。声なき悲鳴が響き渡った。思わず足を止めた滝は頭上を仰ぐ。
「レンカ?」
瞳をすがめれども、レンカの姿はうっすらとしか捉えられない。揺れる木の葉の向こうで、彼女が何か言いたげな気を纏っているのだけがわかった。だがそれだけは何を伝えたいのかまでは読み取りきれない。
「滝先輩、助かりました」
「ありがとうございます」
当惑した滝が息を吐いていると、よろめきつつもコスミ、コブシが近づいてきた。はっとして肩越しに振り返った滝は、まず相槌を打つ。よく見れば彼らの服は土だらけだ。
二人の魔族が相手となると、手遅れになる可能性もあった。そのことを再び滝は意識する。
特に苦もなく倒しているような気がしているが、一歩間違えれば誰が死んでもおかしくない状況なのだ。そのことをつい忘れそうになっている。
「いや、無事で良かった」
心底そう感じた滝は、わずかに口角を上げた。それでも先ほど見たあの剣呑な眼差しは、しばらく忘れられそうになかった。
途方に暮れた滝たちは、基地の傍に集まっていた。既に日は沈み、辺りには冷たい風が吹き荒れている。動きやすさを重視した装備ではますます凍えそうだ。指の先もかじかんできた。
どうすることもできず顔を見合わせていると、基地の扉が開いた。中から顔を出したのはレーナだった。
彼女の姿を見るとほっとしている自分に滝は気がつく。いつからそうなったのだろう? だが判断を仰ぐ相手がいるというのは、今の滝にとっては大いなる救いだ。
「レーナ……」
「すまないな。われも気を探ってみたが、どうにも見つからない。オリジナルたちにも探索してもらったが同様だ」
レーナは頭を振った。その言葉に、幾人かが落胆の吐息をこぼす。
魔族が消えた。そうとしか表現できなかった。最初に確認した魔族が九。滝たちが確実に倒したのは五。ラフトとカエリが追っていた魔族に関しては、その姿を途中で見失っていた。そもそもどこに降り立ったのかわからない魔族もいる。
「くそっ、オレたちが手間取ってるから」
ラフトが悔しげに拳を震わせるのが、滝の視界に入る。だがそれ以前に既に居場所がわからなくなっている魔族もいるから、彼らのせいではないだろう。
「気を隠してるってこと?」
隣へと並んだレンカが首を捻った。そうとしか考えられない。だが腕を組んだレーナは、訝しげな気を漂わせながら小さく唸る。何か引っ掛かることがあるらしい。
「気を隠していれば、確かに感じ取れなくなるが。それでも移動する際にも完全に気を隠しきるのは難しい。転移を使えばなおのことだ。何らかの痕跡が残るはずだ」
「……そうなの?」
「潜んだまま巨大結界を抜けるためには、何かしらの工夫が必要だ。抱えられて移動するとかな。あとは微細な気を隠すような装備とか――」
「あ!」
そこで突としてコスミが声を上げた。その声量に、滝はびくりと肩を震わせる。彼女がそんなに大きな声が出せるとは知らなかった。皆の視線が集中したことに気がついたのか、慌てたコスミは居心地悪そうに肩をすぼめる。
「何か気づいたの?」
すかさず助け船を出したのはレンカだ。その場で固まったコスミの顔をのぞき込み、うっすら微笑んでいる。安堵したように頬を緩めたコスミは、おずおずと口を開いた。
「そういえば、あの魔族が、何かそういう特別な上着を作ったみたいなことを、言っていた気がして……」
「あの魔族?」
「ミスカーテっていう、あの赤い髪の」
怖々と口にされた名に、滝の鼓動は跳ねた。あの蛇のような眼差しを向け、小瓶を手にした凶悪な魔族。五腹心直属を名乗る男。彼もいつかまたこの星に来るのだと考えるだけで、背筋が凍る思いがする。
「なるほど、ミスカーテか。あいつなら特殊な何かを作り出しているかもしれないな」
沈黙が生まれかけたところで、相槌を打ったレーナは顎に手を当てた。つまり、この魔族の襲来にあのミスカーテが噛んでいるということなのか? ますます肌が粟立つ。
「まさかまたどこかに潜んであの奇病を流行らせる気なのか?」
抑揚の乏しい声で、サイゾウが独りごちるのが聞こえた。滝は息を呑む。確かにミスカーテが本格的に動き出す前に奇病騒ぎがあった。あれはどうやらミスカーテの作り出した毒による症状だったらしい。
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