第3話「先手必勝ってことでしょ?」

 何故だか早くに目が覚めた朝だった。朝食をとるにしても早すぎるし、かといって寝直す気にもなれなかったシンは、身支度を調えると中央制御室に顔を出した。

 理由は単純で、そこに数人の神技隊が集まっていたからだ。リンとホシワ、ミツバという組み合わせは珍しい。首を捻りつつも扉が開けば、ふわりと香ばしい匂いが漂ってくる。いつもの珈琲とは違う、もう少し甘やかな香りだ。

「シン、おはよー!」

 真っ先に振り返って挨拶をしてきたのはミツバだった。緑の瞳を輝かせた彼の手には白いカップがある。確かローラインが選んだものだと、シンは記憶を掘り返す。内側に花が描かれた、曲線美を追求した一品だという。

「おはようございます。先輩たち早いですね」

「昨日の試合、僕ら最後だったでしょ? 疲れてそのまま早く寝ちゃって。そしたらこんな時間に目が覚めてさー」

 にこにこと笑うミツバと揃いのカップを、隣にいるホシワも手にしていた。そう言われれば、昨日はホシワとミツバ、ヒメワとローラインの対戦が最後の試合だった。

 この大会も本日で十四日目。明日で最後の試合というところまで来た。徐々に疲れも溜まってきており、試合を観戦する人の数も疎らになっている。

「だからお茶を淹れてきてみたの。シンも飲む?」

 そこでひょっこり、右手からリンが顔を出した。大きな盆に丸いポットを乗せた彼女は、脇に置かれたテーブルへと一瞥をくれた。そこにはまだ幾つか白いカップが置かれている。部屋に漂っているこの香りは、彼女が淹れたお茶のものだったのか。

「疲れもとれる、気分も上がるお茶なんだから」

「危ないものは入ってないよな?」

「当然でしょ」

 リンはこんな朝から上機嫌だ。明日にはよつきとジュリという、また強敵と戦う試合が残っているというのに、その気負いも感じられない。

 彼女の強さというのは、この精神的な打たれ強さ、回復力にあるような気がしている。すぐに精神系が使えるようになるという適応力、飲み込みの早さもすさまじいが、めげず諦めず現実的に前向きに物事を考えるところが、誰にも真似できない点だ。

「ああ、じゃあもらおうかな」

「そうこなくちゃ。最後まで大事な試合があるからね。ぐったりしているわけにはいかないでしょ」

 シンが制御室の中央へ足を進めれば、リンはテーブルの方へと移動する。相槌を打ったシンは、窓代わりとなっているモニターへと視線を転じた。

 ようやく草原の向こうから太陽が顔を出し、うっすら世界が色づき始めたところだ。仲間たちが起きてくるのはもうしばらく後になるだろう。この時間も動いている気はレーナたちくらいだ。彼女らには睡眠が必要ないというから当然か。

「リンのこのお茶美味しいよねー」

「本当ですか? よかった。ジュリとメユリちゃんが持ってきてくれたものなんですよ」

「メユリちゃんって、あのしっかりした子どもだよね? すっかり馴染んじゃって」

「はい。よつきにも懐いてるのをジュリが警戒していて、私はちょっと面白いです」

 ミツバとリンの朗らかな会話が室内に響く。シンは再びそちらへと目をやった。ポットからカップへと注がれる赤茶色の液体から、ふわふわとした湯気が立ち上っている。どうやら淹れたばかりのようだ。

「よつきはコブシたちにも崇拝されてるもんねー」

「崇拝は言い過ぎでしょう。でもまあ、むやみやたらと信頼されている感じですよね。その様子を見たアキセの顔、ミツバ先輩知ってます? この世の終わりみたいでしたよ」

 ホシワが無口な分、ミツバとリン二人の掛け合いが続く。シンはもう一度モニターを見上げた。

 夜と朝の間に生まれるこの微妙な色合いを見かけることが増えた気がする。それだけ季節が冬に傾いたのだろう。そのうち雪の心配をしなければならない。ここらはヤマトよりもよく降るのだろうか?

「アキセって、あのゲットの?」

「そうです、ゲットのリーダー。ちょっと髪の長い人。よつきが下僕扱いしてたとか」

「えーそれ本当? リンはそんなことどこで聞いてくるのさ」

 ミツバが大袈裟に笑い声を上げた、その時だった。突然ホシワが大仰に振り返った。その勢いに目を見張りつつ、半分無意識にシンは辺りの気を探る。そして息を呑んだ。

 こちらへと真っ直ぐ近づいてくる気がある。レーナだ。だが普段よりもそこに硬いものが混じっている。

「神技隊、いるな」

 音もなく扉が開くと、つかつかとレーナが歩み寄ってきた。いつもの笑顔がないだけで得も言われぬ緊張感が辺りに満ちる。シンたちが何も言えずにいると、ポットを置いたリンが相槌を打った。

「ええ、何か?」

「ちょうどよかった。さすがに叩き起こすのは忍びないからな。魔族が来るぞ」

 そのままモニター下へと向かったレーナの背中を、シンはまじまじと見つめた。何を言われているのか、一瞬理解できなかった。魔族。その単語だけが頭の中をぐるぐると回る。

「宇宙で動きがあった。今はアユリの巨大結界の外にいる。穴の位置を確認しているんだろう。じきに侵入してくるぞ」

 モニター下に設置された謎のパネルを操作しつつ、レーナはそう説明した。一気にシンの背筋は冷たくなる。

 ずっと先の未来の話ではないかとさえ思っていた魔族の襲撃が、もう目と鼻の先にあるのか。顔が強ばりそうになるのを止められなかった。

 と、それまで外の景色を映しだしていたモニターが黒く染まった。たったそれだけのことで鼓動が跳ねる。

「幸いにも数は二。少ないな。巨大結界を超えたら転移で乗り込んでくる可能性が高い。その前に迎撃準備をしておいた方があちらの戦意を殺げると思う。出られそうか?」

 静かに振り返ったレーナは、そのままうっすら微笑んだ。一瞬の間があった。口の中がからからになる。側にいたホシワが息を呑む気配が感じられた。

「行けるわ」

 それでも声を上げたのはリンだった。彼女が頷くことで、突として時が流れ出す。彼女は景気の良い靴音と共にこちらへ近づいてくると、ぐっと拳を握ってみせた。

「先手必勝ってことでしょ?」

「ああ、それなら助かる。今から緊急放送をかけるつもりだが、寝ぼけた奴らを送り出すのはさすがに心配だからな。寝間着じゃ意味がないし」

 悪戯っぽく微笑んだレーナの声に、シンははっとした。そうだ、誰かが出なければならないなら、既に身支度まで調えている彼らが適任だ。戦闘用着衣でない点は気がかりか。

「武器は?」

「持ち歩いてたのはたぶん私だけね、短剣だから。装備もないわ」

 腰の鞘に触れたリンは、ちらとシンへ一瞥をくれる。確かに、彼も普段から剣を持ち歩いているわけではない。試合の前くらいだ。そのことをまさかここで後悔することになるとは。

「それなら他の神技隊の準備が整ったら交代だな。それまででいい。無論、あっさり退けてしまってもいいが」

 レーナがひらりと手を振るのを、シンは不思議な心地で見つめた。そんな冗談を口にできるような余裕があるのだろうか? 魔族という存在の一般的な力を、彼はよく知らない。魔獣弾の時にはそもそも魔族というものをわかっていなかった。

「おいおい、そんな顔するな。相手は巨大結界の穴を探るのにもこれだけ時間を掛けている小物だ。お前たちの方が強い」

 するとそんな心中を見透かすような言葉が投げかけられた。ぎくりと体に力が入る。シンは思わず、黙りこくっていたミツバと目と目を見交わせた。ミツバも不安と驚きを足して二で割ったような面持ちだ。心境は同じだろうか。

「そうね、精神系も使えるようになったし。ここは余裕で勝利して相手の出鼻をくじいてやるところね」

 そんな中、一人強気な発言をしたリンが口の端を上げた。やはりこういう時の彼女は頼もしい。彼女がいればなんとかなると思ってしまうくらいには、緊張がほぐれる。だが彼女ばかりに任せてもいられないと、シンは拳を握りしめた。

「じゃっ、行ってくる。シンも来てくれるでしょ?」

「ああ、もちろん」

「僕らだって行くよ!」

「後輩だけを行かせるわけにはいかないな」

 歩き出したリンへと、シンは相槌を打った。ミツバたちの声にも活気が戻っている。これなら大丈夫だろう。二人組が揃っていたことも不幸中の幸いだろうか。

 できるだけ前向きになる材料を頭の中に並べながら、シンは踵を返す。剣を取りに行く暇がないのが問題だが、今は気にしても仕方がない。

「じゃあ援護よろしくお願いします」

 快活なリンの一言が中央制御室に響き渡った。走り出したシンは、黒くなったモニターをちらとだけ振り返った。




 十二月ともなると、朝方の草原は冷え冷えとした空気に包まれている。今日は風が強いため、なおさら寒く感じられた。

 基地から飛び出したシンたちはまず空を見上げた。気を探ってみたが、魔族らしき気配は感じ取れない。

 まだ結界の外にいるのだろうか? ほのかに青から紫へと染まりつつある雲の向こうに、何ら変哲などなかった。窓やモニターから見るいつもの朝と同じだ。

 ならばどうしたらよいだろう? 魔族が来るのを待つしかないのか? レーナは迎撃準備と言ったが、それは具体的にはどうすればいいのか。

「はい、シン」

 一度足を止めたシンが顔をしかめていると、横からリンの手が伸びてきた。突然何事かと視線を向ければ、微笑んだ彼女は鞘ごと短剣を差し出してきている。シンは目を丸くした。

「はいって……」

「使って。何もないよりはましでしょ? この場合は私が持っているよりもシンが持ってた方が意味があるわ」

 リンは特に気負いもなさそうに告げる。彼女は精神系が使えるから、シンが手にしていた方が魔族に傷を負わせることができる者は増えることになる。そうでなければ彼女にばかりとどめを任せる羽目になる。

 逡巡したシンは、罪悪感を押し込めながらも素直に受け取ることにした。ここは遠慮するよりも、勝率を上げる方を優先した方がいい。

「本当に来るのかな?」

 辺りをきょろきょろと見回したミツバが怪訝そうな声を出した。いまだに魔族の気配が感じられないとなると疑りたくもなるが。

 だからといってレーナが悪戯であんなことを言うとも思えない。何事もなければそれはそれまでだ。きっと巨大結界の偵察だったのだろう。

「うーん、レーナがああ言うなら来るんじゃないですかね。じゃあちょっと先手を打って挑発してみます?」

 首を捻るミツバを横目に、口角を上げたリンが右手を空へと掲げた。一体何をするつもりなのか? 問いかけるよりも早く、彼女の気が膨らんだ。すぐにその手のひらから青い一筋の風が放たれる。

 シンは唖然とした。空へと延びた青く輝く流れは、おそらく精神系の技だ。

「え、え、リン、本気!?」

 ミツバが動転するのと同時に、空で動きがあるのをシンは察知する。何者かの気が二つ、遙か頭上に現れる。これが魔族のものなのか?

「ほら来ましたよ。武器がないホシワ先輩やミツバ先輩は援護をよろしくお願いします。シン、私が牽制するから隙見て突っ込んで。あっちの体勢崩れたら畳みかけるわ」

 リンの判断は早かった。空へと一瞥をくれた彼女はそのまま両手を掲げる。まさか降りてくる魔族に向かって技を放つつもりなのか? いや、降りてくるように仕向けるのか?

 普通なら無理だと言いたくなるが、しかし彼女の扱う風ならばそれも可能だろう。広範囲に渡り相手の行動を制限するのが、彼女の得意技だった。

「来るぞ」

 ホシワの警告に頷き、シンは精神を集中させた。リンたちがそこまで冷静なら、シンの肝も据わる。大丈夫だ。背中を押すレーナの言葉を脳裏で繰り返しながら、彼は自らにそう言い聞かせる。

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