第2話「できるできないの問題ではない」
ラウジングとは違い、二人は隙を見ては息抜きをする方だ。すると彼女はちらと横目でこちらを見遣った。
「ふーん。でもミケが疲れてるのはただ忙しいからじゃないでしょう? ひょっとして梅花たちのこと?」
――ごまかせた。そう思ったのも束の間で、すぐに彼女はそう切り込んできた。ミケルダは思わずぎくりと体を強ばらせる。
まさか彼女にそんなことまで言い当てられるとは思わなかった。いや、彼女だからか。長年の付き合いというのは侮れない。彼は目を逸らしながら耳の後ろを掻いた。
「いや、それは……」
「私たちが考えたって仕方ないわよ?」
ずいと彼女が詰め寄ってくる気配に、彼は思わず半歩下がった。だが柱が邪魔でこれ以上後退ることはできない。視線を落とせば、白い床に映り込む自身の姿が揺らいで見えた。
彼女の主張に異を唱えたいわけではない。彼がいくら心配したところで、事態が変わるはずもなかった。何かが起こった時、彼にできることは限られている。それなのにあれこれと心を向けるのは無駄な行為だ。
「それは、わかってるんだけど」
「本当にわかってる? 今から心配したって手の打ちようなんてないんだから」
「……カールに説教されるとはなぁ」
彼が肩をすくめると、彼女は頬を膨らませてむっとした。そうした表情が子どもっぽいと揶揄されているのはわかっているだろうに。それでも彼女は言動を改めるつもりはないらしい。
時の概念から切り離されている彼らにとって「大人」だ「子ども」だと表現するのもおかしな話ではあるのだが。
「なによーその言い草!」
「馬鹿にしてるつもりじゃないさ。まあ、ありがとう。ちょっと元気出たかも」
苦笑を押し殺した彼は、ぽんぽんと彼女の頭を軽く撫でた。話を切り上げる時の一つの手法だが、本音も混じっていた。
人間たちを巻き込むこと。この星を戦場とすること。そして育ててきた技使いたちを、その矢面に送り出すこと。
考えれば考えるだけ背中の重みが増していく一方だが、彼が悩んだところで何も変わらないのは確かだ。彼らにはそれらをどうこうする権限はない。ならば少しでも、人間たちが生き残れるよう、強くなれるようにと心を配るだけだった。
「そうだよな。オレたちに今できることなんて限られてるよな」
悩んでいるよりも、精一杯のことを。少しでも傷つく者たちが増えないように。振り返ってはそう何度も確認しているはずなのに、時々めげてしまうのは何故だろうか。
するとカルマラは勢いよく首を縦に振った。その瞳がきらきら輝くのを見て、ミケルダは嫌な予感を覚える。
「そうよ! だからね――」
「でも宮殿で悪戯するのはなしだからな」
すかさず釘を刺せば、目を丸くした彼女は一歩後退した。手を胸の前で交差させ口をわなわなと震わせる姿は、時折見かける仕草だ。
「な、何でわかったの!?」
「わかるだろ。カールの習慣みたいなものなんだから。それでこっちの評判落とすのはそろそろ止めにして欲しいんだよなぁ」
彼が半眼になってじろりと睥睨すれば、今度は彼女の方が目を逸らした。両の指先を絡ませながら「あのー」だの「それはー」だのと意味のない言葉を繰り返しているのも、いつものことだった。彼女には言い訳する才能がない。
「だ、だって楽しいでしょ」
「やってる方はね。だけど今は下もピリピリしてるんだから、火に油を注ぐのは止めてくれよな」
彼女の額をつついてから、彼は大仰に嘆息した。こちらの緊張感、慌ただしさは宮殿内にも瞬く間に伝播する。新しい神技隊結成の件も無理やり押し進められていたため、疑念と混乱が渦巻くのも必至だった。そこをこれ以上かき回すような真似だけは避けなければ。
「はーい」
「本気でわかってる?」
「わかってるって!」
ぶんぶん首を縦に振る彼女に、彼は微苦笑を向ける。罪悪感を覚える間もなく振り回されていた方が楽なのかもしれない。そんな考えが浮かんだことは、黙っておくことにした。
直線階段をゆったりと下りてくるレーナの姿が、梅花の目に飛び込んできた。この時間、レーナがいつも屋上にいることはわかっている。しかし今日はその傍にもう一つの気が加わっていたことにも気がついた。――シリウスだ。
彼が時折レーナの元を訪れているのは珍しいことではなかったが、それでもなんとはなしに胸騒ぎがあった。
だからひっそりと様子を見に来たのだが、正解だったらしいと梅花は察する。目が合った途端顔をほころばせたレーナの纏う空気は、どこか普段とは違った。
「オリジナル。どうかしたのか?」
「もしかして、シリウスさんは行ったの?」
手すりに触れて小首を傾げたレーナへと、梅花は単刀直入に問いかけた。
いつかシリウスはまたこの星を離れるのではないか? そんな思いが梅花の中には常にあった。彼の力を必要としている者は多いはず。神としてはこの星を優先したいと考えるだろうが、しかしだからといって他所を放っておいてよいとも言いにくいのが現状だろう。
魔族が大量の精神を集め出したら厄介だ。ミスカーテが表だって動けば、どの星だって大混乱に陥る。
「気がついたのか」
一瞬目を丸くしてから、レーナはくつくつと笑い声をこぼした。特段隠すつもりはなかったのか、その口元も柔らかかった。揺れる長い髪の軌跡が、差し込む朝日に照らされて艶やかに輝く。
屋上と四階をつなぐ階段はもちろんのこと、この廊下に足を運ぶような者はほとんどいない。汚れ一つない白い壁は、宮殿の廊下を思い起こさせた。
靴音一つ鳴らさず下りてくるレーナを、梅花はただじっと見上げた。指摘すべきではなかっただろうかと、わずかな後悔が胸に湧く。
きっとシリウスもこんなに早くには知られたくなかっただろう。だからこそ、この時間だったに違いない。その気遣いを思えば、知らぬ振りをしていた方がよかったのか。
「……ええ」
「まあ、気を完全に隠していたわけじゃあなかったからなぁ。詰めが甘い奴」
「でもシリウスさん、気づかれにくいように、このところ気を隠したり抑えてばかりいたでしょう?」
レーナの言い様に思わず反論してしまってから、しまったと梅花は内心で悔やんだ。それではまるで、以前からその可能性を常に考えていたと白状しているようなものだ。
シリウスは、何故か神技隊のことをいつもおもんばかってくれる。無闇な緊張感を生み出さないようにと配慮してくれている。そのこと自体はありがたいと思う。甘えてよいものかと悩む時も、実はあった。本当ならその思いを素直に受け入れるべきなのだろう。
「そこまでばれてたのか。シリウスの奴、知ったら苦い顔するだろうなぁ」
目の前まで下りてきたレーナは、さも面白いと言わんげに笑った。やはり言うべきではなかったか。居心地の悪さを覚えながら、梅花はそっと窓の外へと一瞥をくれる。
「まあ、お前たちにばれても、しばらく神々が気づかなければいいのか。一番の懸念はそこだからな」
と、顎に手を当てたレーナは一つ頷いた。思わぬ言葉に慌てて振り返った梅花は、大きく眼を見開く。ではシリウスはまさか仲間たちにも何も伝えずに出て行ったのか?
「え、じゃあ誰も知らないの!?」
「いいや、全員ではない。アルティードは知っている。が、うるさい奴らの一部の意見は無視して動いたらしい。結果的にはアルティードが黙認した形になるから、後が大変だろうなぁ」
レーナは他人事のように――実際彼女が責められるわけではないが――そう言いながら相槌を打った。上の関係がどうなっているのか梅花にはわからない部分も多いが、意見がまとまらないことも多いらしかった。だからだろう。
つまり、意見の一致を待っている暇はないという判断なのか。
「そんなに急がなきゃならないほど、宇宙は大変なの?」
梅花は眉根を寄せた。先日レーナたちから聞いた話から推測するに、まず魔族はこの星を狙ってくるのかと思っていたのだが。それよりも戦力を整える方を優先したのだろうか?
さらに梅花が首を捻ると、レーナは微苦笑を浮かべて曖昧に頭を傾けた。
「そういうわけではない。ただ不確定要素も多いので、早めに確認しておくべきだろうと」
レーナは言葉を濁した。どうも捉えづらい答えだ。違和感を抱いた梅花は、じっとレーナの双眸を見つめる。こういう時の彼女は、大概言いづらい何かを隠している。いや、隠しているという認識ではなく、今は伝えるべきではないと考えているのか。
「……そう。まあ、レーナやシリウスさんがそう判断したのなら、私たちがとやかく言うことではないわね」
結局、梅花は追及を諦めた。そもそもレーナたちの行動に口を挟むような立場にはない。どちらかと言えば加護を受ける側だ。
こんな基地まで与えられ、訓練する機会を得たというのに、自分たちはまだそれ以上を望んでいるのか。そんな自嘲気味な思いが湧き上がる。
「不安か?」
「……レーナは、ちっとも不安そうには見えないわね」
レーナの問いかけが、さくりと胸の奥に刺さった。内心を見透かされたようなこの居心地の悪さは何なのか。
また窓へと顔を向けた梅花は、横目でレーナの表情を盗み見る。悪戯っぽい声とは裏腹に、その眼差しは優しい。自分と同じ顔とは思えぬ、慈しみが滲んだ穏やかな表情だ。レーナのこの余裕はどこから生まれてくるのだろう?
「そりゃあ、いざという時は自分だけで何とかしようと思っていたくらいだからな。現状はわれが想定していたよりもかなり上々だ」
以前にも同様のことを口にしていたと、梅花は思い出す。レーナが想像していた最悪の状況とはどのようなものなのか。にわかに気になってくる。
まさかシリウスたちとも敵対し、神技隊らにも疎まれたまま、五腹心の攻撃から『鍵』や神技隊らを守るつもりだったのだろうか?
「本当に、自分だけで?」
「ああ」
「全部?」
「そうだな」
「レーナってかなり無謀なことまで考えるのね」
梅花は思わず苦笑を漏らした。事情がわかったからこそ、なおさら強くそう思う。無論、事態の大きさを知る前でも漠然と感じてはいたが。レーナが本当の最悪を想定して動いていたのなら、それはどんな覚悟の上に成り立っていたのだろう。
いや、どんな思いがあったところで、無理なものは無理だろうに。
「そうだろうな。だが、やらなければならない時はやる。できるできないの問題ではない」
レーナは悠然と首を振った。当然のごとくといった口ぶりだった。そうはいっても、誰にでも可能なことではない。
こんな時一人で乗り越えられたらと、梅花も一体何度考えたことだろう。誰の手も借りず、迷惑もかけずに何でもできたら……。しかしいくらそう願っても不可能なものは不可能であった。
「そんなのって現実的じゃあないわ」
つい本音がこぼれ落ちた。レーナ相手だとどこか遠慮がなくなってしまう。自分でも不思議だ。すると肩をすくめたレーナはわずかに眉尻を下げた。彼女がそのような顔をするのを初めて見たような気がして、梅花は息を呑む。
「しかしそれを時として可能としてしまうのが我々だ」
しみじみとしたレーナの声が、白い廊下に染み入った。梅花は瞳を瞬かせる。その我々にはどこまで含まれているのだろう? レーナたち? 神? 魔族? それとも神技隊も?
「我々は、気持ちであらゆる限界を超えてしまうことができる生き物だ。しかしそれは世界そのものに干渉するような行為だ。反動は大きい。オリジナルも気をつけろ」
破顔したレーナが何を言いたいのか、梅花は掴み損ねた。世界への干渉という意味がわからない。
それでも自分を案じてくれての言葉だということだけは確信できた。無茶をするなと何度も青葉に言われてきたが、それとはまた意味が違う。無理を重ね続けてきた者からの忠告。――ではレーナもその反動を受けたことがあるのだろうか?
「さあ、立ち話もこのくらいにしよう。そろそろ朝食準備だろ?」
しかしレーナはそれ以上は説明するつもりがないとばかりに、手をひらりと振って歩き出した。カツリとわざとらしく響いた靴音が廊下で跳ねる。
「レンカも動き出したぞ」
横を颯爽とすり抜けていくレーナの姿を、梅花は目で追った。揺れる黒髪、白い布の軌跡が、陽光を浴びて浮き立って見える。
「限界を超えるって」
それは具体的にどういう状態を指すのだろう。梅花がこぼした小さな呟きは、そのまま空気へと溶けていった。それで誰かを救えるならと思ってしまうのは傲慢なのだろうか。そう問いかけることは、今は憚られた。
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