第14話「読み間違えた方が負けるんだ」

 対魔族用の武器の依頼とその扱い方。

 魔族の来襲に対応するための見張り体制について。

 食事、掃除等の当番制について。

 書き出してみるだけでも気が重いことばかりで、滝は手にした紙を見下ろしてため息を吐いた。

 中央制御室の使い方を尋ねるのが目的だったが、そこでレーナから何の気なしに問いかけられたため、思い切り眉間に皺を寄せる結果となった。

 大体、何故自分にその話が振られるのか? わかってはいるが理解したくない現実と直面し、彼はまた頭痛を覚えていた。

 目新しい装置やボタンに満ち溢れたこの部屋にいると、いっそう気分が沈んでいく。これを「制御」できるのはいつのことだろうか。

「滝先輩、大丈夫ですか?」

 室内の前方に広がるモニターを見ていた梅花が、おもむろに振り返った。中央制御室に入った瞬間は真っ黒だったそれも、今は外の景色を鮮明に映し出している。まるで硝子越しに外を見ているかのようだ。

 無世界では似たようなものが普及していたが、神魔世界でも見かけることになるとは。

「ため息も今日で何度目かしらね」

 梅花の隣にいたレンカも、ふいと気遣わしげな双眸を向けてきた。口調こそ悪戯っぽかったが、本当に心配している時の声音だ。

「滝が気負っても仕方ないわよ? ……といってもルール作りとなると、皆の同意が得られるかどうかが問題よね。今日の買い出しだって不満そうな人も多かったし」

 そう言われると、滝も苦笑いを返すしかなかった。日々の生活に必要なものと、魔族の動きに素早く対応するための仕組み作り、その両方を考えなければならない。

 まず早急に決めなければならないのは、食についてだ。食材の買い出し、保管、そして調理。人数が人数なだけに、適当にやればあっという間に破綻してしまう。

「こういうことはこっち任せで、上は何も言わないからなぁ」

 せめて魔族への対応の仕方についてだけでも教えてくれたらいいのにと、恨み言を口にしたくもなる。滝は額を押さえた。

 もし魔族がこの星に再び降り立つようなことがあれば、上はどう動くのか。今までのことを考えれば、素早い対応は期待できないだろう。上を当てにしてはいけない。

「そりゃあ、彼らには無理だ。あいつらには住むという感覚がない。衣食住を整える必要がないからな。こればかりは人間たちを間近で見ていなければ気づかない」

 不意に、悠然とした声が降り注いだ。レーナだ。中央制御室の中には後部に階段があり、そこから二階へと上がれる造りとなっている。

 彼女は二階の手摺りにもたれかかるようにしてこちらを見下ろしていた。たった今顔を出したところらしく、垂れ下がった黒髪がゆらゆら揺れている。

「寝る必要もないから、夜間の見張りをどうしようという発想もない。せいぜい、交代で休息を取ればいいかという程度だ」

 淡々としたレーナの指摘に、滝はなるほどと相槌を打った。今までさんざん不思議に思っていたことが腑に落ちた心地だ。ずいぶんと不親切で他人任せだなと呆れていたのだが、そもそも人間に何が必要かという発想が抜け落ちているのか。

 あらためて、彼らが全く別の生き物であることを突きつけられた気持ちになった。見た目が似ているだけに、つい勘違いしてしまう。人間基準で考えてはいけない。

「そ、そうか……」

「でもレーナは知ってるのね」

 滝は傍にある小さな机へとメモを置く。と同時に、梅花がしみじみ呟いた。確かにそこは不思議な点だ。食堂や大浴場の準備といい、ある程度の人数がいる場合に人々が何に困るかという点について、レーナはおおよそ把握しているようだった。

「われは半分はやつらみたいなものだが、半分は人間みたいなものだからな。それに人間たちの傍にいることが多かったから、どのように暮らしているのかというのは自然と目や耳に入ってくる」

 再び頭上から声が降り落ちた。レーナは宇宙でどのように過ごしていたのだろう? 滝には全く想像できないが、どうも人々の間に溶け込んでいたように聞こえる。そうでなければこういった知識が得られるはずもない。

「宇宙で、技使いがどんな風に暮らしているかも?」

 と、続けざまに梅花が尋ねた。まるでこの機を逃してはなるまいと焦っているかのようだ。もっとも、以前あれだけはぐらかされていたことを考えれば、そうしたくなる気持ちはわかる。するとレーナは頷いた。

「そうだな。一人で生きる技使いがどうしているのか。誰かと組んでいる場合はどうするか。色々と見てきた。彼らは生き残るために必死に考えていたよ」

 どことなく感傷的な響きを伴った言葉だ。腕組みをした滝は、メモ紙を見下ろしつつ考える。

 どこに魔族がいるとも知れぬ世界で、技使いたちがどうやって生き残ってきたのか。それはきっと今の滝たちにも重要な情報だろう。上の者からは絶対得られない、重大な指標となる。

 昨日シリウスから技の話や魔族と戦うコツは聞いたが、具体的な工夫については耳にしていない。

「われの言葉を素直に聞いてくれるというなら、二人組を作るのをおすすめする。魔族に相対する時、人間一人でというのはやはり不利だ。だが人数が多すぎても、技の使用範囲を考えれば立ち回りが難しい。二人、多くても三人がちょうどよいと思う」

 今までなら反発しただろうレーナの言葉も、この時は素直に受け取ることができた。ここで彼女が嘘を吐く利点はないし、滝たちを混乱させてもよいことはないだろう。

 魔族に効果があるのは精神系や破壊系という特殊な技か、精神を乗せることができる武器の類だけだ。どんな武器を使うかにもよるが、人数が多いと動きが制限されるのは理解できる。

 だが二人組を作るという単純な提案をどう皆に伝えるか。そう思案するだけでも、滝は憂鬱になる。それは、各隊という括りを取っ払わなければならないことを意味している。そもそも五人でバランスを取ることを意識した人選なのに。

「それって、やっぱりこういう組み合わせの方がうまくいくとかあるの?」

 同様の疑問を持ったのか、首を傾げたレンカが即座に問いかけた。何か基準にできるものがあれば、考えやすい。

「ああ、もちろん。……だが、能力の相性がよければうまくいくという話でもないのが難しいところだな。性格や身体能力の違いも大きい。そして、実戦でどういった役割を主に担うかも重要になる」

 落ち着いたレーナの声が、ますます滝の頭を悩ませた。さらにややこしい話になりそうだ。そもそも魔族と相対することに前向きではない者もいる状況だ。気持ちの温度差は少なからず影響するだろう。

「あとは武器だな。自分に見合った武器を持っているかどうかも肝要だ。この点に関しては前にも言った通り、欲しいなら言ってくれ。作るから」

 ちらと視線を上げれば、レーナは笑顔で手をひらひらと振っていた。いつも彼女はこうだ。厚意を押しつけるでもなく、しかしいつでも受け入れる準備はできていると言わんばかりに、友好的な態度を示してくる。

 一体彼女は何を思っているのだろう? それだけのことをしてもらえる存在ではないと、つい滝は考えてしまう。

 それだけ技使いを守りたいというのも不思議な話だ。いくら『女神』の言葉があるとはいえ、そのためにレーナが犠牲にしているものは大きいように見える。

「でも困ったわね。私たち奇数よ」

 そこでレンカがまた声を上げた。頬に手を当てて困惑顔をしている彼女を横目に、滝は首を縦に振る。少なくとも誰かには三人組になってもらわなければならないだろう。これも一つの問題だ。

「あっ」

 そこで不意に梅花が声を上げた。何か思い出したと言わんばかりの調子だった。彼女としては珍しい反応に、滝は問いかけを乗せた眼差しを向ける。

「……本当はここで言うべきではないのかもしれませんが」

 皆から疑問の視線を向けられ、梅花はどこかばつが悪そうに首をすぼめた。そして若干躊躇いながら目を逸らす。そんなに言いにくいことなのか?

「実は、上は新しい神技隊を結成しているみたいなんです。私たちと合流することになるのかどうかはわからないんですが」

 今にもかすれそうな声で告げられたのは、思いも寄らぬ話だった。滝は瞠目する。新しい神技隊? それは初耳だ。

「……ミケルダさんがこっそりばらしていったので、嘘ではないと思います。ただ、不確定な要素を取り込んでいいものかどうかは悩みますね。……もしかすると、彼らには別の役目が与えられるのかもしれません」

 そう付言する梅花の声は暗かった。先日のあのような話があってなお秘密主義を貫くその姿勢は、滝にも解せない。これだけこちらを巻き込んでいるのだから、もうそろそろ包み隠さず話して欲しいところだ。そう思うのが当然だろう。

 人間などその程度の存在と軽んじているのか? それとも、滝たちのことは既にレーナの一味とでも思っているのか?

「まあ、この件についてはゆっくり考えるといい。慌てて決めてもいいことはないぞ。見張りの件も、基本的にはわれはいつも気の感知を続けているから、後でもいい。取り急ぎどうにかしなければいけないのは、生活のことではないか?」

 沈鬱な空気が広がり始めたところで、レーナはいつもの調子でそう付け加えた。顔を直接見なくとも、微笑んでいることだけは確信できる。

 滝はぐっと拳を握った。どこにいてもやはり自分たちは彼女に守られている。そう、実感する。

「技を使う者同士の戦いで重要なのは、軸を見失わないことだ。心を保つことだ。特に長期戦になるならこの問題は避けては通れない。心が折れると負ける。精神を回復する方法は、いくらでも用意しておいた方がいい。楽しいこと、安心できる場所、幸福を実感できるものはあればある程いい」

 頭上から流暢に語られる現実感のない助言に、胸の奥が軋んだ。この状況で一体どうやってそんなものを見つけろというのか。――どん底に突き落とされたというのに。

「残念ながら転生神の作り上げた仮初めの平穏は終わった。その中でどうやって安寧を見いだすのかが、お前たちの今後を左右するといっても過言ではない。それは星々を流れる技使いたちが長年追い続けてきたものだ」

 じんわり広がるこの感情につける名前がわからず、滝は曖昧に相槌を打った。レーナの言わんとすることは、頭では理解できる。ただ、気持ちがついていかない。

 ふいと滝は足下を見つめた。廊下と同じ材質の床は、歩きやすさが重視されている。窓がない代わりにモニターなのは、急所を減らすためだろう。その他に結界を張る装置まであるらしい。

 この建物も、つまりは彼らの心を守るためだ。少なくともこの中にいる限り、突然の襲撃で命を落とすことはないという安心感を得るため。

「今こうして足場を整えている段階でも、既にイーストとの攻防は始まっている。彼もおそらく、今頃仕掛けるための準備中だ」

 当たり前のごとく語るレーナの声が遠かった。幾度となく耳にしたイーストという名を、滝は脳裏で繰り返す。

 いずれこの星に来るという五腹心。その男もまたシリウスたちのように、一見したところは人間と変わらない容姿をしているのだろうか。

「レーナはそのイーストという魔族に会ったことがあるの?」

 問いかけるレンカが纏っていたのは、確信を漂わせた気だった。そうかと滝は思い出す。レーナたちを生み出したアスファルトはイースト直属の魔族だったはずだ。ならば顔を合わせていても不思議ではない。

「ああ、五腹心のうちイーストとレシガには会ったことがある。ラグナは……会ったといってよいのかわからないが。残りの二人は、直接会ってはいない」

 静かな答えに、滝はついと顔を上げた。依然としてレーナは微笑んでいたが、その眼差しにどこか儚い色が宿っているように見えた。何故だか不意に息苦しさを覚えて、滝は奥歯を強く噛む。

「イーストは空色の髪が象徴的に語られる、穏健派の一人だ。数多の魔族を救った者でもある。彼は部下を見殺しにするのを好まず、できる限り被害が出ないようにといつも策略を巡らしていた」

 説明するレーナの声は優しかった。話から受けるイーストの印象が予想していたものとはまるで違っていて、滝は困惑する。無慈悲にこちらの命を摘み取ろうとする魔族という存在と、語られる性質が結びつかない。

「なんだか、いい人のように聞こえるんだけど」

 梅花が独りごちる声は、戸惑いを孕んでいた。今まで神技隊が出会った魔族という存在と、噛み合っていないせいだろう。

「ああ、いい奴だ。あいつがいなければ我々などとうに殺されていただろう。お前たちは何か勘違いしているかもしれないが……まあ、ミスカーテや魔神弾のせいだろうな」

 何かを言いかけたレーナは、そこで思い直したようだった。滝はちらと頭上へ一瞥をくれる。この位置での話というのは首が疲れる。

 しかし、まともに顔を合わせずにすむのは、ある意味では幸いなのかもしれなかった。まだ滝には、レーナと真正面から向き合うだけの覚悟がない。

「魔族は、別に理性のない化け物ではない。彼らは自分たちの生存のために、神々を打ち倒さなければならないと思っているだけだ。そのためにこの星の『鍵』を狙っている。だから手段や信念には個々の違いがある。ミスカーテやアスファルトはかなり異端だ。イーストは大多数の魔族にとっては救世主のような者だな」

 そうかと、滝ははたと気づく。レーナは魔族の視点にも、神の視点にも立つことができるのか。それが『異端者』たちのもとにいた彼女の特異性なのか。

 彼女は神の事情も知っている。魔族の事情にも通じている。だからこういう時、双方が何を考えるのか予測することができる。

「故に恐れる必要がある。お前たちが自分たちの住む世界を守るために必死になるように、彼らも彼らの世界や同胞を守るために命がけなんだ。追い詰められた者の判断は、時に常軌を逸する。注意しなければならない」

 神妙なレーナの声が、静かな室内に染み入った。滝はそっとまたメモ用紙を手に取る。きりきりと胃の奥が痛んで喉がひりついた。

「読み間違えた方が負けるんだ」

 今一度覚悟を問われているような心地になり、滝は息を詰めた。迫り来るその時のことを思うと、再び視線が下がるのを止められなかった。

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