第13話「いいよな、大事なものが決まってる奴は」

 ならば神とて同じことだろう。レーナと手を結ぶというこの状況をどう感じているのか、それぞれ違うはずだ。

「あーなるほど。すごいなぁ。そんなところも梅花ちゃんと似てるのか」

 ミケルダはお手上げだと言わんげに両手を掲げ、大袈裟に笑い声を盛らした。隠したいものがある時のミケルダの癖の一つだ。動作が大きい。

 そういう点が、ミケルダは甘いのだと梅花は常々思う。飄々とした印象を利用しているつもりかもしれないが、よく見知った者には筒抜けだった。

「似ているなら嬉しいな」

 レーナはまた屈託のない笑みを浮かべた。笑顔にもこれだけ種類があるという見本のようだった。表情筋を鍛えれば自分にもそれが可能なのだろうかと、梅花は時折不思議に思う。

「まあ、疑うなり探るなり、ご自由にどうぞという感じだが。内心はどうであれ、約束だけは守って欲しいな。背中を打たれるのだけは避けたいので。こちらはこの通り、出し惜しみせずに資材を投資している」

 悪戯っぽい眼差しで肩をすくめたレーナは、周囲へと視線を巡らせた。この真っ白で広大な空間も特別仕様なのだろう。

 彼女が自分たちにかける思いの強さというのが、いまだに梅花には推し量れない。敵として現れ、そして疎まれ、疑われても、目的のためにただただ最善の行動を探っていく。

 それを可能とする、レーナの芯にあるものは何なのか。梅花にはそこがまだ見えなかった。

「あ、ああ、これね……」

 呻くようなカルマラの声が空気を揺らす。一方、何も知らないミケルダとカシュリーダは訝しげに瞬きをした。

 ほぼ同じタイミングだったのが兄弟らしくて若干微笑ましい。――梅花は兄弟というものをあまりよく知らないが、そういう話はたまに耳にする。

「おいミケルダ、用は済んだか? 終わったのなら長話せずに戻るぞ。私にはこいつに押しつけられた仕事がある」

 そこでシリウスが大儀そうに口を挟んだ。レーナが何故かぱっと顔を輝かせたのが目に入ったが、シリウスはそれも無視したようだった。

「え、じゃあシーさんだけ戻ってくださいよー。オレはもうちょっとレーナちゃんと喋ってるから」

 が、ミケルダはまだ譲らなかった。どこか意地の悪い笑みを浮かべて肩越しに振り返る様は、彼らしからぬもので。梅花はさらに眉をひそめる。

「ミケルダ、企みをはぐらかすためにそういうごまかし方をするな」

 ついにシリウスは何かを諦めるよう指摘してきた。口を開きかけたカルマラが絶句したところをみると、企みとやらは彼女も知っているらしい。なるほど、彼女が全く喋らなかったのは、謀りがばれないようにするためなのか。

「どうせケイルかジーリュあたりに何か言われたんだろうが、こいつはお前たちの手に負える奴じゃないぞ」

「シ、シリウス様、ごめんなさい」

 呆れかえるシリウスに、ミケルダより先に謝ったのはカシュリーダだ。まるで兄の粗相をわびるかのようにぺこぺこと頭を下げる彼女に続いて、カルマラも肩をすぼめてうなだれる。

 シリウスを前にするとずいぶんと態度が違う。梅花にとっては新鮮な光景だった。

「あー、ですよねぇ。シーさん出し抜けるわけなんてないですよねぇ」

 そこでミケルダも肩を落とした。梅花にとっては何が何だか話が見えてこないが、シリウスには内緒で進められていた計画が頓挫したことは確からしい。シリウスが下に用があるのを知り、便乗しようと考えたのだろうか。

「はーいはいっ、諦めます。でも、レーナちゃんと話がしたかったのは本音ですからね? シーさん怒らせると怖いから、また次の機会にしますけど」

 だがすぐにミケルダは立ち直った。面を上げた彼は普段通りの楽観的な笑顔に戻り、左手をひらひらと振る。さしものレーナもこれには微苦笑を浮かべていた。いや、もしかすると作業が中断したままであることに困っているのかもしれないが。

「わかったならいい。では私はあの食堂に戻るからな」

 忠告は終えたとばかりに、シリウスは踵を返した。はっとした梅花はまたぐいとミケルダの袖を引く。このままここに長居させてはいけない。

「ミケルダさんたちの用も終わりましたね? じゃあ戻ってください」

「えー、梅花ちゃんってば何か冷たい」

「ここの邪魔は駄目です。お願いですから、これ以上私の心労を増やさないでください」

 そう頼み込んでみれば、ミケルダは仕方がないと言わんばかりに首を縦に振った。こういうお願いはしたことがなかったが、実は効果があるらしい。梅花は内心で胸を撫で下ろす。あとはどうやって早く帰ってもらうか頭を捻るだけだ。

 やることがある方が、やはり余計なことを考えずにすむ。重苦しい現状に気を揉む暇も、今はなさそうだった。




「何で俺たちが買い出しなんだよ」

 宮殿に呼び出されたその翌々日。シンはサツバとローラインを引き連れてヤマトの端まで来ていた。目的は食料の確保だ。

 一昨日、昨日も買い出しには行っていたが、あれだけの人数の食料としてはいささか心許ない。そのため、保存の利きそうなものをさらに買い込むようにというのが、今日の目的だった。

「重たい物ばっかりだし」

 先ほどから文句を口にしつつ小石を蹴り上げているのはサツバだ。元々暇さえあれば不満をこぼしているので、普段と変わりないといえばそれまでだった。

 しかし彼の気に含まれている負の感情は、ただ買い出しを押しつけられたことだけが原因ではないと語っている。

「買い出しは仕方ありません。わたくしが不満なのは、食器側ではなかったことです。美しくない」

 いつもと違うのはローラインまで賛同しているところだった。買い出し班は二手に分かれることになったが、食料側に選ばれたことが腑に落ちないらしい。空からヤマトに降りてからも、彼は顔を曇らせたままでいる。

「そりゃあ、ローラインが高価な物を買いすぎたからだろ。……もらってるお金は最低限だからな。気をつけないと」

 仕方なくシンはなだめる側に回ることになる。これが苦手だった。しかも普段は加勢してくれるリンや北斗がいない。二人はよつきやジュリと共に食器側の買い物に行っていた。これがますますローラインの不満を加速させてしまう。

「ですが、揃えるなら美しい物の方がいいでしょう?」

「お金に余裕があればな。それよりも今はあの人数分のものをどう調達するのかって方が問題だろ?」

 まだ溜飲を下げていない様子のローラインへと、シンは苦笑を向ける。

 基地という住処を手に入れたのはいいが、中はまだまだ不十分だ。そういった衣食住の整備について、上の意識は乏しい。どれだけお金を掛けなければならないのか、全くわかっていないようだった。

 いや、単に宮殿側が出し渋っているだけの可能性もあったが。

「……あの人数を賄うだけ、本当に揃えるつもりなのかよ」

 ぼそりと、サツバが呟いた。と同時に足を止めた。その一歩先で立ち止まったシンは、ゆくりなく振り返る。

 緩やかに下る道の真ん中で、サツバはじっと地面を睨み付けていた。「サツバさん?」とローラインが首を捻るのが、視界の端に映る。

「オレはまだ納得できてないんだ」

 絞り出されたサツバの声に滲んでいるのは、苦悩と苛立ちだった。彼の気が纏っていたものもおそらく同じなのだろう。昨日の話を聞いてなお、彼は戸惑っている。

「こんな所に呼び戻されて、しかも魔族とかいう奴らと戦わされる理由。シンたちは、あんなんでいいのか?」

 サツバは喉から絞り出すよう、疑問を吐き出した。仕方がない。どうしようもない。そういった言葉で諦められるのは大人だからだと、昔父がぼやいていたのをシンは思い出す。

 だとすれば、自分は既に大人側に立っているのだろうか? サツバはまだ、子ども側にいるのだろうか? このどうしようもない現実を積極的に受け入れる者は皆無に違いない。しかし憤っても意味がないことも、シンは実感していた。

「では逃げますか?」

 シンよりも先に声を発したのはローラインだ。いつになく強い口調なのが意外で、シンは眼を見開く。普段おっとりとした声で優雅に喋るのがローラインの癖であったし、半ば信条でもあったはずなのに。

「昨日の話、聞きましたよね? 彼らがこの星を全力で狙ってくるのだとしたら、安全な場所などどこにもありませんよ。美しくない」

 ローラインが口にしたのは正論だ。いざ魔族がやってくれば、どこにいても騒ぎに巻き込まれる可能性がある。ミリカの町が破壊されたように、住んでいる家が、慣れ親しんだ自然が、粉々になる可能性は常にあった。

 上の者が守ってくれると期待するのが無意味なのは、先の戦いが証明している。上の戦力は乏しい。圧倒的に手が足りない。

「だからって、何でオレたちなんだよ」

 だがそう吐き捨てるサツバを責める気にはなれなかった。技使いに生まれたのは偶然。強い技使いになったのも、相性の問題だったという。これもやはり偶然だ。

 その結果、半強制的に神技隊に選ばれ、命を懸けることを求められるのだとしたら、なんて理不尽なのか。

「たまたま力があったから、それを有効利用しろってか? 頭がよかったら、研究だけしてろって言ってるのと同じじゃねぇか」

 サツバが言うことも間違ってはいない。誰だって自分の未来を決めつけられるのは不愉快だろう。その道が苦難にまみれていればいるほど、反発するのは当然だ。

「その気持ちはわかりますが」

 ローラインも言葉を濁す。彼の穏やかな緑の瞳に、悲しげな色が宿るのもわかった。

 どうしてこうなったのだろうと、シンは胸中で繰り返す。知らぬ間に少しずつ失われていた平穏を、今さら懐かしく思う。何も知らなかったあの頃は、いつかまた穏やかな生活が戻ってくると信じていた。

「ですがわたくしに、できることがあるのならやります。両親が守ってきたあの美しい庭を穢されたくはありません」

 それでも顔を上げたローラインは凛とした声で宣言した。サツバはちらとだけこちらに視線を向け、再び地面を見下ろす。その拳が固く握られたのがシンには見えた。

「とても美しい中庭なんです。薔薇もたくさん咲いています。あそこは、わたくしの誇りなんです」

 しみじみと語るローラインはついと空を見上げた。シンも思わずつられて視線を上げる。朝日が昇ったばかりの晴れやかな空には、うっすら雲がかかっていた。風は冷たく澄んでいるが、心地よい陽光が差し込む爽やかな朝だ。

 シンたちの事情など素知らぬ顔で、今日も太陽は昇っている。それを素晴らしいことだと思うか恨めしく思うかは、人それぞれなのだろうか。

「いいよな、大事なものが決まってる奴は」

 そこでサツバはおもむろに顔を上げた。揶揄するような、それでいてどこか羨望の滲む声だった。遠くを見遣る横顔は拗ねているようにも見える。

「サツバさんにはないんですか?」

「ないね。オレはその時その時大切なものを作ってるだけだ。無世界で作ってきたせっかくの繋がりは、上の奴らのせいでなくなっちまったし」

 大袈裟に肩をすくめたサツバは、ついで染めたばかりの髪をがりがりと掻いた。無世界を発つぎりぎりの日に、彼が選んだ行き先はよく訪れていた美容院だった。間際まで仕事をしていたのも、彼なりにその繋がりを重視した結果だったのだろうか。

「シンにはあるのかよ?」

 そこで唐突に疑問を投げかけられ、シンは閉口した。大事なものと聞いてまず脳裏に浮かんだのは、先日訪れたウィンの景色だった。リンが得意げに見せてくれた風景。大河を背にしてたたずむ家に、手入れされた庭。

「……どうかな」

 サツバの視線を感じつつ、シンは曖昧にはぐらかした。彼女が大切にしているものが大事だなんて、口が裂けても言えない。

「まあ、一人で手持ちぶさたになっているよりは、危険でも何かやることがある方がオレはいいな。……帰るところもないからな」

 ついで苦笑をこぼしたシンは、ゆっくり歩き出した。半分はごまかしだが、半分は本音だ。

 あの誰もいないヤマトに戻ったところでむなしくなるだけ。気づけば自分の居場所は失われていた。それを結果的に埋めてくれることになったこの神技隊というものを、簡単に手放せるとは思えなかった。

「さすがはシンさん」

「達観してるなぁ」

 だから二人にそう言われても、シンは素直に喜べなかった。どこでもやっていけるサツバの強さが、今は羨ましく感じられてならなかった。

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