第10話「お互い様ってことだと思いますが」

 カツカツと慌ただしく鳴り響く靴音に、ミケルダはやにわに振り返った。近づいてくる気の正体は既にわかっていたが、この音はただ暇だから気まぐれに声を掛けてくる時のものではない。焦っている時の癖だ。

「カール?」

 目を凝らせば、回廊の向こうから駆けてくるカルマラの姿が視界に入った。短い髪を振り乱しながら、他の神の間を縫うようにして近づいてくる。

「ねえねえ!」

 腕に飛びついてきたカルマラは、がばりと顔を上げた。その形相から最悪の何かが起こっているわけではないことを読み取り、ミケルダはひっそりと胸を撫で下ろす。

 こんなところで彼女が飛びついてくることはあまりないので、何かあったのかと気構えるところだった。

「何だよカール、急に」

「急にも何もないわよ。ねえ、アルティード様やケイル様には会った?」

 周囲を気にせず、カルマラはその名を口にした。彼女に限っては珍しいことではないが、ミケルダはいつもひやひやさせられる。

 ここは奥の回廊のように他者の目がない場所ではない。聞き耳を立てずとも、自然と会話を耳にしてしまうようなところだ。実際、幾人かの神がこちらへ視線を寄越したのがわかる。 

「いや、まだ戻ってきてないんじゃないか?」

 ミケルダは首を横に振った。「下」と言わなかったのは、周りを気にしてのことだ。

 まだ他の神はアルティードたちが現在何を話し合っているのか、把握していないはずだ。そこに絡むのが人間の技使いや正体不明の人物であることなど、無論知らない。

 アルティードたちが公言していないのであれば、それを漏らさないようにするのがミケルダたちの勤めだ。余計な動揺を広げたくはない。

「そっか、私が出遅れたわけじゃないのね。よかったー。実は戻ってきた後、ケイル様から話があるって言われてるのよね。リーダも一緒に」

 ようやく腕を放したカルマラは、顔をほころばせて息を吐いた。予想外の発言にミケルダは瞠目する。まさか、重要な話の後に、自分たちに声がかかるとは思わなかった。――しかもあのケイルから。

「おいおい本当かよ。そういうことは早く教えて欲しいなぁ」

 狼狽を周囲に気取られないよう、ミケルダはできる限り気安い調子でそう答えた。ケイルは一体何を考えているのか? 脳裏をいくつもの可能性がよぎっていく。

「ごめん、言われたのもケイル様が降りる直前で」

 と、肩をすくめたカルマラは小さく舌を出した。すぐ横を通り過ぎようとしていた数人の神が、びくりと体を震わせたのが感じ取れる。

 ミケルダはしまったと内心で舌打ちした。『降りる』が意味することはたった一つ、神魔世界に行くことだ。だがミケルダやラウジングたちとは違い、ケイルが下に降りることなどまずない。それは異常事態が生じていることを匂わせてしまう。

「おい、カール」

 思わずミケルダはカルマラの肩を掴んだ。しかし彼女は何が問題なのかわからないとばかりに、きょとんと首を傾げる。

 こんなことなら早めに彼女にも釘を刺しておくべきだった。彼女は状況から何かを酌み取るということをしない。明言しなければ駄目だ。

「何よ」

「お前なー。……いや、別に、口外するなとは言われてないけど」

 文句を言いかけたミケルダは、その先を飲み込んだ。よく考えれば、彼女の方が正しいのかもしれない。いつかはばれることなのだから隠しても無駄だ。いずれは皆に周知される。

 巨大結界に穴が開いた時のように。リシヤの封印結界が解けて、半魔族が復活した時のように。

 きっとまもなく、転生神が築いた仮初めの平穏が終わったことを誰もが知る。ならば先延ばしにすることに何の意味があろうか?

「ちょっと、何を一人で納得してるのよ」

 頭を振って苦笑すれば、カルマラは不服そうに唇を尖らせた。しかしこの話を彼女に伝えても通じるとは思えないし、そもそも周囲の目があるところでするものでもなかった。結局ミケルダは笑ってごまかすことにする。

「いや、別に」

「あーもうミケってそういうところあるよねー。私にも教えてよ」

「悪い悪い、ごめんって。でもそれは後でな。先にリーダ探しておこう。あいつ、仕事に熱中すると、周囲の気も感じ取れなくなるから」

 そのままミケルダは話を逸らした。リーダことカシュリーダは、彼のたった一人の妹だ。先の大戦の傷が原因で産の神扱いとなった彼女は、今はケイルの下で働いている。

 元々仕事熱心で単純作業を苦もなくこなすことができる彼女は、集中しすぎると周りが見えなくなるきらいがあった。そんな彼女にも声がかかっているというのが、ミケルダには解せない。ケイルは一体何を考えているのだろう。

「あ、そうね」

 するとカルマラもころっと表情を変える。彼女はカシュリーダとも仲がよかった。二人は互いにきゃーきゃーと騒いではしゃぐことができる、類い希な関係でもある。

 こういう二人こそ幼馴染みと呼ぶに相応しいとミケルダは常々思っている。彼とラウジングなどは、どちらかと言えば腐れ縁に近い。

「さすがのリーダもケイル様の名前を出せば手を止めてくれるもんね」

 大袈裟に相槌を打つカルマラに頷いてみせながら、ミケルダはちらと周りへ視線を走らせる。先ほど広がった狼狽が、瞬く間に何事もなかったかのように静まっている。かすかに不安を滲ませた気が残っているばかりで、聞こえる靴音も規則正しい。

 これがこのところの異変に慣らされた結果だとしたら、皮肉なことかもしれない。本当はもっと恐れ、準備しなければならないのに。

 しかし自分たちにはどうしようもないという無力感ばかりが満ちて、皆はすぐに諦めを纏ってしまっている。

「じゃあ行きましょう」

 腕を振り上げたカルマラは、ついで意気揚々とミケルダの袖を引いた。その陽気な口調は少しばかりミケルダの心を軽くする。

 悩んでも仕方がないと、彼もわかってはいた。彼らにできるのはただ最善を積み重ねていくのみ。そして自分の心を守ることだけだった。




「シリウスさん」

 踵を返したシリウスに向かって、慌てて滝は呼びかけた。ざわめきが遠ざかりつつある室内に響いた声は、妙に上ずっている。そのことについ失笑しそうになった。

 まだ動揺が残っているらしい。だがあんな話の後では詮のないことか。

「……どうした?」

 振り返ったシリウスは首を捻った。無愛想なように見えても声をかけたら確実に反応してくれる彼は、やはり本来はお人好しなのだと思う。それとも人間にだけ特別親切なのだろうか? シリウスの性格はまだ読めない。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」

 そう口にしながら、滝は周りへと注意を向けた。とぼとぼと重い足取りで中央会議室を出ようとする仲間たちは、皆疲れ切っていたし、気落ちしていた。

 それも先ほどの話を思えば当然のことだろう。あれを聞いて意気消沈しない者は普通ではない。

「私でいいのか?」

 シリウスは瞳をすがめつつ、端にいるレーナへと一瞥をくれた。彼女は今カイキたちに詰め寄られ、あれこれと弁明を繰り返しているところだった。滝は「ああ」と苦笑しながら耳の後ろを掻く。

「シリウスさんがいいんだ」

 アルティードとケイルが立ち去った後、帰る振りをしていたシリウスによる第二弾の尋問が始まった。二人が去るのを待っていたのは、おそらく余計な横入りを避けるためだったのだろう。そう気づいたのは、質問が始まってからだ。

 それは既に情報の海におぼれかけていた神技隊らを、さらに海底へ突き落とすようなものであった。ずっとシリウスは口を出したいのを堪えていたのだろうと思うような、怒濤の詰問だ。

「それはまた、不思議な話だな」

 シリウスは眉根を寄せる。何故自分が名指しされたのかわからぬという様子だ。確かに、数度しか顔を合わせていない者に本来は頼むことではないだろう。滝もそれはわかっている。だがシリウスしか頼る当てがないのも事実だった。

「それは……実を言うと、レーナに聞いてみろって言われたんだ」

「あいつ」

 レーナの名を出せば、シリウスは不愉快だという感情をあからさまに表出した。けれどもその気に滲む負の感情はわずかだ。

 先ほどのやりとりを見る限りでも、彼は彼女との軽口の叩き合いを楽しんでいる節があった。安心して負の言葉をぶつけることができる相手として認識しているとでもいうのか。

「今度は押しつけ返す気か」

 今にも舌打ちしそうな表情で腕組みしたシリウスは、もう一度レーナの方を見遣った。現状説明を彼女に押しつけた自覚は、やはりあるらしい。

 確かに、本来ならば上がしなければならない話だったのだろう。だが彼女はそれを自らに任されたのをいいことに、都合のよい部分だけで終わらせようとした。

 だからシリウスはアルティードたちがいなくなったのを見計らい、問い詰めたに違いなかった。それもある意味では二人の攻防だ。

「お互い様ってことだと思いますが」

 そこで白い紙を抱えた梅花が左手でぼやいた。淡々とした物言いはどちらを責めるでも呆れるでもなさそうで。纏う気はどちらかといえば、それを好ましく思っているかのようだった。これもまた奇妙なことだと滝は訝しく思う。

「なるほどな」

 シリウスはかすかに不思議そうな眼差しを梅花へ向けてから、ふっと微苦笑を浮かべた。青い瞳を細める横顔は、どこか暖かい。レーナに対する反応とは真逆だ。

「だが当然だ。こういう面倒事は、それが可能な奴にすぐ任されるからな。他にいるなら押しつける。楽できる時に楽しておかなければ、いつまでも心労は減らない」

「……笑顔で恐ろしいことを言わないでください」

 シリウスが神妙に告げた内容は、滝の胸にもさくりと刺さった。身に覚えがある。誰かに任せるのを怠ってついつい引き受けてしまう滝には痛い言葉だ。

 しかし今のでシリウスの態度も腑に落ちた。彼にとってのレーナは、珍しくも自分の荷を押しつけることができる数少ない相手という認識らしい。

 レーナがちらとこちらへ視線を寄越すのが視界の端に映る。「全て聞こえているからな」とでも言わんばかりだったが、口を挟む気はないようだ。

 もっとも、それどころではないのかもしれない。自分たちの出生や能力について「よくわかっていない」ことを宣言されたカイキたちが詰め寄っているため、レーナはしばらくあの輪から抜け出せそうになかった。

 先ほどシリウスが追及したのは、主にレーナたちについてだった。確かに、歴史については把握できたが、しかし「前のレーナ」の話もアースたちがどうやら記憶を失っているらしいということも、何もわからなかった。

 彼女たちにはまだ謎が多い。ただ人工的な技使いというだけでは説明ができない。

 それなのに彼女の口から飛び出してきたのは「よくわかっていない」という返事だった。魔族の科学者のもとを離れた理由は「話せない」だったが、今度は「わからない」だ。

 本来備わっているはずのない能力であり、どういう理屈になっているのかは不明。それはあの謎の「青の男」についても同様だという。にわかには信じがたい話だ。

「まあそれはいい。で、聞きたいことだろう?」

 そこでシリウスが話題を戻す。はっとした滝は頷いた。ついつい余計なことが頭をよぎってしまう。がやがやと去って行く仲間たちの動きを感じながら、滝は言葉を選んだ。

「魔族たちとの戦いのコツってものがあれば教えて欲しい」

 そう告げれば、シリウスは一瞬だけ瞠目した。それが何故なのか、滝にはおおよそ理解できた。滝の言葉はすなわち、魔族と戦う意志を示すことに他ならない。

「あいつが押しつけてきたのはそれか」

 どこか納得したようなしていないような微妙な表情で、シリウスは相槌を打った。

「本来なら、あいつに聞くべきだと思うがな。おそらく技使いが魔族とどう相対していたのかは、あいつの方が詳しい」

 シリウスの声には苦笑が滲んでいた。それはつまり、シリウスよりもレーナの方が人間たちとより近しい場所にいたということなのか? 宇宙で彼らが何をしてきたのか、滝は知らない。しかし先ほどの話でわかることもあった。

 滝たちは偶然地球で生まれたから、魔族と関わりのない生活を送ってきた。一方、別の星生まれた者たちは、魔族の影に怯えながら、時に抵抗しつつ生活していたのだろう。

 ならば宇宙にいる技使いは、きっと魔族と戦うための術を編み出しているに違いない。

「それは……オレたちがレーナのことを信用しきってないと、思われたからだろう」

 本当ならレーナに頼るべきなのかもしれない。そう思いながらも、滝は言葉を濁した。

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