第11話「周囲の判断に惑わされない者などいない」
信用しきっていないと勘違いされたのではなく、実際今も半信半疑だった。――彼女たちの出生について聞いた今でも、やはり信じがたい気持ちは拭い去れない。
レーナは自分の都合で神技隊を守っているのだと告げたが、彼女がそれだけ重視しているユズという神のことも滝たちは知らなかった。まだ何か隠しているのではという気持ちが湧き上がるのを止められない。
「なるほど、複雑だな。では聞くが。お前は私のことを信用しているのか?」
そう問われ、ざわめきが遠ざかる思いになった。はたと気づいた滝は息を呑む。信用しているか否かと言われたら、きっと信用しているのだろう。それは一体どういうことなのか。
「私に聞くというのは、そういうことだろう?」
シリウスの問いを否定できなかった。助けてくれたから? それだけで信用に足ると思っているのか? 滝は自らに問いかける。疑う心と信じる心の間の線は、一体どこに引かれているのだろう。
「神なら誰でも信用できるというわけではないのだろう?」
沈黙を肯定と受け取ったのか、そもそもそれが前提の疑問だったのか、シリウスは言葉を続ける。
上の者だから信じているのか? そうではないと、滝は断言できた。上に少なからず不審を抱いていたのは昔からだ。手放しで信じていたわけではない。もっとも、逆らえるとも思ってはいなかったが。
「お前たちが私を信頼した根拠、本当のところは、あいつの態度ではないのか?」
そう畳みかけられ、滝は閉口した。あいつというのはレーナのことを指しているのだろう。彼女とシリウスのやりとりを見て、判断していると?
滝の胸に浮かぶのは困惑の感情ばかりで、どう返答したらよいのかわからなかった。それは、レーナを信用していることにならないのか?
「意地の悪い質問をしたな。だが忘れないで欲しい。周囲の判断に惑わされない者などいない。少なからず影響があるものだ。しかし、最終的に選び取るのは自分だ。誰かのせいにしても意味はない。最終的に、その責任は自分に降りかかってくる。だからよく考えろ」
ふっとシリウスは口元を緩めた。纏う気にも優しい色が含まれていた。滝は感嘆の吐息を漏らし、肩をすくめる。
この会話もレーナの耳まで届いているのだろうか。その可能性を考えながらも、シリウスはこんな話をしているのか。
つくづく彼も不思議な存在だと思う。端からどう見えるのか、どう思われるのかについて不安を抱くことはないのだろうか。その点がレーナと同じなのだと、滝は気がついた。
「話を戻そう。それで、コツだったな。無論、私が知る範囲でよければ教えよう。ただ一度アルティードたちと話をしておかないと文句を言われるからな。ひとまず、あの基地とやらに戻っていてくれ」
瞳を細めて付言するシリウスに、滝は頷いた。こうして躊躇いなく情報をくれるシリウスは、やはりお人好しだと思う。人間にだけ優しいのかは定かではないが、ラウジングたちの評価を考えても、やはりそうなのだろう。
――そう、これが周囲の判断の影響力だ。確かに、周りの反応を無視して考えるのは難しい。
あれだけの話を聞いた後にどう振る舞うべきなのか。何を拠り所とすべきなのか。選択に伴う重さを噛みしめながら、滝はいつしか握っていた拳へと一瞥をくれた。
あらゆる情報が一気に押し寄せると、人は時に落ち着き払うこともあるらしい。それとも、それは単に思考が停止しただけなのだろうか。
お盆へとコーヒーカップを並べた梅花は軽く息を吐いた。基地へ帰されたのはいいが、取り急ぎ何かやるべきことがあるわけでもない。途方に暮れた彼女が向かった先は食堂だった。
手持ちぶさたなのが一番苦手だ。そういう時はどうしても思考が悪い方悪い方へと傾いていってしまう。
「いい香り」
カウンターからお盆を持ち上げると、かちゃりとカップとソーサーの触れ合う音がする。
レンカがたった今淹れてくれたばかりの珈琲は、不思議なほどよく香った。昨日ヤマトの町で買った、さして高くもない珈琲のはずだが、淹れ方を何か工夫しているのだろうか? 一度聞いてみたいとも思う。
「でもあれじゃあ、ちゃんと味わってくれそうにないけど」
そのままテーブルの方へと視線を向ければ、奥側で青葉が沈鬱な面持ちをしているのが目に入った。昨日からずっと表情が硬いのは、積雲と会ったせいだろう。そこに加えて今日の話だ。晴れやかな心境でいられるはずもなかった。
盆を持ったままゆっくりと進めば、かつんと小気味よい靴音が鳴る。床は廊下のものとほぼ同じだが、広さのせいか音はこちらの方が響きやすいようだ。廊下側には窓があるため、実際よりもさらに広く感じられる。
壁は生成り色で統一されているが、外が見えるような窓はなかった。これはおそらく防御に関することが理由だろう。窓があるのは二階以上で、それも小さなものだけだった。ここは本当に魔族の攻撃に備えた作りをしている。
「梅花?」
静かに近づいていけば、青葉ははっとしたように顔を上げた。どこか取り繕うような眼差しには気づかない振りをして、梅花は小首を傾げる。
「青葉も珈琲飲む? レンカ先輩が淹れてくれたの」
梅花が盆をおもむろにテーブルの上に乗せると、青葉は小さく頷いた。虚を突かれた顔をしているのは、珈琲がよほど意外だったのだろうか。
確かにこのタイミングでというのは予想外だったかもしれない。おそらくは滝のために淹れられたものだ。
「この食堂、こんなものまであるのか」
青葉がしげしげと見つめたのはコーヒーカップの方だった。薄水色にうっすらと白い花を散らした繊細な柄のカップは、あまり神魔世界では見かけないものだ。
「それはローライン先輩が持ち込んだものだそうよ。その他にも、昨日買ってきた食器がたくさんあるわ」
食器はどこかで買い揃えなければならないものだったが、何故か率先してローラインが動き出していた。そのおかげで、既にそれなりの数になっている。
もちろん、今後も暇を見つけてこうした日用品や備品を確保していく必要があるだろう。……本当に、神技隊全員がここに残るのならば。
「そうなのか」
「ええ、これでしばらくしのげるといいんだけど。あ、砂糖壺を忘れたわ」
そこで梅花は振り返った。先ほど笑顔でレンカが用意してくれていたというのに、すっかりそのまま置き去りにしていた。青葉には不要だろうが、他にも誰か食堂に来る人がいるかもしれない。
気持ちが沈むような時、一人になりたがる者もいれば、誰かがいる場所にいたがる者もいる。後者であればこの食堂か、廊下の途中にある広間に集まってくるだろう。準備しておくに越したことはない。
「梅花」
不意に呼び止められ、梅花は肩越しに振り向いた。軽く結わえた髪が肩口を滑り落ち、同時にスカートが揺れる。
立ち上がりかけた青葉は、しかしすんでのところで何かを飲み込んだようだった。すぐに「いや、何でもない」と首を横に振る。彼は時折そうやって何かを躊躇する。
「そう」
梅花は頷いた。本当ならここでさりげなく聞き出した方がよいのかもしれないが、そうするだけの度胸も覚悟も彼女にはなかった。
誰かから無理やり何かを引き出すのは苦手だ。そうやって得たものにうまく対処できる自信がない。事実確認とは違う、何らかの心情に踏み込むような一歩を、自分が適切になし得る気がしなかった。
あちらから切り出されたのでなければ、不用意に口を出してもよい結果は得られないだろう。――半分ほどは、自分への言い訳かもしれないが。
背を向けてゆっくり一歩を踏み出せば、また硬い靴音がした。同時に、食堂の扉が静かに開くのが見えた。顔を出したのはシンだ。
「シン先輩?」
彼の横顔が重く沈んでいるのは傍目にも明らかだった。隠そうとして隠しきれていない複雑な気の色も、それを証明している。梅花は歩調を速めた。
「ん? ああ、梅花か」
「……大丈夫ですか?」
思わずそう尋ねてしまってから梅花は後悔する。一体どんな返答を期待しての問いかけだったのか。
誰かが落ち込んでいる時、悲しんでいる時、沈んでいる時に、それを慰めることなど、自分にはできないというのに。今し方、それを実感したばかりだというのに。
「あ、ああ」
足を止めた梅花へと、シンはじっと神妙な視線を向けてくる。この眼差し、表情には見覚えがない。彼はいつも優しい目をしているか、苦笑を押し殺すような顔をしていることが多かった。
いつにない態度に困惑していると、彼は何かを諦めたように息を吐き出す。
「そうだな、梅花ならちょうどいいかもな」
「……え?」
思い詰めた様子で口を開いたシンを、梅花はまじまじと見上げた。一体何がちょうどいいのか。思わぬ発言に彼女は瞬きを繰り返す。
「梅花はオレたち個人の情報についてどのくらい知ってるんだ? その、家族のこととか」
辺りの様子を気にしつつシンが口にしたのは、想定外のものだった。つい梅花も周りを気にしてしまう。
厨房の方にいる滝とレンカの気は先ほどから一歩も動いていない。奥のテーブルにいる青葉は、また考え事をしている様子だった。たぶんこちらの話は耳に入っていないだろう。
「ああ、答えにくい質問だったな。悪い。いや、今聞くことでもなかったな」
「いえ、そんなことは別にいいんです。――結構知ってますって言ったら、気分を害されるかと思って」
はっとしたように頬を掻いたシンに、梅花はぶんぶんと首を横に振ってみせた。神技隊選抜の際に彼女が得た情報は、実はかなりのものだ。それぞれの事情に踏み込みたくはないから、あえて話していなかっただけだ。
「最終候補者に残った技使いについては、かなり詳細にこちらにも知らされています。もちろん、最終的にどこまで教えるのかは、各長に任されていることなんですが」
梅花は曖昧な表現を選んだ。もっとも、長は上に言われれば大抵は恐ろしいほど詳しく彼らについて教えてくれたものだった。その度に梅花は複雑な心境になった。安寧のために上に差し出される、まるで生け贄のようだ。
「そうか、じゃあオレの妹についても知ってるんだよな?」
シンはもう一度周囲へと視線を走らせた。妹といった近親者についての情報は、まず真っ先に知らされるものの一つだ。梅花はおずおずと頷く。
「はい。その後お変わりがなければ、ウィンにいますよね?」
梅花は記憶を掘り返した。シンの妹の居住地変更の申請が出されたのは、確か神技隊選抜が最終決定する前後のことだった。彼に戻る場所がなくなったと知って、梅花は内心複雑に思ったものだ。
「……ってことは、当然、どこに住んでるかも知ってるんだよな」
そこでシンは深々と息を吐いた。彼の気にじわりと自嘲の色が滲んだ。一体何を言わんとしているのかわからず梅花は一瞬ぽかんとし――ついで驚嘆する。まさか、シンは知らなかったというのか?
「え、シン先輩。もしかして知らなかったんですか?」
「ああ、知らなかった。昨日行って驚いた。……たぶんリンは、まだ気づいてないぞ」
苦笑しながら首肯したシンを、梅花はただただ凝視した。シンの妹である京華が居住地変更先として申請してきたのは、リンの実家にあたる。それはつまり、リンの兄であるリュンクとパートナーとなったことを意味していた。
「私、てっきり、知ってたからそんなに仲がよいのかと」
梅花は頭を傾けた。むしろ、その事実を知らずにどうしてそんなに意気投合しているのかという方が不思議だった。ここでどんな反応をすべきなのか判然とせず、梅花はただ瞳を瞬かせる。
確かに、スピリットの選抜が決定されるその前後は、ウィンはばたばたとしていた。危うく大火事になるところをリンが消し止めたというあの事件は、選抜直後のことだったはずだ。
その後倒れたと聞いて心配していたが、リンの精神はじきに回復したらしかった。その間リンの家で何が起こっていたのか、梅花には知るよしがなかったが。思っていた以上に大事になっていたのかもしれない。
「すごい偶然、で片付けていいんだか悪いんだか」
シンは頭の右側を押さえながら左の口角だけをつり上げる。なるほど、それを昨日知ったのだとしたら、さぞ衝撃を受けたことだろう。
シンが根本的なところで何に躊躇しているのか、梅花にはぼんやりとしか掴めないが、それでも動揺するのは理解できる。
「偶然、とも言えないかもしれませんけどね」
「……え?」
「だってそのお二人には、強い技使いの兄弟同士という共通点がありますから」
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