第9話「いや、最悪ではないな」

「しかし大部分の神や魔族はそうではない。肉体を維持できなくなれば、そのまま核も消える。だがすぐ失われるわけではない。特に強い神や魔族であればあるほど、核の状態でしばらくは生きながらえていると言われている」

 続くレーナの話に、何だか嫌な予感がしてきた。滝は思わず固唾を呑み、拳を握る。じわりと滲んだ汗が背中を伝っていった。

「その核が人間に入り込んだ場合に、技使いが生まれる。どの程度の強さになるかは、元々の核の強さや、核と肉体との相性によるらしい」

 ついでふわりと微笑んだレーナは、人差し指を立てた。あっと誰かが声を漏らした。予感が的中したことを悟った滝は、細く長く息を吐き出す。長年の疑問がまさかこんなところで明かされるとは思ってもみなかった。

 神や魔族について何も知らないのだから、人間たちが不思議に思っているのも当然だろう。遺伝も訓練も関係ない理由もよくわかった。偶然入り込んでいたかどうかの違いだ。人間側ではどうにもならない。

「だから神や魔族が多く死んだこの星には技使いが多い。強い技使いの数も多いんだ。宇宙はもっと少ない」

 そこまで聞けば、先ほどレーナが何を言いたかったのかも朧気に見えてきた。滝は握りしめていた拳から力を抜く。すると梅花がぽつりと声を漏らした。

「つまり、人工的な技使いっていうのは……」

「そう、オリジナルたちの遺伝子を使って作り上げた肉体に、魔族や神が直接核の情報を注ぎ込んで生み出された存在ってことだ。ちなみに、核の情報を何かに注ぎ込むというのが、神が神を生み出す手法だ。故に、我々の存在を認めたくない魔族は、我々のことを生き物扱いしていない」

 相槌を打ったレーナは爽やかに断言した。ずいぶんあっけらかんとした口調だったので、内容が頭に入りきらなかったくらいだ。

 ようやく魔獣弾がレーナたちに対して取った態度の理由もわかった。魔族が生み出した存在には違いないが、その方法はあってはならないものだった。レーナたちの存在は、魔族にとっては禁忌に近い。

「その後、わけあって我々はアスファルトの元を飛び出したわけだが……」

「え、そこでいきなり詳細省いちゃう!?」

 と、そこで突然背後からリンの声が上がった。いつも以上に甲高い声だった。突然はぐらかされたような言い回しになったので、指摘したくなる気持ちはわかるが。

 しかしこの空気の中でも気後れせず突っ込むのは、相当剛胆でなければ不可能だ。

 レーナは一瞬だけ虚を突かれたように眼を見開いてから、くすりと笑い声を漏らした。彼女は顎先に指をそえどこか妖艶な微笑を浮かべると、小さく肩をすくめる。

「それはなあ、うん、家族の問題のようなものだし。まあ半分は、魔族間のごたごたに巻き込まれそうになっていたからなんだがな。……当時、五腹心の間でも我々の扱いをどうするかは意見が分かれていた。それは想像できるだろう?」

 曖昧な表現であったが、レーナの言わんとすることはわからないでもなかった。いや、むしろすぐに殺されていないのが不思議なくらいだ。魔獣弾たちの反応もそれを裏付けている。

 彼女たちが無事だったのは、それだけアスファルトという魔族に力があったためか。それとも五腹心側にも、レーナたちを利用する意図でもあったのか。滝にはあれこれ想像するしかない。

「それよりもお前たちが本当に聞きたいのは、われが何故お前たちを守ろうとしているかだろう?」

 だがついで放たれた一言の方が、滝の心にさくりと刺さった。図星だ。ざわりと動揺の波が広がったように感じられたのは、気のせいではないだろう。あのケイルの眉がぴくりと反応するのも視界の隅に映った。

 おそらく、それは誰もが知りたい点だ。

「それはユズの言葉があったからだ。ユズというのは先ほど言った、アスファルトが交友を持ったという神だ。彼女は別の世界から、未来を変えるために足掻きに来た、転生神キキョウの妹だ」

 よどみなく紡がれた言葉の先に見知らぬ名が登場し、滝は片眉を跳ね上げた。転生神は六人いるというから、その一人だろうか? 別の世界では、転生神が生きているのか?

「神魔世界の他に、神技隊らが赴いた無世界があるように、他にも無数の世界があると言われている。そのうちの一つ、ここよりもずっと時間が流れている世界に生まれたのが、転生神キキョウだ。彼女は転生神リシヤの生まれ変わりで、記憶を取り戻した者だった」

 けれども続く説明が滝の予想を覆した。封印結界を施したという、転生神リシヤの生まれ変わり。ざわりと自分の胸の奥底を撫でられたような心地になった。何故だか知らないが落ち着かない。脈打つ鼓動の音が強く感じられる。

「しかし転生神キキョウは何かを恐れるよう、多くを語らなかった。ただ失われてしまった機会を取り戻すべく、妹のユズを使って行動を開始した」

 ぴしりと、まるで空気に罅でも入るかのような音が聞こえた。いや、そう錯覚した。ケイルとシリウスの纏う気が変化したのが感じ取れる。これはおそらく、二人の知るところではなかったのだろう。

 だがアルティードは落ち着いた様子で押し黙っている。その差が妙に滝の心に引っ掛かった。頭の奥で奇妙な感覚が渦巻いている。

「ユズは転生神キキョウの意志を酌み、未来を変えるべく動いている。転生神キキョウが口にした数少ない情報の一つが、第二次地球大戦の直前に何らかの分岐点があることを指し示していた。ユズは、それを探っていた」

 周囲の変化などものともせずに、レーナは告げた。――第二次地球大戦の直前。それが現状を端的に表現したものであることを意識すると、肌が粟立つ。

 現在滝たちが立たされているのはそういう岐路だ。今まさに大戦が勃発しようとしている、そんな時代に立っている。

「ユズのいた世界では、この時期に地球の人間たちは死滅している。転生神キキョウが生まれたのはそのさらに後の話だ。彼女は遅かったのだという。この時期にいる技使いたちが、どうも最悪の事態を避けるための鍵となっていたらしい。ユズはそこまで突き止めた」

 レーナはそこで一瞬だけアルティードたちの方を見遣った。アルティードが瞳をすがめるのが、滝にも見えた。その冷静な瑠璃色の双眸が一体何を映しているのか、読み取ることは敵わない。

「……この時期にいる技使いたち」

 隣に立つレンカが独りごちた。人ごとのような響きを伴っていたが、よく考えれば、それが指し示しているのは自分たちのことだろう。

 しかし全く実感が湧かなかった。この非力な自分たちが、一体どのような役割を果たすというのか? 今の彼らに、事態を打破するような力はない。

「ユズは今ここにはいない。しかしわれはユズの意志を継ぐつもりで動いている。だからわれは神技隊を、いや、できる限りの技使い、人間たちを守りたいと思っている」

 それなのにレーナはそう断言した。迷いは一切感じられなかった。彼女が自分たちを守ろうとする理由は、これでようやくわかった。彼女にとってユズという者の存在はそれだけ大きいのだろうか。滝たちには推し量れない。

「以上でひとまずの説明は終了って感じだが。何か今のうちに確認しておきたいことはないか? こちらからはあるんだが」

 そこで一息吐いたレーナは、またアルティードたちの方へと向き直った。シリウスは怪訝そうに眉根を寄せたが、彼が口を開くより先にアルティードが一歩進み出てきた。優雅な白い上着が衣擦れの音を立てる。

「まずはそちらの用件を聞こうか」

 アルティードの穏やかな声が空気を揺らした。息苦しささえ覚えるような緊迫感の中でも、彼の存在はひときわ目立つ。それが気によるものなのかどうかは判断しかねたが、この動じることのない姿勢も影響しているのだろう。

 するとレーナは泰然と首を縦に振った。

「そちらの戦力について念のため確認したい。五腹心に対抗できる者はほとんどいない、という状況を念頭に準備していたのだが。異論はないか?」

 放たれた問いは無慈悲なほど鋭く、重かった。アルティードは表情を変えなかったが、ケイルはあからさまに顔を強ばらせた。シリウスはどこか不機嫌そうな眼差しのまま口を閉ざしている。

 この問いかけを肯定すれば、敗北を宣言しているようなものだ。少なくとも滝にはそうとしか思えなかった。

 だが正直なところ、あのミスカーテよりもさらに上位の魔族に対抗できる者が、この星に多くいるとも考えにくい。ならば、はなから結果は見えているのか。

「そう考えてもらっていい」

 アルティードは即答した。その潔い姿勢を前にすると、それでいいのかと聞き返す気も起こらなくなる。滝は思わず周囲の反応をうかがった。絶望、呆然、喫驚が、辺りに立ち込めている。

「逆に問おう。今の状況は、君が想定していたものの中で最悪の部類に入るのか?」

 と、アルティードはさらに言葉を続けた。それはできるなら直面したくはない現実を炙り出すような問いだ。まるで静かな駆け引きが繰り広げられているかのようだった。互いの覚悟を絞り出すような、捨て身の攻防だ。

「いや、最悪ではないな。正直なところを言えば、かなり上々といったところだ。直属級魔族二人に侵入された先の戦い、あれが一つの関門だった。あの戦いを誰一人失わずに乗り越えられたのは、ある種の奇跡と言っても過言ではない。五腹心の誰かが蘇るのも時間の問題だったが、その最初の一人がイーストであったことも不幸中の幸いだ。イーストの考えならある程度は読める。現状は、われが想定した中では相当ましな方に入る」

 そんな中、笑顔でそう告げるレーナの言葉がすとんと滝の胸に落ちた。それは今日耳にした陰鬱で薄暗い事実をそのまま柔らかく包み込むような、凜とした断言だった。

 ああ、と滝は胸中で感嘆の息を漏らす。彼女はずっとこのどうにもならない現実を胸に抱いたまま、最悪の事態のことを思いながらも、神技隊の前に笑顔で現れていたのか。彼女の思い描く最善の道を目指し、ここまで足掻いてきたのか。

 絶望しているのは今まで何も知らなかった滝たちだけなのだ。彼女は決して何も諦めていない。

「なるほど。さらに悪い状況も想定しながら、君は今まで準備を行ってきたわけだな?」

 相槌を打つアルティードの声音がどこか優しく感じられる。それだけレーナの一言は心強かったのか。覚悟の重さで言えば、彼女の方が上だったらしい。

「ああ、技使いたちがこの場から逃げ出すことまで想像していた。いくら逃げ場がないからといって、立ち向かうことまで強制はできないからな」

 片手をひらりと振ったレーナは、ついで滝たちへと一瞥をくれた。今までと変わりない笑顔だっただけに、その指摘には肝が冷えた。

 逃げ場がないのは間違いない。この星にいる以上は、どうしようもない。しかし『鍵』を狙う魔族に積極的に相対しなければならない理由はなかった。今の話を聞いても、人間たちにその義務はない。

 本当は選べるのだと、彼女はそう言いたいのか。昨日シリウスが「よく考えるといい」と言い残したのをふいと思い出す。そして、技という力を偶然得てしまった自分たちに、残された道のことを思う。

 宮殿に保証された住処はない。この星から逃げ出す手立てもない。だが宮殿の下で、彼らに振り回されながら生きねばならないわけではない。何を諦めて何を選び取るのか、自分たちで決めることはできる。

 滝はつと瞳を閉じた。こんな時に何故だか目蓋の裏に蘇るのは、懐かしい故郷の姿だった。

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