第8話「その言葉、私は信じよう」

「こんなところだな」

 シリウスは話は終わったとばかりにレーナへと顔を向けた。どうやら最後まで彼女に説明を任せるつもりなようだ。彼女は仕方がないと言わんばかりに肩をすくめる。

「ということだそうだ。一方、魔族は意見が分かれた。転生神の欠けた地球を攻め落とす提案をする者と、今は力を温存し、魔族の封印を解くための精神を集めることに力を注ぐべきと主張する派閥が生まれた。五腹心がどうにか束ねていた者たちが、好き勝手し始めたのもこの頃だ」

 魔族側の状況は新鮮らしく、アルティードとケイルの気がわずかに変化した。宇宙への出入りが禁じられた滝たちと同様に、彼らもあまりこの星の外のことは知らないのだろう。

 好き勝手し始めるの具体的な中身は滝にも推し量ることはできないが、この星とは全く違った状況に置かれていたことは読み取れる。

「ここまでで何かわからないことはあるか? いや、わからないことだらけだとは思うが、質問できそうな部分はあるか?」

 そこでレーナは一息吐いた。いつもの飄々とした笑顔が今日は一段と眩しく見える。

 滝はわずかに頭を傾けた。今の話を踏まえただけでも、彼女が見ていた世界と、神技隊が見ていた世界に大きな隔たりがあるのだろうと察することはできる。もちろん、まだまだ不可解なことは残っているが。

「レーナたちのことは?」

 そこで手を挙げたのは梅花だった。この状況で声を発することができるのはさすがとしか言い様がない。確かに、今の話だけでは、レーナたちの立場は不明瞭だ。

「ああ、それは後でまとめて話そう。たぶん、彼らも聞きたいことだろうし。それに、結構ややこしい」

 大きく頷いたレーナは、笑いながらちらりとシリウスたちの方を見遣った。それでもシリウスたちは黙していた。彼らの間に走る微妙な緊張感を読み取り、滝は瞳をすがめる。これは以前に何かあったようだ。

「疑問はそれだけかな? じゃあ続けるぞ」

 それ以上声が上がらないことを確認して、レーナは一つ頷いた。結われた髪が尾のように揺れ、白い部屋の中で軌跡を描く。これだけの人数がいるのに、ほとんどの者が微動だにしていない。彼女だけが唯一「静」とかけ離れていた。

「魔族の動きはしばらく混沌としていが、それでも無駄に戦力を削るのは得策ではないという方向で落ち着いていった。直属殺しみたいなのも暗躍していたしな。神も神で結界の維持に専念していたので、しばらくは膠着状態が続いた。宇宙では、水面下の攻防が繰り広げられた」

 振り返らずに手を掲げたレーナは、ペン先で大きな円の外を叩く。それが指し示しているのは宇宙だ。

 その間も、結界の内側である地球では、人々は何一つ知らずに過ごしていたわけだ。自分たちが守られているとも知らずに、仮初めの平穏のただ中にいたことになる。

「この膠着状態に変化が起きたのは、今から約二十年ほど前のことになる」

 そこで突然現実に近い数字が飛び出してきた。思わず神技隊らの間がさざめく。二十年前と言えば、もちろん滝も生まれている。

「前触れもなく、巨大結界の穴が発見された。それはかろうじて保たれていた均衡の終わりを意味していた」

 レーナは軽くそう告げてくれたが、何を言わんとしているのかは理解できた。結界の穴とはおそらく、無世界に通じるゲートのことに違いない。人間の技使いが偶然見つけたという異世界へ通じる穴だ。

「その穴の存在を知った神がどう思ったかはわれの推測でしかないが……まあ、隠したくはなるよなぁ。どうかな?」

 再びレーナはシリウスたちの方へと双眸を向けた。悪戯っぽい言い回しではあるが、彼女の声に揶揄する響きはない。

「ああ。我々はまずこの事実が魔族に伝わるのを恐れた。故に、結果外に飛び出した人間がそこで技を使う前に連れ戻すことを考えた。それがうまくいかなかったことは、お前たちがよく知っているだろう」

 誰も答えないのではと思ったところ、口を開いたのはアルティードだった。理知的で静かな声が、苦々しい現実を伝えてくる。アルティードの瑠璃色の瞳に見据えられて、滝は固唾を呑んだ。

 無世界で技を使ってはいけない。無世界で騒ぎを起こしてはいけない。かつ、無世界で技を使って混乱を引き起こそうとする技使いを連れ戻すこと。それが神技隊の役目だ。

 それらが一体何のためであったのか、ようやく腑に落ちた。上が恐れていたのは、穴の存在が魔族に知れ渡ることだったのか。

「しかも問題はそれだけに留まらなかった。リシヤの封印結界が緩み始めていることを我々に忠告してきたのは、そこにいるレーナだ」

 さらにアルティードの重々しい言葉が続く。レーナが上の者に直接接触していたことを、この時滝は初めて知った。道理で彼らはレーナを警戒するわけだ。その事実を彼らは自分たちだけの極秘事項としたいのだから。

『この星はいずれ戦場になる』

 そのようなことをいつかレーナが言い残していたのを思い出す。巨大結界に穴が開き、封印結界が解け始めたのならば、確かにこの星は近いうちにまた戦場と化す。

 ――まやかしの平穏は終わった。長く続いていた均衡の中にあったことを知らなかった滝たちも、今ならば理解できる。

「ああ、確かにわれが忠告した。そして実際に一部の封印は解けた。しかもその騒ぎにあのミスカーテが気づいてしまった。彼は五腹心直属の魔族だ。性格に難があって他の魔族にも恐れられているが、少なくとも転生神の生み出した結界が崩れ始めていることは知れ渡ったと考えていいだろう」

 アルティードの言葉を受けて、レーナが首を縦に振る。喉の奥がからからに乾いていくのを滝は自覚せざるを得なかった。結界の綻びに気づかれたとなれば、いずれ魔族はここを攻めてくるに違いない。

 それは皆も理解できたのか、辺りに漂う気に絶望的な色が混じり始めた。視界の端では、あのダンでさえ蒼い顔をしている。

「しかもまずいことに、ここにきて五腹心の一人であるイーストが復活した」

 不意にがたんと机が揺れた。音のした方へ目を向ければ、ケイルが拳を机に叩きつけたところだった。強ばった顔に浮かんでいるのは恐怖と怨嗟だ。ふるふると震える拳が白くなっている。

「そんな話は聞いていない」

「うん、今言った。情報共有だろう? だから伝えた」

「正気か。信じられん。その根拠はどこにある?」

 ずれた鼻眼鏡を正しつつ、ケイルはレーナをねめつけた。それでも動じる素振りは見せずにレーナは首肯する。

 アルティードが絶句している一方でシリウスが平然としているところを見ると、実は既に知っていたのではないかと滝は疑う。あれだけ会話を交わしているのだから、どこかで話に出ていてもおかしくはない。

「イーストの気を感じた。それだけでは不服だろうが、われにはそうとしか言えない。冗談だと笑い飛ばせたらいいのだが」

「その言葉、私は信じよう。もし君の勘違いだったとしても、その前提で動いておいて損はない。リシヤの封印結界が完璧でない以上、いずれは遭遇する事態だ」

 そこでアルティードが口を挟んだ。彼が頷くとさらりとした銀糸が揺れる。

 それでもケイルの気に含まれる疑念は消え去らなかったが、アルティードに肩をぽんと叩かれ、さらなる詰問は諦めたようだった。渋々ケイルが頷けば、また鼻眼鏡の位置がずれる。

 と、アルティードはわずかに相好を崩した。

「君の言葉が本当かどうかは、いずれわかる」

「そう判断してもらえるのはありがたいな。不幸中の幸いなのは、蘇ったのが慎重派なイーストだったことだ。彼は十中八九情報収集を優先する。その間に、こちらも戦力を整えて対応策を考えたいと思っている」

 レーナはこともなげにそう言ったが、対応策などあるのだろうか? それが滝の正直な気持ちだった。いまだ震えているケイルの拳を見てもそう疑問に思う。

 この状況で、五腹心に対抗する術などあるのか? あのミスカーテが五腹心直属ということは、五腹心はもっと強いと考えるべきだろう。

「まず、大雑把な現状の説明はこんなところだ。何か質問はないか?」

 再度レーナから確認の声が放たれたが、容易に口を開けるような心境ではなかった。レーナがあれだけ強固な建物を作った理由もわかった。大戦が始まれば、この地球にいる限り安全な場所などない。

「今の人間たちにそんな余裕があるわけないだろう。後にしてやれ。それよりもお前たちの話の方が、彼らにも興味深いんじゃないのか?」

 すると、誰もが押し黙っている中でシリウスが苦笑をこぼした。

 彼の示唆は間違ってもいないが、これ以上の情報をうまく受け取れる自信もなくて、滝は頭痛を覚えそうになる。思わず隣のレンカと目と目を見交わせた。彼女が小さく頷いたのを見ると、少しだけ気持ちが静まっていく。

「あー、我々の話な」

 レーナはそこでちらと右手を見た。アースたちの方だ。先ほどから黙してじっと息を潜めるようたたずんでいた彼らは、ここにきて何か言いたげな様子だった。それでも口を開いたりしないのは、皆には聞かれたくなかったからか。

 レーナは小さく嘆息すると、また滝たちの方へと向き直る。

「それじゃあ話を少し変えようか。我々を生み出したのは、一人の魔族だ。五腹心級の力を持っていたが、無理やりその直属にされた。その男の名をアスファルトという。先日ミスカーテの挑発に乗ってこっちまで来てしまったので、見かけた者もいたかもしれないな」

 一瞬だけ天井を見上げたレーナは、説明を再開した。先ほどよりも幾分か歯切れの悪い調子なのは意外だ。さしもの彼女も自分の出生について語るのは苦手なのか。

「アスファルトは魔族の中でも異端だった。五腹心の言う通りに動かないというのもあるが、彼は偶然出会った神と交友を持つに至った。そしてその知識を利用して、人工的に技使いを作るような真似をした」

 ただ事実のみを伝える口調でレーナは続ける。しかし幾つか引っ掛かるところを覚えて、滝は瞳を瞬かせた。神と交友を持つというのも耳を疑う部分だが、人工的に技使いを作るという表現が腑に落ちない。

「え、ちょっと待って。神と交友? それに人工的な技使いってどういうこと?」

 疑問を持ったのは梅花も同様だったらしく、すかさず問いを挟んでくれた。やはり彼女は頼りになる。するとレーナは心底不思議そうにきょとりと目を丸くし、首を捻った。

「神のことはこれから語るんだが……。えーっと、技使いについてもわからないか?」

「わ、わからないの。申し訳ないけど、私たちは技使いがどうやって生まれるのかも知らないのよね」

 まるで子どものように頭を傾けたレーナに、梅花は至極すまなさそうにそう告げた。

 彼女の言う通りだ。技使いについては長年の疑問だった。どうすれば技使いになるのか、どうすれば技使いが生まれるのか、誰も知らない。遺伝ではないし、訓練の結果でもない。一体どんな法則性があるのかわからず、皆が訝しんでいた。

「ああー、そうか。神や魔族の存在も隠されていたくらいだったな。ならば当然知らないのか。つまり、神や魔族の核についても知らないわけだな?」

 ぽんとレーナはペン先で手のひらを叩き、そう尋ね返してきた。すると後ろで幾人かがぶんぶんと首を縦に振る気配がする。そこにはこの機を逃してはなるまいという気迫が滲んでいた。

「では簡単に説明しよう。神や魔族の本体みたいなのが核。人間で言う遺伝情報みたいなのもそこにあると思っていい。転生神のような力のある神なら、核が無事なら転生したり自ら肉体を生み出すことさえ可能だと言われている」

 なるほどと滝は相槌を打った。転生神とさも当たり前のように言われたが、そういう理屈だったのか。具体的な姿は想像できないが、かつて絵本で見かけた魂みたいなものを想像したくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る