第7話「講義でも始まるのかしら」

 この部屋の物々しさは周囲に伝わっているのだろうか。そんなどうでもいい疑問が湧き上がるのを止められず、滝はゆくりなく視線を巡らせた。

 宮殿の中央会議室に足を踏み入れるのは、彼も初めてのことだ。何度か部屋の前を通りかかったことはあるが、複雑な結界が張り巡らされているため、いつも早足で通り過ぎていくことがほとんどだった。

 中に入ってしまうと結界による威圧感が薄らいだところをみれば、ただの結界ではなかったらしい。ならば、この中の様子は外には伝わらないのだろうか?

「皆揃ったようだな」

 大きな楕円形の机の向こうで、アルティードと名乗った男が声を上げた。透き通るような銀色の髪がまず目を引く。青年と呼ぶべき容姿のように見えたが、彼も神なのだとすれば見た目通りの年ではないだろう。

 その隣にはケイルと紹介された者、そしてシリウスがいた。彼らが揃うだけで謎の圧迫感を覚えるのは、気によるものだろうか。押さえているのはわかるのに、それでも滲み出る何かがある。

「人間たち、心の準備はいいか?」

 ついでこちらへ問いかけてきたのはシリウスだ。尋ねられたところで確たる返事ができるわけではないのだが、滝はとりあえず大きく頷く。時間を引き延ばしたところで何かが変わるわけではない。後ろにいる仲間たちの気配もそう訴えていた。

「はい。お願いします」

 声で答えたのは梅花だ。ちらと肩越しに振り返れば、左斜め後ろにたたずんでいる彼女は普段と変わらぬ涼しげな顔をしていた。どんな状況であっても、どんな上が相手でも、いつもの調子でいてくれるのは頼もしい。

 するとシリウスはおもむろに視線を左手へと転じた。つられて滝もそちらを見遣る。

「だ、そうだ」

「あーわかったから。見てわかるだろう、準備中だ」

 シリウスが双眸を向けた先にいるのはレーナだ。大きな板に、これまた大きな紙を貼り付けている彼女の後ろ姿を、滝は得も言われぬ気分で見つめる。

 身長が足りないのを助けているのはネオンだった。これまた違和感を覚える光景だ。

「講義でも始まるのかしら」

 後ろでぽつりと声がした。リンだ。そう言われると、神技隊に選ばれた際、無世界の文化について学ぶ時にもあのような大きな板が使われていたのを思い出す。なんとはなしに懐かしくなるが、現状とはそぐわない。

「今日の目標は情報共有だ。が、人間たちはどうやらこの星の事情について何も知らされていないようなので、まずわれが説明することになった」

 板に貼り付けられた紙は真っ白だった。それに背を向けこちらへと振り返ったレーナは、辺りを見回しながらにこりと微笑む。

 シリウスたちに向けた視線はうろんげだったが、無論そんなことで動じるような相手ではない。シリウスは不敵な笑みを浮かべたままだったし、アルティードは真顔を崩さなかった。

 ケイルという男だけは、どちらかと言えば苦々しい目をしたままで黙している。

「質問は適宜受け付ける。どうしてもわからない場合は言ってくれ。で、大まかな説明が終わったら、神々のご要望に応えるという形でいいんだな?」

 前半は神技隊に向けて、そして後半は上に向けての言葉だろう。レーナは再び皆の顔を順繰りと見た。滝たちが口を挟むような空気ではなかったが、一応配慮はしてくれているらしい。

 無反応な面々はともかくとしてシリウスが一つ首を縦に振ったので、レーナはそれを了承と受け取り話を進めることにしたようだった。彼女の双眸がつと滝たちに向けられる。

「さて、まずは簡単な事実確認だ。神や魔族という名前は聞いたことがあるよな? まあ、なくても、そう呼ばれている種族のような存在がいるとでも思ってくれ」

 何の躊躇いもなく、レーナは話し始めた。まるで以前からその心づもりがあったかのようだった。しんと静まりかえる室内に、彼女の声だけが染み入る。奇妙な緊張感が辺りに充満していった。

「彼らは元からこの世界――神魔世界にいたわけではない。別の世界に存在していた。魔族が多くいた場所を魔族界、神が多くいた場所を神界と便宜上呼んでいるが、そもそも彼らがそこで生まれたのかもわかっていない。何故わかっていないのかと言えば、それを知っているだろう者たちが消えてしまったからだ」

 続けられたのは気の遠くなるような話だった。シリウスたちが妙な顔をしたり負の気を漂わせなかったところをみると、嘘は言っていないのだろう。滝はひっそり周囲へ視線を走らせた。神技隊は全員何とも言いがたい顔をしている。

「消えてしまったというのは正確ではないな。上位の魔族は、いつの間にか何者かによって封印されていた。時を同じく、上位の神も忽然と姿を消した。その理由についてはいまだに明らかとなっていないが、神はそれを魔族のせいだと思っているし、魔族は神のせいだと思っている。誰もが何もわかっていないその時代のことを、皆は闇歴と呼んでいる」

 淡々と告げられる声が、滝の鼓膜を優しく揺さぶった。一瞬ケイルがぴくりと眉を跳ね上げ、ついで鼻眼鏡を正す姿が視界に入る。しかし文句を言うつもりはないようだった。レーナはそれを確かめるよう視線を巡らし、一息吐く。

「魔族らは、上位の魔族の封印を解くために動き出した。それを阻止するために、神も応戦した。その最中で、封印の鍵を求めた魔族の一人が、この神魔世界へと辿り着いた。もっと正確に言えば、神魔世界にある地球という星に」

 そこでレーナはどこからともなく細長い何かを取り出した。黒っぽく見えるそれがペンであるとわかったのは、背後の白い紙に円を描いたからだ。黒く書かれた小さな円を、彼女はペン先で指し示す。

「ちょうど今我々がいるこの真下あたりに、封印の鍵となるだろう技が施されている」

 突然の身近な話に、滝は一瞬思考を止めた。そして喫驚した。思わず床を見てしまったが、それは仲間たちも同じだったらしい。ざわめきが広がっていく。この真下というのは、つまり宮殿の下のことなのか?

「魔族からここを死守するために、神は鍵を守る仕組みを作り出そうとした。まずは物理的に。加えてそこを強化する結界を張った」

 慌てて滝が顔を上げれば、小さな円は黒く塗りつぶされていた。物理的にというのは、まさかこの宮殿のことなのか。ここによくわからない気が充満しているのは、鍵を守るためだったのか? 円がさらに丸で囲まれるのを、滝は呆然と見つめる。

「魔族が出遅れたのは、神界がここに一番近かったからだ。魔族がこの鍵のありかを見つけた時には、既に神がその守りについていた。神と魔族、鍵を巡る攻防は苛烈をきわめた」

 お伽噺のような壮大な話なのに、その舞台となっているのは滝たちが立っているまさにその場所とは。そのちぐはぐな状況を受け止めきれず、滝は頬を掻く。レーナの説明に気持ちが追いつかない。

「その戦いに巻き込まれ、元々この星に住んでいた生き物は根絶やしにされるところだったそうだ。けれども、その最中で何者かが宇宙への移住計画を遂行したらしい。その辺りの詳細についても不明だ。当時の全体像を把握している者はいない。この時期の戦いを便宜上、地球大戦と呼んでいる」

 まるで絵空事だった。よどみなく紡がれる物語は、子どもの頃に読んだ絵本の中の出来事のようだ。しかしこのところ見聞きしている物事を裏付けるような情報でもあった。嘘だと笑えないのはそのためだろう。

「地球大戦の際、魔族を率いていたのは五腹心と呼ばれた五人の魔族だった。彼らは封印された魔族を除けば、最も上位と思われる者たちだ。ばらばらだった魔族をまとめ上げる手腕はなかなかのもので、神は次第に劣勢に立たされた」

 レーナの話が進むにつれて、アルティードたちの気が重く沈んでいく。そこにあるのは怒りではなく悲しみだ。滝ははたと気がつく。神技隊にとってこれははるか昔の出来事だが、アルティードたちにとってはそうではないのだと。

「――そんな時に突如現れたのが、転生神だ」

 ふいと、レーナの視線がこちらへ注がれた。まるで神技隊の理解の具合を確認するような真っ直ぐな眼差しに、何だか滝は落ち着かない気持ちになる。転生神という響きには覚えがあったが、詳しいことは聞いたことがなかった。

「転生神は消えた上位の神の生まれ変わりだと言われている。そのきっかけとなったのは、転生神アユリの存在だ。彼女は忽然と何もない空間から姿を現し、シレンとの関係を示唆した後に倒れた。シレンを含め、アユリと何らかの反応を示した者たちが、後に転生神と認められた。彼らはいつしか対魔族戦闘の主軸となった」

 ただの読み物として聞いているのであれば、どんなによかっただろう。しかし今彼らが立っているのはその物語の先だ。滝はもう一度床へと視線を落とす。何も知らなかった頃には戻れぬという実感が、突如として湧き上がってきた。

「転生神として確認されたのは、今のところ全部で六人。彼らと五腹心の攻防は長らく続いた。はじめは魔族の方が圧倒的に優勢だったが、転生神リシヤが封印の力を引き出してからは、魔族にも焦りが生まれた。しかし鍵を守らねばならぬ神の方が劣勢であることに変わりはなかった。だから転生神アユリは、この鍵を包むような強固な守りを作り出すことを決意した」

 レーナはそこでもう一度背後を振り返り、ペンを走らせた。大きな円をぐるりと囲むようにもう一つ、太い円を描く。

「それがアユリの巨大結界と呼ばれるものだ。この地球をぐるりと包み込む巨大な結界。いや、この神魔世界の地球という星を、その他の空間から切り離すような大掛かりなものだ。もちろんそれを作り出すには大量の精神が必要であったため、その間アユリは身動きが取れなくなった。その間に、転生神の二人は失われた」

 ――巨大結界。その聞き慣れた響きに滝の鼓動は跳ねた。背後の仲間たちの間に再びさざめきが広がる。

 彼らが無世界に行く際に通っていたゲートは、巨大結界の穴だと言われていた。それが転生神の生み出したものだったとしたら……。そこに穴があるという事実が、意味することは重い。

「地球大戦の結果がどうなったのか。結論から言えば、形の上では神が勝利した。リシヤは五腹心の封印に成功し、地球はアユリの巨大結界に無事包み込まれた。だが神々が失ったものも多かった。転生神はみな力尽き、消えた。そのため、神はこの結界の死守を最優先とすることにしたらしい。……と説明していいんだな?」

 そこでレーナはシリウスたちの方へと一瞥をくれた。間違いがあれば訂正しろということか。ケイルは眉をひそめ、アルティードは小さく頷く。彼らの気に纏わり付くものは依然として暗く冷たい。

「正確に言えば、巨大結界の維持と鍵の守りの管理だな」

 そこで付言したのはシリウスだった。表情を変えずに口を開いた彼は、首肯しつつ腕組みをする。

「残念なことに、中だからといって安心できるわけではない。リシヤの封印結界の一部がこの星に直結しているため、そちらの見張りも兼ねた体制だ。逃げ遅れた人間たちが生存できる環境を整え、結界に影響を与えないようにと管理し始めたのもそのためだ」

 淡々と告げるシリウスの声が、沈みきった空気を揺らした。自分の感情を交えぬその態度は、レーナのものと似ている。皆の視線も自然と彼の方へ集まった。

 滝は思わず顔をしかめた。逃げ遅れた人間たちという表現が胸に刺さる。つまり、現在この星で暮らしている人間は、大戦の中に取り残されてしまった者たちの子孫なのか。

 なるほど、本来はここに人間を置く予定ではなかったらしい。けれども結界が完成してしまったからには、外に追い出すこともできない。そういうことだろう。

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