第11話「最後まで心を尽くしましょう」
「どう受け取ろうが私はかまわん。しかし、このまま技使いたちを置き去りにもしておけない。まさかお前も、あのアルティードたちが人間の事情を理解できているとは思っていないだろ?」
何かを見透かすようなシリウスの反論に、レーナは諦念を孕んだ眼差しを向けた。どうやら折れたのは彼女の方らしい。珍しいものを見る心地で青葉が唸っていると、梅花が怖々と口を開いた。
「それってもしかして……」
「ああ、すまないな。オリジナル。神々が職務放棄するらしいので、われから皆に事情説明しなければならなくなった。だから話はあらためて――神技隊が揃ってからだ」
戸惑う梅花へと、レーナは微苦笑を向ける。一方、チクリと刺されたはずのシリウスは晴れやかな気を放ちながらこちらを見ていた。
ようやくことのあらましが把握できるらしいというのは掴めたが、今すぐではないようだ。
――神技隊が揃ってから。それはつまり、神魔世界に呼び戻されてからとなる。元々確認したかったところへかろうじて話題が戻ってきたことを、青葉は察した。
「神技隊が揃ってからってことは、この基地が完成した後ってこと?」
「そうなるな。中の整備が大まかに終わるのは……あと最低十日はかかるだろう。部屋とかは単純でいいんだが、結界装置の構築に時間が掛かりそうだ。あとは、食料保管の仕方とかだな。人数がいるから水回りも工夫しなくては。その辺の知識がないから、これも時間が必要そうだ」
つらつらとレーナの口から滑り落ちてきたのは予想外な言葉で。つい青葉は呆気にとられて絶句した。
確かに大人数での共同生活になるのだから、それなりの規模の設備が必要だろう。宮殿の第五北棟では、食事を用意するのも一苦労だった。残念ながらこの場所では買い物に行くのも簡単ではないだろう。ヤマトやウィンからも少し離れている。
しかし生活感のなさそうなレーナがそんなことまで考慮しているとは意外だった。まさか集団生活でもしたことがあるのか?
冗談のような思考が浮かんだところで、そもそも彼女たちが今までどこに住んでいたのか考えたこともなかったと気づく。
「え……もしかして、あなたたちもここに住むの?」
そこで何か思いついたように、カルマラが声を上げた。ちらと視線を向ければ、カルマラは呆然とした様子でレーナを見つめている。
その指摘に、青葉もはっとした。そんなことなど全く想像もしていなかったが、レーナが基地を用意したということは、そうなるのか。
「その疑問はどういう意味かな? 我々に、この基地の外で野宿しろとでも?」
鷹揚とカルマラの方を振り返り、レーナは悪戯っぽく微笑んだ。
離れたところでずっと無言を貫いていたアースから動揺の気が伝わってきたが、青葉はあえてそちらへは視線を向けなかった。おそらくアースもそのことについては考えていなかったに違いない。
「定期的な点検も必要だしな。結界装置といってもアユリの大結界とは違うから、そのまま放置というわけにもいかない」
続くレーナの言葉も、うまく青葉の頭に入らなかった。密かに握った拳に力を込めて、彼は深く息を吸い込む。どうやら今後もこの心労は終わらないらしかった。
買い物を終えたよつきは、店の中を見回した。平日のデパートは比較的すいているが、それでも一目で仲間の姿を見つけられるほど閑散とはしていない。
そもそも、違う階にいる可能性もある。仲の良さそうな老夫婦が通り過ぎるのを待ちながら、彼は気を探った。
目視は無理でも気が感じられれば問題はない。今までは敵の襲来に備えて隠す必要があったため、この手段が使えなくなっていた。が、今は違う。
やはり気は便利だ。上の階にジュリがいることを突き止めた彼は、階段へと向かった。エスカレーターと呼ばれる移動装置があるのはわかっているが、あれはいまだに慣れない。
「ああいうのって、タイミングが掴めないんですよねぇ」
苦笑しつつ、彼は紙袋を持ち直した。
この中に入っているのは、心ばかりの山田家へのお礼の品だ。よつきたちが選んだものなどあの裕福な一家にとっては大したものではないだろうが、何もなしにお別れというのは憚られる。
だからジュリと相談し、ささやかながらでもお礼を渡すことに決めた。
ジュリは別に見たいものがあるというので、よつきがまず贈答品のコーナーへ向かうことになった。
あれこれ考え悩んだ末に選んだのは、旬の果物だ。これなら彼らでも高級品か否かがわかりやすい。ここにあるのはそれ用の扱いになっているものだけだ。
「あ、いたいた」
階段を上って辺りを見回せば、会計をしようとしているジュリの姿が目に飛び込んできた。その穏やかな横顔からは、こちらに気がついた様子は感じ取れない。
珍しいなと思いながらも、彼は小走りで近づいていく。彼女の方が気の動きには聡いはずなのに。
「ジュリ」
「あ、よつきさん。もしかしてもう終わったんですか?」
声をかけた途端、はっとしたようにジュリは振り返った。微笑んだよつきは、今まさに包まれようとしている品へと視線を落とす。
女性用の服だった。いや、少女用と言ってもよいかもしれない。春の花を思わせる暖かく華やかな色合いは、普段彼女自身が選ぶようなものではない。彼は素早く周囲を見回した。ここは主に子ども向けのものを扱っている階だ。
「もしかして、誰かにプレゼントですか?」
可能性としてはそのくらいしか思いつかないが、確信は得られなかった。山田家の長男はまだ子どもだったが、しかし購入したのは男児用ではなさそうだ。だとすれば一体誰に? よつきが首を捻ると、ジュリはくすぐったそうに笑った。
「はい、妹に。いつ会えるのかはわからないんですが」
包まれたプレゼントを受け取ったジュリは、はにかみながら首を縦に振った。そういえば彼女には妹がいたと以前に聞いていた。けれどももっと年の近い妹だと思い込んでいた。
「こちらの服は可愛らしいでしょう? せっかくですから、持って行こうかと」
「そこで自分のは選ばないんですね」
「いつ何が起こるかわからないのに、着飾っても仕方ないじゃないですか」
ジュリは一瞬店員の方へと目を向ける。声が聞こえる距離であることを考えて、言葉を選んだのだろう。確かに、こんなところで物騒な単語を口にするわけにはいかない。詳しい話は買い物が終わってからだ。
彼女が歩き出すのにあわせて、よつきはその横に並んだ。「ありがとうございました」という店員の挨拶を背中に受けながら、彼はそっと彼女の顔を盗み見る。
妹は何歳なのだろう。神魔世界で今、誰と一緒に生活しているのだろう。半年も共にいたというのに、何も知らないのだと思い知らされたようだった。
レーナたちの来襲に、神魔世界に呼び戻されてからの魔族との攻防。仲間のことなど考える暇がなかったのは確かだが、それでも機会はあったはずだ。ジュリが大切に抱えた包みを見れば見るだけ、その思いが強くなる。
「普通の服だと、あっと言う間にぼろぼろですからね。だから私のはどうでもいいんです」
店員から離れたところで、ジュリはふっと苦笑をこぼした。その明るい茶色の髪がふわりと揺れる。それを最後に切ったのがいつなのか、よつきは全く覚えていなかった。彼の髪はいつも、放っておくと見かねた彼女が切ってくれていたのに。
「その分も、本当は、妹には普通の生活を送って欲しいんですけど」
階段へと向かうジュリの足取りが若干速くなった。普段通りを装う彼女の気に滲んだのは自嘲気味な色で。よつきは青い瞳を瞬かせる。
普通の生活とは、一体どういうものを指すのだろう。ふと脳裏をよぎる疑問に薄ら寒い心地になる。
奇病が流行った時点で、もう既に彼らから「普通」は奪い去られている。少なくとも彼女のいたウィンや、彼が住んでいたアールはそうだ。だが奪われたのは皆が同じだったから、それが新たな「普通」になっただけだ。
そして神技隊らは、今また新しい生活に移ろうとしている。無世界での日常が終われば、予想もできない日々が待ち受けていることだろう。これからの生活にどれだけ平穏な時間があるのか、彼には判然としなかった。
ならば彼女は妹に一体何をどう告げるつもりなのだろう。神魔世界に戻ってきても、自由には会えない。
「でも嘘吐きにならずにすんだのはほっとしてます」
通路が終わりを迎えるところで、くすりとジュリは声を漏らして笑った。かつんと小気味よい靴音が踊り場で跳ね返る。彼女の顔をのぞき込み、よつきは眉をひそめた。
「嘘吐き?」
「無世界に来る時に言ったんです、きっとすぐに戻ってくるって。無理だってわかっていたのに……。けれども本当のことになってしまいましたね」
独りごちるようなジュリの声が、人気のない静かな空気に染み入った。聞き慣れているより高い声が、彼女の強がりを象徴しているようだ。
おそらく口にせずにはいられなかったのだろう。それだけ彼女の中でしこりとなるような後悔だったに違いない。
よつきは閉口した。軽々しく同意もできないが、それ以外のうまい返答も思い浮かばない。
「すぐに渡せるといいですね」
かろうじて声になったのは、ささやかな願望だ。当たり障りのない、新たな傷を作ることのない、優しい希望。毒にならないかわりに、何の慰めにもならない言葉。
しかしだからといってジュリが落胆することもない。彼女はまた微笑んで頷いた。
「はい、そう願ってます」
その声が実に柔らかく響いて、よつきの胸を静かに叩く。何も知らされず翻弄されてきた彼らには、祈ることくらいしか許されていない。せめてこれから一体何が起こるのかわかれば、どう振る舞えばいいのか選べるのだが。
「その前に、まずはそちらで喜んでもらえるかどうかが心配ですね」
と、ジュリの声音が変わった。苦笑交じりに告げる彼女の視線の先は、よつきの持つ紙袋に注がれている。「ああ」と彼は声を漏らした。確かに、こちらの贈り物の方が先だ。
「そうですね。彼らの口に合うとよいのですが」
「大事な方をよつきさんに任せちゃってすみません」
「いや、いいんですよ。わたくしもよくわからなかったので、店員さんの言う通りにしてしまいました。だから時間も掛からなくて」
申し訳なさそうに頭を下げたジュリに、よつきは笑ってみせた。本当は彼女が合流するまで待つつもりだったのだが、結局彼の買い物が先に終わったのはそのためだ。
自分たちには判断基準がないのだから、あとはその場で得られる情報に従って選択するしかない。売り場から受ける謎の圧迫感を前にうろうろするのが苦痛だったというのも理由の一つだが、それは胸の内にしまっておく。
「こっちにいるのもあともう少しですからね。最後まで心を尽くしましょう」
優雅な屋敷生活の終わりを感じながら、よつきは手のひらに力を込めた。かつりと階段に響いた靴音が、そこはかとなく重たげに鼓膜を揺らした。
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