第8話

「あ、あの……聞き間違いでなければ、仲間にしたいから協力して欲しいという風に聞こえるんですが」

「その認識で問題ない」

 一応恐る恐る尋ねてみたが、即座に首肯されてしまった。梅花はますます当惑した。あまりの忙しさで上は恐慌状態にあるのではないか? 気でも狂ったのか? そんな想像までしてしまう。

 上はレーナのことを快く思っていなかったはずだ。できることなら排除したいと思っていたはずだ。ラウジングとレーナの一戦が思い出されて、胸の奥がじくりと痛み出す。

 それともそれは一部の者たちの話であって、シリウスは違うのか?

「それは、上の総意という風に捉えてよいんでしょうか?」

 もしもまた上で意見が割れているようであれば、巻き込まれるのはまずい。その思いから咄嗟に聞き返してしまったが、かなり失礼な問いだったのではないかと気づき梅花は内心で慌てた。上の者の機嫌を損ねるのはこの場合どう考えても得策ではない。

 するとシリウスは小さく感嘆の吐息を漏らした。それがどういう意味なのか図りかねていると、さらに苦笑が続く。

「なるほど、苦労してきたわけだな」

「あ、あの……」

「総意かと言われると悩ましいところだ。他の奴らを納得させるだけの条件を揃えなければならない。そのためにも協力して欲しい。もちろん、私がこうして動くことに対しては同意を得ているからその点は心配いらない」

 シリウスの言動から、どうやら感心されたらしいと梅花は悟った。それは上の派閥への理解についてだろうか?

 誰と誰が敵対しているだとか、誰に最終的な決定権があるのかについてまでは、もちろん梅花は知らない。しかしその均衡が微妙な力でもって成り立っているのは薄々感じ取っていた。

 一枚岩ではないし、かといって誰かが強い権力を握っているわけでもないらしい。

「つまり、私が協力することで問題が起きることはないんですね?」

 ならば確認したいのはその一点だ。神技隊の仲間たちやミケルダたちに負担がかかるような事態だけは避けたい。

 背後からは青葉を中心に皆の複雑な気が滲み出していたが、文句を口にする者はいなかった。うまく言葉にならないのだろう。

「それはない。成功しようが失敗しようがお前たちに直接影響はない」

「……間接的にはあるんですか?」

「成功すればお前たちを危険に晒す確率が減る。失敗すれば増える」

 感情のこもらぬシリウスの答えに、部屋の中が一気に静まりかえった。それは影響がないとは言わないのではないか? 顔が強ばるのを自覚しつつ、梅花は怖々と口を開いた。

「そ、それは、かなりの影響だと思うのですが」

「だろうな。この件がどうなろうとお前たちが責任を問われることはないという意味では影響はない。が、今後の魔族の動向を考える上では、重要な話ということだ。お前たちも先日の戦いでわかっただろうが、魔族がこの星に降り立ってしまった。彼らにこちら側の状況が筒抜けとなった可能性が高い。そうなると少しでも戦力が欲しくてな」

 抑揚乏しく語るシリウスの声が静養室の中に染み入った。やはり上の者だ。とんでもないものを投げ込んでくれた。

 こちら側の状況というのが何を指しているのかは不明だが、またミスカーテたちがやってくる可能性は高いということか。

 梅花としては上とレーナの諍いが落ち着くのはありがたいことだったが、しかし本当にそんなことが実現するのか? まったく現実感のない話だ。そのような未来など想像できない。

「こちらの力を利用したいのはあいつも同じだろうしな」

 そこまで聞いたところで梅花はふいと思い出す。先日の様子では、シリウスとレーナはどうやら知り合いのようだった。彼女を引き入れる策でもあるのだろうか?

「――協力、というのは私がすればいいんですか?」

 それはほとんど肯定しているような返答に聞こえることだろう。だが梅花にとっては重要な確認事項であった。

 自分たちに降りかかる危険を減らすと言われたら、さすがに反対する仲間たちはいないだろうが。しかしようやく回復してきた者も多いので、できるだけ最少人数でいきたいところだ。

 梅花一人が動けばいいのなら、それに越したことはない。

「そうだな、あいつをおびき出せばいいだけの話だからな」

 するとシリウスは即座に頷く。なるほど、『協力』の中身はレーナを呼び出すことだったのか。レーナは何故か神技隊を守ろうとしているので誰でもいいと言えばそうなのかもしれないが、その中でも梅花は一番わかりやすい目印となる。

「わかりました、協力します」

 先日の戦いを考えれば迷いはなかった。自分たちだけでは確実に死が待っている。あのミスカーテが再び現れて町を破壊するようなことがあれば、きっと神技隊はまた駆り出されるだろう。

 レーナたちを信用してよいのかという点では疑問が残るが、できる限り手を打っておきたいというのはわかる。

「おい、まさか梅花一人で行く気か?」

 そこで不意に肩を掴まれた。ぐいと引き寄せるようにして顔を近づけてきたのは、案の定青葉だ。ここにきてまだ心配だとでも言いたいのか? 梅花としては休める人間にはできる限り休んで欲しいところだ。

 しかしふと思い直す。万が一何かがあった時、証人が乏しいのは問題かもしれない。それに青葉の体力、回復力であればもう十分な休息はとれているだろう。ついてきてもらう人材としては適任だ。

「……シリウスさん、彼も連れて行っていいですか?」

 梅花は青葉の手を引き剥がしつつ、シリウスへと目を向けた。これで駄目だと断られればそれまでだが、先ほどの発言を思うにおそらく問題はないだろう。

 瞳をすがめたシリウスは青葉へと一瞥をくれ、また何とも言い難い表情を浮かべた。苦笑にも戸惑いにも似ているが、同時に一種の好奇心がのぞくような眼差しだ。気を隠しているので断定はできないが、そんな印象を受ける。

「それであいつが来なくなるなんてことはないだろう? かまわない」

 シリウスが考え込んだのはわずかな間だった。どうやら彼は目的が果たされればそれでいいという思考の持ち主のようだ。背後で青葉が安堵の息を吐くのが聞こえる。梅花は小さく相槌を打ち、後方を振り返った。

「ということになりましたので。ここを少しの間あけますがいいですか?」

 それはじっと黙り込んでいる仲間たちへの最終確認だった。特に明言はしなかったが、すぐ傍にあるベッドに腰掛けているシンやリンへと自然と視線を向けていた。

 まだ本調子ではない滝のことを思えば、今一番頼りになるのは彼らだろう。するとそれを読み取ってくれたのか、立ち上がったリンが大きく首を縦に振る。

「わかったわ。何かあったらこっちで対処しておくから。――気をつけてね」

 重々しい沈黙をものともしない明るく堂々とした態度。微笑むリンにつられて梅花も少しだけ頬を緩めた。

 発言しにくいこの空気での率先とした立ち振る舞いには、何度も助けられている。きっと今までの積み重ねによるものなのだろう。さすがは旋風だ。

 梅花はもう一度頷くと、静かにシリウスの方へと向き直った。彼は先ほどと変わらぬ涼やかな顔で「では行くぞ」とだけ告げた。




 肩に袋を担いで帰ってきてみれば、行く前とは違う状況が生じていた。

 何か食べたいと騒ぎ続けていたイレイは洞窟の奥で丸まって眠っていたし、その横でカイキは死んだような顔をしている。ネオンだけは先ほどと変わらず、足の動きを確認しながら両手を握ったり開いたりを繰り返していた。

 そして一番懸念していたレーナの姿は、すぐには見当たらなかった。

「……われがいない間に何があった?」

 洞窟入り口の岩壁に手をつきながら、アースは顔をしかめる。地面に置かれた袋が傾き、名も知らぬ実が一つ転がり落ちた。

 空腹を訴えて騒ぎ続けるイレイに耐えかねて食料を探しに行っただけなのに、こうも様子が変わっていると当惑するしかない。念のためレーナの気を探ってみたが、やはり感じられなかった。気を隠しているせいだ。

「いや、特別なことはないんだけど」

 すると一番手前にいたネオンが顔を上げた。手を止めて膝を抱えるようにした彼は、後方のカイキたちへ一瞥をくれる。そしてどこか言いづらそうに口を開いた。

「腹減ったイレイが耐えられなくなってふて寝。その腹減った攻撃に耐えられなくてカイキはあんな感じ。レーナは……たぶんこの洞窟の上にいる」

 ネオンは苦笑しながら天井を指さした。彼らが寝床としているこの洞窟は、海岸沿いにあるものの一つだ。辺りには人影どころか建物もない。

 白い砂浜と岩以外のものがほとんど存在しないのは、この周囲の空間が歪んでいるせいらしかった。だから出歩く時は注意が必要だとレーナは話していたが、いつも自分は例外と思っているらしい。

 アースは嘆息しながらまた洞窟の外へと足を向けた。砂を踏む感触が、先ほどよりも鬱陶しく感じられる。

「あいつはどれだけ心配させれば気がすむんだ」

 愚痴る声にも徐々に怒りが混じった。レーナはいつもこうだ。こちらが心配するとわかっていてその行動を選択するのだから始末に負えない。

 苛立ちから砂を蹴り上げて眉間に皺を寄せると、アースはため息を吐いた。しかしいくら怒鳴っても意味がないのだから、憤るだけ無駄なのか。

 おもむろに頭上を見上げれば、岩壁の上に人影が見えた。さらに前方へ足を進めると、ようやく彼の目でも彼女の姿が捉えられるようになる。かろうじて生えている歪んだ木に手を添え、空を見上げているようだった。

「レーナ」

 声を掛けつつ、彼は砂を蹴り上げた。体に纏わせる空気の流れを調整し、そのまま一気に飛び上がる。この程度の高さならわざわざ空を飛ぶほどでもない。途中の岩壁に手をついてさらに反動をつければ、彼女はもう目の前だった。

「おい」

 ようやく彼女はこちらへと視線を向けた。彼の動きに伴って生まれた強い風に、その長い髪が煽られる。彼女は頬の横の髪を手で軽く押さえつつ、わずかに顔をほころばせた。

「アース、お帰り」

「お帰りじゃない。こんなところで何をやっている?」

 彼女の隣に着地すると同時に、今度は海からの風が吹き荒れた。首に巻き付けた布がばさばさと音を立て耳障りだ。彼は舌打ちを堪え、小首を傾げる彼女を凝視する。

 また悩み事だろうか? 何か思案することがある時、彼女はここへ来ることが多い気がする。

「ちょっと考え事、かな」

「またか」

「うーん、今度はかなり悩ましくて。どうもわれを呼んでいるらしい」

 逆側へと頭を傾けて苦笑した彼女は、ちらと後方を見遣った。その先に広がっているのはとにかく深い緑。リシヤの森と呼ばれている場所だ。その視線を追いかけながら彼は首を捻る。彼女の言わんとすることが飲み込めない。

「呼んでいる? 誰が?」

「シリウスが」

 仕方がなく単刀直入に問いかけると、そんな即答が返ってきた。シリウスというとあの青髪の神のことか。涼しい顔をしたいけ好かない男という印象しかないが、しかし何故神が彼女を呼んでいるのか。それを一体どのように感じ取ったのか?

「どういうことだ?」

「わからん。が、オリジナルたちを連れて森までやってきたってことは、話があるってことだろう。あれで引っ掛かるのはわれくらいだ」

 淡々とそう述べる彼女の横顔を、アースはまじまじと見つめた。なるほど、オリジナルを引っ張り出してきたか。

 しかし悩んでいるということは、まさかレーナは行くつもりなのか? 先日の戦いの傷も癒えていない状況なのにと思うと絶句する。

 どれだけ無謀な行動が得意だとしても、それは愚かすぎる。何故そんな呼び出しに応じなければならないのか。

「お前、まさか行くだなんて言わないだろうな」

「まあ、普通は危ない橋は渡らないよな」

「行くのか?」

「……神があいつしかいないってことは、いいから来いって言ってるようなものだからなぁ。オリジナルを出されると弱い」

 予想通り、もう彼女の心は決まっているようなものだ。では何を悩んでいるのかと言えば、おそらく一人で行くかどうかなのだろう。

 微苦笑を浮かべる彼女に向かって、彼は大仰に嘆息してみせた。本当にどうして彼女はこうなのか。怒られることがわかっているのに待っているのが解せない。無論、勝手に一人で行かれても困るのだが。

「それに、猶予がないんだ」

 そこで不意に彼女の声音が変わった。その双眸が再び真っ直ぐ空へと向けられる。

 違和感を覚えた彼は、彼女に倣って視線を上げた。腹立たしいくらいの青空には白雲が筋状に漂っているばかり。特段何かが見えるわけでもなかった。

 ――だとすると、彼女が見ようとしているのはその先の何かなのか?

「イーストが復活してしまった以上は、こちらも悠長にはしていられないんだ」

 ぽつりとこぼれた言葉の意味はわからなかった。ただその響きの重さが、声に含まれた得体の知れない感情が、彼の胸にも波紋を生んだ。

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