第9話
ミリカの町は惨憺たる有様だった。
破壊された家屋の残骸がそこら中に散乱し、所々に血の跡が見受けられる。あちこちから呻くような声、泣き叫ぶ声が反響し、つい数刻前まで平穏な時間が流れていたとは到底想像もできない。
「いた!」
そんな場所へ自分たちが派遣される意味について、考えないわけではない。しかし奇病の記憶が色濃く蘇った今、シンの中に躊躇いはなかった。
前触れもなく、理不尽に命が奪われるのを黙って見過ごすことなどできるわけがない。ただ事態を泣きそうな顔で傍観していた子どもの頃とは違う。
『宮殿の命』という理由に、神技隊という肩書き、そして実際に動くことができる力を持っている。たとえ何かが起きたとしてもできる限りのことをしたのだという思いに到らなければ、後悔が深まりそうな気がしていた。
それは誰もが同じだったのだろう。ミリカに向かう途中も、辿り着いてからも、文句を口にする者はいなかった。バインの時とは明確に違う、危機が押し迫っているという感覚故だ。張り詰めた空気の中、皆は懸命に走る。
「フライング先輩は右手の避難を! ピークスは後方で援護。オレたちとシークレットは突撃だ」
「滝先輩、私たちは!?」
「スピリットは臨機応変に頼む。任せるからなっ」
先頭を行く滝から思わぬ指示が入った。先陣を切るのがストロング、シークレットというのはわかる。ストロングでは滝とミツバが上からの武器を借り受けているし、シークレットには青葉と梅花がいる。
武器のない、回復したばかりの者たちが多いフライングに避難を一任するのも理解できる。ピークスが援護なのも想像の範疇だった。
しかしシンたちが臨機応変にというのはどういうことなのか。それはつまり、広く見ていろということなのか?
大通の前方に、魔神弾の姿がある。そこに向かって真っ直ぐ滝たちは突っ込んでいく。
今までであれば様子を見てから動き出すところだが、一般人がいるとなると躊躇いすら見られない。ある種の危うさを孕んだ行動だった。もっとも、シークレットに限ればいつものことかもしれないが。
「シンっ」
そこで斜め後ろからリンの声がする。走りながらでは思い切り振り返ることもできないが、その声の響きからシンは異変の臭いを察知した。彼女がこんな風に彼の名を呼ぶ時は何かがある。
少しだけ速度を落とすと、リンは左手へと腕を伸ばした。
「左側に妙な気配があるわ」
そう言われて気を探ってみたが、シンにはよくわからなかった。前方の魔神弾の放つ技の気配が濃厚すぎて、それに掻き消されている。だがリンが何かを感じたのなら警戒する必要がある。頷いたシンはちらと後方を見遣った。
「ローライン、結界の準備を。オレたちはあの辺で一旦待機だ」
瓦礫だらけの道へと踏み込んでしまっては駄目だ。臨機応変にというなら、まだ開けた場所で全体を見渡す必要がある。
魔神弾のことは滝たちに任せておけばどうにかなるだろうと、シンは開き直ることにした。そもそも人数が多すぎてもうまく動けない。
「美しくないですね」
立ち止まったローラインが顔をしかめる様が視界に入る。シンも足を止め、辺りへと気を配った。隣にいるリンはじっと左手を睨み付けている。先日のジュリといい、この手の違和感を捉えるのはリンの方が得意だ。
シンは腰から引き抜いた長剣を構え、息を整えた。
「これは……魔獣弾の気配」
絞り出すようなリンの声に、シンは固唾を呑むことで答えた。魔神弾がいるなら魔獣弾がいてもおかしくはないと思っていたが、この騒ぎに乗じて何か企んでいるのだろうか。
あの薄暗い笑みを思い浮かべ、シンは眉根を寄せた。魔獣弾は見つからないように隠れているのか? それならば何故?
不意に、魔神弾の咆哮と思しきものが鼓膜を揺さぶった。空気を伝ってくる強い技の気配に、つい気を取られそうになる。滝たちは大丈夫だろうか?
しかしシンたちの役目は加勢ではない。滝に言われた通り、彼らはとにかく臨機応変にだ。想像だにしない何かが生じるのに備えて動かなければならない。守りはローラインに任せているから、今は攻撃の気配に敏感になるべきだ。
「あそこ!」
と、そこでリンが声を張り上げた。彼女の指さした方、家屋の向こうで青い光が明滅するのが見えた。同時に肌に感じられるこの圧迫感。それが青い風が生じる際のものだと察した時には、ローラインが結界を生み出していた。
吹き荒れてきた青い風は、建物のせいで威力を削がれていた。そのおかげで、ローラインの結界でも難なく弾くことができた。
しかし油断はできない。その後に魔獣弾本人、もしくは黒い針が迫ってくるのがいつもの流れだ。
「シンっ」
案の定、前方から迫り来る技の気配が感じられる。それが無数の黒い針であることを察知し、シンは剣を構えた。
その横でリンの右手が動くのが見える。振り上げられた手のひらから生み出されたのは突風だった。それは一筋の鞭のように自由自在にうねり――黒い針の軌道を変える。
「おう!」
リンの意図はすぐに読み取れた。大半の黒い針は進むべき方向を違えて、石畳や家屋に突き刺さる。しかし全てとまではいかない。一歩を踏み出したシンは、その残りの針目掛けて剣を振るった。
使い慣れていない大剣だが、それでもここしばらくの訓練である程度は使いこなせるようになった。うっすらと青い光を纏った刃は、迫り来る黒い針を次々と叩き落とす。
上や梅花の言う通りだ。この武器ならば技をも防ぐことができる。それが確かめられて一安心だった。
体勢を立て直しつつ、シンは剣を構え直す。次はきっと魔獣弾自身がやってくるはずだ。空からか? それともまた技を放ちながらか? 石畳と靴の擦れる音がやけに耳障りに響く。脈打つ心臓の音が強く意識された。
「上っ!」
リンの声が鼓膜を叩いた。やはり空からか。降り注ぐ黒い針の気配に、シンは奥歯を噛んだ。この量を剣のみで防ぐことはできない。しかしシンでは結界も間に合わない。
「ローラインっ」
「わかりました!」
それでもリンは冷静だった。ローラインへのかけ声と同時に、自身は両手を空へと掲げる。彼女の手のひらから再び風が巻き起こった。
空からの攻撃となると、ただ弾くだけでは周囲にも影響が出る。それでもリンは躊躇わなかった。渦を巻くようにして広がっていく風の動きが、その軌跡が気として感じられる。
それはまるで大判の布でいなすように、黒い針を絡め取った。
勢いが失われれば、数が減れば、ローラインの結界でも防ぎきることができる。そうなると次は――。
「来たな」
やはり、魔獣弾本人の登場だ。黒い針を追いかけるように急降下してきた魔獣弾へと、シンはおもむろに剣を向けた。
接近戦となると彼がどうにかするしかないが、今は援護のことは考えなくともいいだろう。シンが何かを判断するよりも、きっとリンたちの方が早い。そこは任せるべきだ。
動く場所を確保するため、シンは前へと飛び出す。石畳を強く蹴り出すと、リンの生み出した風の残渣が彼の髪をかすめた。
そのさらに前方に、魔獣弾が降り立つのが見えた。険しい双眸がひたとシンを見据えているのがわかる。
その手が動き出すよりも早く、攻撃に転じなければ。シンは身に風を纏わせながら剣を振り上げた。
腹から絞り出した声に乗せるように、まずは一閃。大振りの一撃を、魔獣弾はすんでのところでかわす。その気からは怪訝な色が見え隠れしていた。この武器の存在に対してだろうか。
「まさかっ」
さらに斬り上げるよう剣を振るうと、魔獣弾の苦々しい声が響いた。シンにとってはただ重いだけの剣としか思えないが、魔獣弾は何か感じ取ったのかもしれない。それともシンの行動から予測したのか。
切っ先が触れそうというところで、魔獣弾は結界を生み出した。透明な膜の上を滑るように剣の軌道が逸れる。耳障りな高音が辺りの空気を震わせた。
「小賢しいことを」
呪詛のような魔獣弾の悪態が、シンを勇気づけた。これなら行ける。一方的にやられたりはしない。
どこかでまた家の崩れる音が、地響きとして伝わって来た。ミリカの町から、確実に平穏は失われていた。
「隊長、どうしましょう」
「隊長!」
背中から降り注ぐ呼びかけの数々を、よつきは振り払いたい衝動に駆られた。「どうしましょう」と問われてもどうすることもできない。彼らにできるのはせいぜい結界を張ることだけだ。
「とにかく今は耐えてくださいっ!」
よつきの心境を代弁するように、横に立つジュリが声を張り上げる。彼女は先ほどからずっと結界を維持していた。
地響きと粉塵が視界も方向感覚も鈍らせてくる中、ただ気だけを頼りに結界を張り続けるのは相当辛い。それでも彼女が一刻たりとも休んでいないのは、隣にいるからわかる。
彼らの背後にはさらなる家屋、建物がある。そのうちの一つが数少ないミリカの病院であると気づいた時には青くなった。
技による治癒が一般的となっている神魔世界では、無世界と比べて病院やその関連施設が少ない。しかも、こうした巨大な施設を持てるのは大抵『両系の医者』だ。
ミリカの中枢にある点だけを考えても、ここが守らねばならない場所であることは明白だった。
「わたくしにもっと力があれば」
何度目かの嘆きが、かすれ声となって漏れる。結界を使える技使いは大勢いるが、その精度や維持力はまちまちだ。よつきの結界は精度はかなりのものだが、維持力に欠ける。
だから状況を見て二重に結界を張ることで、『攻撃』をどうにか防ぐことにしていた。
一体、何度目の後悔なのか。
全ては魔神弾のせいだ。彼の攻撃は無慈悲ででたらめで、周囲などおかまいなしだった。いや、自分の状況すら考慮していない。四方八方にばらまかれる黒い鞭、炎球は、何者かが近づくことを拒絶していた。
だがそれはミリカの町を廃墟と化すには十分な力を持っていた。魔神弾に向かっていったストロングらが無事なのかどうか、もはやよつきたちからは確認できない。
気は感じ取れるので生存しているのは確かだが、動けているのかどうかも定かではない。気を探ろうにも魔神弾の放つ技が、その不安定な気が強すぎて、周囲の気配を掻き消してしまう。
「た、隊長!」
悲鳴じみたコブシの声が轟く。その呼びかけの意味は、よつきにも理解できた。しかし彼にできることは少なかった。何かが来る。どうすればいい?
しかし幸いにも、はたと気づいたコスミが前に進み出てきてくれた。その手のひらからかろうじて結界が生み出されるのを察知し、よつきは自分の結界の範囲を広げる。
それとほぼ同時に、巨大な何かがぶつかってきた。それは何かとしか表現できなかった。
一気に視界が黒に塗り潰され、結界越しに感じる圧迫感に息が止まりそうになる。技と技がぶつかり合った際に特有の、あの耳障りな高音が鼓膜を叩いた。
結界がもたない。そう感じたのは、ほとんど直感だった。
刹那、硝子が割れるような軋んだ音がした。ついで襲い来る強風に目を開けていられなくなる。石畳を擦る音、空気を裂くような音が辺りに充満した。
薄目を開けて状況を確認しようにも、涙が邪魔で何も把握できない。息をするのもやっとの思いだ。
血の臭いがする。そのことを意識した瞬間、誰かの悲鳴が聞こえた。よつきは右足を踏み出し、闇雲に両手を突き出した。
咄嗟に放ったのは体に馴染んだ技だ。これなら何も見えなくとも気配を掴むだけでいい。そこらにあった瓦礫を突き破るよう土の柱が数本突き出すのが、滲んだ視界でも捉えられた。粉塵と土煙が増し、口の中に砂の味が広がる。
土の柱に何かが突き刺さる鈍い音がする。間一髪、盾となってくれたようだ。おかげで粉塵の渦も弱まった。
腕をかざして顔を庇いながら、よつきは素早く周囲へ視線を走らせる。一瞬姿が見えないと思ったジュリは、すぐ傍で膝をついていた。
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