第7話

「これだけ気を隠していたというのに、魔族の気配に勘づくなんてなかなかの実力者ですね」

 実に楽しげなミスカーテの横顔に、何と答えたらよいのかわからない。人間の技使いというと、いつも邪魔をしに来るあの人間たちのことだろうか?

 彼らが何者なのか、魔獣弾は知らない。あの腐れ魔族の申し子が気に掛けている技使い、ということしか理解していなかった。

 厄介な存在ではあるが、彼らの精神が人間としては上質なのも確かで。あの精神を奪うことができたらいいのにと何度も考えた。

 申し子たちの邪魔さえなければ、もっと効率よく集めることができるのだが。どこに潜んでいるのか、申し子たちはいつも最悪のタイミングで現れる。

「あんな人間がいるとは、さすが地球だ」

 ミスカーテの笑い声が亜空間の中に響いた。余計な口を挟む必要はなさそうだと判断し、魔獣弾はひたすら押し黙る。

 この星では技使いが生まれやすいという話なら聞いたことがあった。大戦のただ中にあった星なのだから、それも道理だろう。

 数が多いということは、その分強い技使いも生まれやすい。ミスカーテも理屈としてはわかっていたはずだが、それを実感できたということなのだろう。

「時々もったいないと思うよ。これだけの力を持つ者をうまく取り込めないなんて、実に損してる。だからアスファルトがやったことも、理解できないわけじゃあないんだ」

 しみじみとそう続けるミスカーテに、魔獣弾は首を捻った。アスファルトのやったこと。それはつまり、申し子たちのことか。

 実のところ、アスファルトが何をやったのか魔獣弾はよく知らない。そこまでの情報は伝わっていなかった。神の知識を利用したという許し難い事実を聞いただけだ。

 その疑問が気に表れていたらしく、ミスカーテはゆっくりと魔獣弾の方を振り向く。

「わかってないって顔をしているね」

「あの、あの腐れ魔族は一体何を……?」

「彼が何をしたのか、君のような者は知らないんだね。彼は人間の技使い、その遺伝子を利用して『器』とし、そこに魔族や神の『情報』を乗せたんだよ」

 こともなげに説明されて、魔獣弾は顔をしかめた。器という意味も、情報を乗せるという意味も、魔獣弾には理解できない。

 魔族が魔族を生み出す時は、『核』から情報を取り出し、そこに精神を注ぐ。だがこれがなかなか厄介なもので、大概はうまくいかなかった。

 取り出す情報が不足しているのか、精神量が足りないのか、それは定かではないが。下位の魔族であればあるだけ失敗する。二人で力を合わせても成功しないことの方が多い。

 これが長年の彼らの悩みだった。だからこそ『半魔族』という方法で、死に行く者を無理にでも引き留めようと足掻いていた。

「これでもわからない? 察しが悪いなぁ。だからそれが、神のやり方なのさ。神は『器』を用意して、そこに核から取り出した『情報』を乗せるんだよ。アスファルトが利用した神の知識っていうのはそれ。その器は本来は何でもいいんだけど……彼は人間を、しかも技使いを利用したんだ」

 呆れ顔のミスカーテは、片手に持った瓶を振りながら付言する。空っぽのはずの瓶の中で、かすかに薄青の光が瞬いたように見えた。

「神のやり方を真似したら、特別な技使いができましたなんて、面白い話だよね」

 魔獣弾は息を呑んだ。理屈としては頭に入ったが、それでもまだ信じられなかった。そんなことが可能なのか? 神の手法を魔族が模倣するなどあってはならないが、それが成功したというのか?

 疑問を声に出そうとしても、喉は意味もなく震えるばかりだ。

「そん、な……」

「そんなことが可能かどうかって? その答えが申し子さ。アスファルトはとある人間の技使いの遺伝子を極秘で入手し、そこに魔族と神の情報を注ぎ込んだ。あれを僕ら側の存在と見なすか、神側の存在と見なすか、それとも技使いの派生と見なすかは微妙なところだね。だから未成生物物体とか言われるんだ。その呼び名も、僕は好きではないんだけど」 

 足を組んだミスカーテは、手にした瓶の中をのぞき込む。よく見ればわかる程度の薄青い光が、その中には満たされていた。

 星々で魔獣弾たちにばらまかれていたような、精神を奪うための小瓶ではないらしい。しかしそれが何であるか尋ねるような気持ちにはなれなかった。それ以上の衝撃が、魔獣弾の中に満ちている。

「まあそういうわけだから、技使いっていうのは君たちが思うより価値があるんだよ。だから僕も研究対象にしていたんだ。ここの神もやるねえ。ああいった技使いを利用するのは確かに賢いやり方だと思う。さすがは神の巣だ」

 敵を褒めながら嬉しそうにする心境は、どうも魔獣弾にはわからない。もしかすると、馬鹿な者を相手にするのが嫌いなのかもしれない。張り合いがないと感じるのかもしれない。

 そんなことよりも神を打ちのめす方が重要だと思うのだが……口が裂けても言えそうにはなかった。

「だから油断してはいけないよ。なあに、心配しなくてもいずれここは戦場になるんだ。僕らはゆっくり準備をするだけさ」

 瓶に口づけるミスカーテの横顔は、恍惚としていた。魔獣弾はため息を飲み込み、そっと膝を抱え込んだ。




「アルティード殿!」

 背後から呼び止める声が響き、アルティードは振り返った。考え事はしていたが、気が近づいてきているのには気づいていた。ただ、用があるのが自分だとは思っていなかった。

「ラウジングか」

 白い廊下の向こう側から駆け寄ってくるのはラウジングだ。その顔に焦りがあることは、確認するまでもなく明らかだった。上ずったこの声の調子は最近よく耳にしている。

 小走りで近寄ってくるラウジングを、アルティードは足を止めて待ち受けた。

「お忙しいところすみません。先ほど下から連絡があったのですが。……もう耳にしましたか?」

「いや、今までケイルと話し合っていたからな。何かあったのか?」

「例の騒動が、広まっているようなのです」

 立ち止まったラウジングは、乱れた髪を整えながらそう告げた。

 例の騒動というだけでアルティードも察する。『下』で現在問題になっていることといえば、バインでの奇病騒ぎだ。そこにどうやら魔族が関わっているのではないかとの見方が濃厚になっている。

「広まっているというのは、どの辺りまでなんだ?」

「どうやらバインの南西に位置するイダーでも、発症者が確認されたようです」

 答えながら、ラウジングは視線を下げた。相槌を打っていたアルティードは、眉根を寄せて腕組みをする。『下』のおおよその位置関係なら彼も把握している。バイン、イダーの流れで広まっていると考えると、一つ予測できることがあった。

「この流れを見ると、潜伏地としてはナイダの谷か山が怪しいな」

 イダー、バインの直線上に位置しているのはそこだ。ナイダは空間の歪みがあるため気を辿りにくい場所でもある。

 以前に魔獣弾が出没していたことを考えると、その可能性がにわかに高まってきた。あそこに人間が足を踏み入れることはないし、神とて気軽には立ち寄らない。

「私もそう思います。……踏み込みますか?」

 問うてくるラウジングに、アルティードは首を横に振った。焦る気持ちは理解できるが、迂闊に動くには危険だった。

 神技隊からの報告に間違いないのであれば、魔獣弾の背後にいるのはミスカーテという魔族だ。それは以前、シリウスが報告していた例の魔族の科学者の名前と同じだった。

「いや、今は危険だ。できたらシリウスが戻ってきてからの方が望ましいな。まさかレーナたちをあてにするわけにもいかないしな」

「……彼女は、来ると思いますが」

 言いにくそうに口ごもるラウジングから、アルティードはあえて視線をはずした。確かに、あのレーナならば来るだろう。今までの行動から推測するに、まず確実に。しかしそれでも相手がミスカーテとなると敵うかどうか。

「ああ。だが相手はミスカーテと名乗る、プレイン直属の者だ」

 プレインと聞いて、震え上がらない者などいない。ラウジングはまだ直接的にはその恐ろしさを実感したことがないのだろう。だからそんな意見を口にすることができるのだ。

 かの大戦にて魔族を率いていた五人のうち一人。橡色の軍師などと呼んだのは誰だったのか。そんな異称では到底表しきれないのが、プレインという男の恐ろしさだ。

 彼は味方でも平気で切り捨てる。必要とあらばどんな手段も講じる。それはアルティードたちの予想をいつも裏切った。

 そんなプレインの直属が務まる魔族が多くないことくらい、容易く予想できる。実際、プレイン直属の者は少なかったらしいし、いても大戦の最中で大半が死んでいった。

 自分の身よりも魔族の存続を最優先とするのがプレイン派の主義だ。それを考えれば納得の結果だったが……そこを乗り越えてなお生きている直属となると、実力は推して知るべしだろう。

「迂闊に動けば、誰かが死ぬと?」

「――いや、誰かですめばいい。全滅の可能性もある」

 思わず本音がこぼれ落ちた。青ざめたラウジングはその場で硬直する。さすがにそこまでとは想像していなかったのだろう。

 やはり彼は五腹心の、その直属の強さというのを知らない。深々と嘆息したアルティードは、ついでわずかに口角を上げた。

「今は転生神もいないのだ。五腹心やその直属の相手ができるのは、シリウスくらいと考えていい」

 それは実戦経験を含めてのことだった。アルティードでさえ、五腹心やその直属級を相手取ったことはない。一度だけ、準直属級の魔族と対峙したくらいだ。――あの時は死を覚悟した。

 顔を強ばらせたままのラウジングは、曖昧に首を縦に振っている。怯えさせたいわけではないが、危険性は理解してもらわなければ。そうでなければ、命を落とす者が増えるばかりだ。

 戸惑うラウジングの肩を叩き、アルティードは破顔した。どれくらい危険なのか認識した上でなお動かなければならないというのは過酷だ。だが今それを彼らは引き受けなければならない。

「そう、ですか……」

「だが無論、臆しているばかりでも駄目だな。幸か不幸か、彼らは今すぐ動くつもりはないらしい」

 アルティードにとってはそこが怪訝に思うところでもあった。直属級の魔族ともあろう者が、巨大結界の内側に入り込んでなおおとなしくしているというのが解せない。

 それだけ地球の神を警戒しているのか? いや、気に掛けているのはレーナたちか?

 実際にミスカーテが何を考えているのかはわからないが、すぐに動き出していないというのはアルティードには幸いだった。もうじきシリウスが来る。それまで持ちこたえれば勝機はある。

「我々が気を配らなければならないのは、隙を見せないことだ」

 できる限りの備えと、できる限りの策を。今までと変わりはない。が、決して疎かにしてはいけないところだ。

 アルティードの言葉に応えるよう、ラウジングはかろうじて笑みとわかる程度に頬を緩ませた。アルティードは大きく頷き、そっと瞳をすがめた。

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