第5話
「奇病の調査?」
思いも寄らぬ話に、シンは顔をしかめた。昼食の片づけを終えて大部屋に戻ってきたら、その中心に一つの輪ができていた。何事かとのぞいてみれば、飛び出してきたのはそんな話題で。ただただ首を傾げるしかない。
「はい、その調査を私たちに頼みたいと。……何度も断ってきたんですが、ついに多世界戦局専門長官の上の上まで出てきてしまいまして」
困惑するシンに、即座に答えてくれたのは向かい側にいた梅花だ。心底ぐったりとした様子で書類を抱きしめている様を見ると、今まで彼らが知らなかっただけで水面下での攻防が続いていたらしい。
断りきれなかったことにがっくりきているようだが、シンとしては知らぬ間にそんな苦労をかけていたことの方が気がかりだった。視界の端で青葉が苦い顔をしているのは予想通りだ。実にわかりやすい。
「奇病っていうと、例のバインで流行ってる奴だよな?」
その件については先日サツバから聞いた。サツバが実はバインの長の息子だったという事実まで発覚し、二重に驚いたのでよく覚えている。
奇病とはいっても命に関わることではないので、逆に宮殿は対応に苦労しているらしい。被害が微妙な範囲なので最優先にはできないからだ。神技隊に役目が回ってきたのはそのせいなのか。
「全員で行くのか?」
皆が黙り込んだところで、やおら滝が口を開く。腕組みして眉根を寄せている姿は、相変わらずの貫禄だ。シンと二つしか離れていないとは思えない。
いや、もう子どもでもないのだから、年齢など関係ないのか。積み重ねてきたものの違いだろう。
「いえ、できれば少人数でと言われています。騒ぎが大きくなりバインで不安が広まっても困るという意図もあるでしょうし……万が一私たちの中で感染する人が大量に出たら困るってところでしょう」
苦笑混じりの梅花の返答に、シンは眉をひそめた。その発想が理解できないわけでもないが、一体自分たちはどんな扱いを受けているのかと文句を言いたい気持ちにはなる。そもそも奇病の調査など神技隊の仕事ではない。
普段なら真っ先に悪態を吐きそうなサツバが黙っているのは、異変が起きているのが生まれ育ったバインだからだろう。俯き気味の横顔からは、複雑な色が見て取れる。
もしヤマトが同じような状況なら、確かにシンも悩ましい。故郷が心配な気持ちはあるが、そこに仲間たちを巻き込んでいいのかとなると話は別だ。命に関わらないとはいえ、奇病の症状は厄介だった。誰かが感染して戦力減となるのは避けたい。
「では、わたくしたちが行きましょう」
暗澹とした空気が流れ始めた時、突然よつきが声を発した。思わぬ申し出にシンは眼を見開く。
それは他の者も――ピークスの仲間たちさえ同様だったようで、驚嘆の視線をよつきへと向けていた。唯一の例外はジュリだっただろうか。彼女は何か言いたげな、それでいて諦めたような眼差しでよつきを見つめている。
「こういうのは下から行くものでしょう? それに、わたくしたちの中には剣に長けたものはいませんからね。いざ魔獣弾たちと戦うことになっても、戦力としては期待できません」
朗らかな笑顔でそう続けるよつきに、返す言葉は見つからなかった。確かに、よつきの言う通り『上からの武器』の使い手は残った方が賢明だろう。
そうなるとフライングかピークスのどちらかとなる。まさかここに来て隊ごとではなくというのも考えにくいし、フライングは負傷から立ち直ったばかりの者も多い。考えれば考えるだけ選択肢はないように思えてきた。
「本当にいいのか?」
「いいんですよ。ああ、頼みの綱のジュリでしたら、何かあったらすぐに帰しますから」
「ちょっとよつきさん!」
そこで何か気づいたように手を打つよつきへ、慌てたジュリが詰め寄る。皆が懸念しているのはその点だと思ったのか、それとも別の意図があるのか。シンにはわからない。
ジュリは怒ったような困ったような顔でよつきの腕を掴んだ。その気にはある種の悲壮感が滲んでいた。ジュリが取り乱すというのは珍しい。
そう思ってリンへ一瞥をくれると、彼女も複雑そうに顔を曇らせていた。何か言いたげなのに黙っているのは彼女らしくない。
一方、残りのピークスの面々には異論がないらしい。素直に相槌を打っていた。よつきの提案であれば従うのが当たり前といった調子なのか。
思い返してみるとコブシ、たく、コスミの三人はよつきのことを「隊長」と呼び絶対的な信頼を寄せていた。もしかすると異を唱えるという発想がないのかもしれない。
「わかった、ここはピークスに頼もう」
騒然とし出した空気を一言で落ち着かせたのは滝だった。ぐいぐい腕を引っ張っていたジュリも硬直し、何か言い出そうとしていたフライングたちも押し黙る。腕を組んだまま嘆息した滝は、おもむろによつきの方へ顔を向けた。
「フライング先輩は病み上がりだし、武器の所有者はできるだけ待機している状態の方がいいだろうから。だが後輩だからとかそういうのはもう言わないでくれよ? あと、何かあったら無理せず全員で戻ってきて欲しい。そうでなくともオレたちは自分の身を危険に晒してるんだ」
言い聞かせるような滝の忠告に、よつきは神妙に首を縦に振った。全ての不満を静めるような物言い。それでいて案じているのだと誠実に伝えてくる声音。そうだ、これが元ヤマトの若長だ。シンのよく知る滝という青年だ。
「はい、わかりました」
「……ではピークスの五人は私がリューさんのところまで案内しますね」
頷いたよつきを見て、速やかに梅花が動き出す。ジュリもそれ以上は何も言わなかった。出入り口へと進み出た梅花は、振り返りながらよつきたちへと手招きをする。
急に訪れた静寂に、シンは圧迫感を覚えた。これは何なのだろう。皆が皆張り詰めた気を纏っているのは何故なのだろう。
足音が遠ざかり、扉が閉まったところでシンは大きく息を吐いた。どっと疲れを覚えて眉間を指で押さえていると、隣にいたリンが大仰に嘆息する。珍しく髪を束ねていた彼女は、その先を指で弄りながら頭を傾けた。
「みんな過敏になってるわねぇ」
その一言に、滝が何か言いたげな視線を向けてきたのがわかる。それでも結局黙っていたのは同意したからだろうか。その目には見覚えがあった。
それがいつのことだったか思い出そうとし……シンは固唾を呑む。あれは確か『奇病』の流行からちょうど三年後のことだ。
「奇病って、響きのせいか?」
「そうでしょうね」
思わず呟いたシンに、リンは軽い調子で賛同する。奇病という響きは、皆にかつての騒動を連想させるのに十分な力を持っていた。
もう十年以上前の話になるが、至る所で大きな傷跡を残したはずだ。特にウィンは最も被害が大きい場所だった。
「ウィンもアールも被害が大きかったもの。よつきのところがどうだったのかは知らないけど、ジュリは色々と考えてるでしょうね」
淡々と告げるリンの言葉に、シンは強く奥歯を噛む。ジュリはリンと同じウィン出身だ。今の言い草から考えると、よつきはアール出身なのか? たとえ身内が健在だったとしても、影響を免れられない地域には間違いなかった。
「ヤマトだってひどかったでしょう?」
ちらと寄越されたリンの視線に、シンは「まあ」と曖昧に答えた。彼の両親は、あの奇病のせいで亡くなった。滝も同じだ。
あの恐ろしい病の影響はそこかしこに色濃く残っていた。家族が無事でも親戚が、友人が、知り合いが、誰かが命を奪われた。それまでの当たり前が一変した。思い出したくもない出来事だった。
「被害に遭うのももちろん怖いけど、残されるのも怖いのよね」
ぽつりと独りごちる声が妙に耳に残り、シンは閉口した。静まりかえった空気が、さらに重く肩にのしかかってきた。
バインの町を訪れるのは初めてのことだった。宮殿から『ワープゲート』を使用したため迷うことはなかったが、それでも見慣れない町並みにはどうしても緊張する。
ジュリは意識的に深呼吸をした。町の中心から真っ直ぐ延びる大通が特徴的なのがバインだ。そのうちの一本を、ピークスの五人はゆっくりと進む。
「いやぁ、バインはずいぶん家が多いですね」
先頭を行くよつきの歩調はのんびりしたものだった。あえてなのだろう。ジュリも念のため周囲へ視線を配りながらその後を追った。一見したところは平穏そのものだが、油断はできない。
コブシ、たく、コスミが彼女からやや距離を置いているのは、先ほどの宮殿でのやりとりのせいだろうか。三人の横顔もちらりと確認しつつ、ジュリは口を開く。
「一番人口が多いという話ですからね。あ、人口密度でしたっけ?」
「ジュリはよくそんなことまで覚えていますね」
「いえ、たまたまです」
ヤマトの山脈、リシヤの森、ナイダの谷に挟まれた形のバインは、主な居住区が町の中心に集まっている。中心部から放射状に伸びる大通に沿って各種施設が充実している作りで、面白いなと思った記憶があった。
ウィンに慣れ親しんだジュリにとっては新鮮だったのだ。大河に沿ってなだらかに広がるウィンは、北は宮殿やヤマト、東はイダー、南はアールといったように大きな町に面しているため、各方角に主要施設の支部が点在しているような状況だ。
ジュリがよく赴いていたのは通称『大河支部』と呼ばれる最西端のものだ。
「バインはウィンとはずいぶん違うなと思った記憶があるので、印象的だったんです。アールはどうなんですか?」
「え? ああ、アールはウィンと似た感じじゃないでしょうか。ほら、大河沿いにあるというのは同じですし」
そう言われてジュリはなるほどと相槌を打つ。ウィンよりもやや南東に位置するアールは、地理的な条件としてはウィンと酷似している。ならば町が同様の作りになっていてもおかしくない。気候も比較的似ていると聞いたことがあった。
「そうかもしれませんね」
ジュリ自身はアールに出向いたことはない。だが仲の良い知り合いの中には、頻繁にアールに遊びに行く者もいた。思い返せば、そんな話をしていた気がする。
そんな当たり障りのない会話を交わしながらも、周囲を警戒するのは怠らなかった。怪しい気がないかどうかも注意している。
けれどもやはり平和そのものにしか見えなかった。ごくごく普通の生活が営まれているようだ。買い物籠を持った女性や、走り回る子ども、急ぎ足の男性の姿が目立つか。
表情まで注意深く観察してみたが、取り立てて不安を感じている様子もなかった。
「特に何もありませんね」
よつきも同様の感想だったようで、気の抜けた声を漏らしている。困惑気味に金の髪を掻く姿にもそれは表れていた。ジュリが頷きながらもう一度後ろを振り返ると、長いスカートの裾が足に絡みつく。
最近は戦闘を意識してスカートを止めていたので、何だか懐かしい気持ちになった。見知らぬ町での調査ということで、あまり目立たぬような恰好に着替えたためだ。持っていたのは無世界で買った服ばかりだったが、その中でも神魔世界のものに近いのを選んだつもりだ。
いつでも戦えるように、いつでも動けるように。そんな風に考えながら生活する日が来るとは予想もしなかった。神技隊に選ばれた時も考えなかった。違法者を捕まえるのと、いつどこから襲い来るとも知れぬ敵に備えるのでは話が違う。
自分の日常が一変してしまったことを自覚しないわけにはいかなかった。この平穏な世界から自分たちだけ浮いてしまった心地になる。
「皆さん、思ったよりも元気そうです。まあ、技が使いにくくなる程度の症状ですからね。技使いでもなければただの風邪ですか」
よつきの独りごちる声が周囲の喧噪に飲み込まれていく。『奇病』と捉えているのは技使いくらいなのか。その他の人間にとっては普段の風邪と何ら変わりない。慌てているのも技使いだけ。
バインに技使いが集まっていたかどうかは記憶にないが、この反応を見る限りあまり多くはなさそうだった。その分、情報が集めにくいのが厄介なのかもしれない。
感染経路がわからないのもそのせいなのだろう。たとえば一般人が罹患していたとしても、それは当人にもはっきりしないのだ。
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