第12話
「わけがわかんないよ。何でよ、もう。お母さんは、あんなに苦しんで……」
所々消え入りそうな声で、あすずはそう続ける。脈絡のない言葉だが、きっと彼女の中でもうまく纏まっていないのだろう。くしゃりと顔を歪め、荒くなりつつある呼吸を鎮めようとしている。
様々な感情の入り交じった気が突き刺さってくるようで、梅花は息苦しさを覚えた。
「悩んでいて。なのに、私は、何にも知らなくて」
この少女の怒りは、自身にも向けられている。そしてきっと、今まで全てを秘密にしていた両親にも。
誰が特別に悪いわけでもないが、段階を踏めなかったのがまずかったのだろう。何も知らない妹に伝えるにしては早すぎた。
「お父さんは、黙り込んじゃうし」
あすずの喉が細かく震える。固く握られた拳が震えているのも、梅花にはわかった。こんな時に何と声を掛けるべきなのかわからない。いや、適切な言葉などないのかもしれない。
誰を責めたらいいのかわからず気持ちのやりどころを失っている妹に、恨まれてやるのがいいのか。
「みんな、ぎくしゃくして。なのに、あなたは、どうして、そんな平気な顔をしてるのよ」
ふっくらした白い頬を涙が伝った。あすずにはそう見えているのかと、梅花は自分の繕い振りに密かに驚嘆した。
いや、実際こんな風に冷静に妹を観察しているのだから、動じていない範疇に入っているのかもしれない。やはり自分はこんなところにいるべきではなかったという思いを強くしているだけだ。ならば恨まれ役になろうと、梅花は頭を振る。
「私はただ、私の役目を全うするだけよ。お母様たちは関係ないわ」
嘘は言っていない。今の梅花にとっては、神技隊としての役目を果たすことの方が先決だ。だから一刻も早くこの話を切り上げ、ゲートへ向かうべきだ。あすずが眼を見開くのを確認しつつ、梅花は淡々と告げる。
「もう、とうに切れている縁だもの。どう受け止めるかはあなたたちの問題。私は関わる気はないわ。全ては今さらの話よ」
「そんな、そんな言い方って……」
あすずの言う通りだ。同じ内容を伝えるにしても言い様がある。もっと穏便に事を済ませるべきところだ。この言葉が両親に伝われば、おそらく深く傷つけることになるだろう。
しかし甘い期待を抱かせてしまうよりはましなのかもしれない。こうなったからには、何が何でも距離を置かねば。
「仕事の途中なの。行くわね」
立ち尽くしているあすずから視線を外し、梅花は歩き出した。俯いたあすずの横を通り過ぎても、何も言われなかった。
少しずつ歩調を速めた梅花は、すすり泣く声を耳にして瞳をすがめる。泣かせてしまった。本当にどうしようもない自分という存在に嫌気が差してくる。
きっと、ますます混乱させてしまった。気持ちを揺さぶってしまった。
一人にしておくのは気がかりだが、しかし梅花が傍にいても何の役にも立たないはずだ。憎まれるのはいっこうに構わないが、妹が後に自分の言葉を後悔するようなことは避けたい。
だから去るのだと自らに言い聞かせ、梅花は決して振り向かなかった。あすずの気がどんどん遠ざかっていく。
「あと四年だったのになぁ」
ほとんど走るような速度で進みながら、梅花は微苦笑を浮かべた。平穏無事に神技隊としての任を終えた後は、宮殿側が何と言おうと消えるつもりだった。何の痕跡も残さずに行方をくらませることは、この無世界でなら可能だ。
しかしその前にこんないらぬ事態を引き起こしてしまった。
「この道を選ばなければよかった」
後悔したところで現実が変わるわけでもない。嘆息しながら駆けた梅花は、ゲートのある公園を目指した。
人気のない道では軽い足音でもよく響く。そのリズムさえ何だかぎこちなく思えて、彼女は苦笑を漏らしたくなった。なんて脆いのだろう。神童などと呼ばれていてもこの程度だ。ただの過敏な技使いだ。
風すら吹かぬ静寂にぽつぽつという音が混じり始めたのは、ゲートに辿り着く直前のことだった。
見上げた彼女の額に小さな滴が落ちてくる。垂れ込めている雲は先ほどよりも重たげだ。耐えきれなくなったように降り出した雨は、公園の中へ足を踏み入れる頃には本降りになっていた。
慌てて出てきたので雨具一つ持っていない。ワンピースに薄手のカーディガンを羽織っただけだ。このままではあっという間にずぶ濡れだった。
それでもここまで来たからには何もせず引き返すこともできない。ゲートの前に立った彼女は、湿り始めた髪を背中へ流した。
「……先ほどよりはましになってるわね」
ゲート周囲の不安定な歪みは、徐々に落ち着きを見せ始めていた。辺りに人影はなく、技使いらしき気も感じられない。
これなら来る必要がなかったのではないか。そう考えるとますます気持ちが沈んでいく。それでも念のためだと、よくよく辺りへ精神を集中させてみた。
歪みには改善が見られるが、その周囲へとさざ波のような気の流れが広がったままだ。こんなことは初めてだった。
「すぐに何かが起こりそうな感じではないけど、念のため上に報告した方がいいかしら」
呟いた梅花は顔をしかめた。そうなるとさすがにこのまま神魔世界に向かうことはできない。場合によってはまた数日間拘束されるようなことになる。
しかしだからといって、今すぐ仲間たちの下に戻るのは気が進まなかった。おそらく様子がおかしいことは指摘されるだろう。先ほどの話をせずに適当にはぐらかすなど、今の彼女には無理なことだった。もちろん、宮殿に赴くのも気が重い。
「どうしよう」
何をどう選ぶのにも踏ん切りがつかず、梅花は立ち尽くした。
その間にも、どんどん雨脚は強くなっている。前髪から落ちた滴が、頬から首へと伝って落ちた。服も重たくなってきている。
どうするのであれこのまま濡れているわけにもいかないと、彼女が振り返ろうとした時だった。突然、頭に何かが被さった。
びくりと体を強ばらせた彼女がその何かに手を伸ばそうとすると、手首をぐいと掴まれる。普段とは違い、反射的に体が動かなかった。声だけが漏れる。
「えっ――」
手を引かれた勢いで振り返ると、そこには自分と同じ顔があった。
「レーナ?」
意識に名前が上る前に、それは唇からこぼれ落ちた。警戒心が働くよりも、今はただただ驚きしかない。目を丸くした梅花は、微笑むレーナを凝視した。混乱した頭がうまく機能しない。
「風邪でも引きたいわけじゃあないだろう?」
気どころか全く気配を感じなかったが、相手がレーナであればそれも致し方がないか。しかしこの状況は何なのだろう?
左手を頭の上に持っていくと、被せられたのはふかふかとした布のようだった。梅花がその手触りを確かめていると、レーナは右手を掴んだままずんずん進んでいく。
「ちょっと」
布が落ちないよう、慌てて梅花は頭ごと押さえる。事態が飲み込めないまま連れて行かれたのは、公園の中にある木の下だった。それなりの大きさなので、とりあえず雨をしのぐこともできそうだ。
「どうして……」
尋ねる声がかすれた。何を聞きたいのか、梅花自身にもはっきりしなかった。何故突然現れたのか、どこからやってきたのか、何のために来たのか、どうして今なのか。次々と湧き上がる疑問が、続く言葉を飲み込ませてしまう。
問われたレーナは薄く微笑んだだけで何も言わなかった。そのまま梅花を木陰に押し込めると、ちらりと後ろを振り返る。ゲートの方だ。
「これくらい離れたら、まあ大丈夫かな」
手を離したレーナは、それを軽く掲げてひらりと振った。生暖かい風が彼女の手のひらから生み出される。服と髪が瞬く間に乾いたのを、梅花は実感した。火と風の技の応用だ。梅花もたまに使う。今ここで戦おうとする者の行動ではなかった。
「そんな顔をしてそんな気配を出さないでくれ。何があったのかは聞かないが」
向き直ってきたレーナは微苦笑を浮かべた。相手が正体不明の人物であるというのに、やはり不思議と危機感は生まれない。
気は隠されているからそこから情報が読み取れるわけでもないが、敵意はないと確信できた。言動から判断しても、少なくとも現時点ではそう言い切れるだろう。
だが、顔はともかくとして「気配」とは何を指しているのか。気は隠しているのだが。
「そんな気配って……」
「オリジナルはもっと自分の影響力を自覚した方がいいな。気を隠すといっても限度があるし。そもそも消し去ったわけではない」
指摘するレーナを見つめながら、梅花は頭の布をそろりと下ろす。
レーナの言うことはわかるようでわからない。何となくだが、説明不足というよりはあえてそういう言い回しを選んでいるような印象を受けた。それでこちらの理解度を推し量っているといった具合に。
「それじゃあ、あなたは気じゃないものを辿ってここまで来たっていうの?」
「半分は正解。半分は間違い。精神の一部と言えばそうだよ。精神は空間に作用する」
この通りだ。こちらの知識に合わせてさらに情報を提供してくる。少しずつ薄い紙でも積み重ねて行けと言わんばかりに、本当にわずかなものだけを口にする。つまり、最初から全ての答えを求めても無駄なのだ。
「あなたは私を捜していたの?」
ふわふわとした布を抱きしめた梅花は小首を傾げた。辿ってきたということは、つまりそういうことなのか。レーナはさらに顔をほころばせ、悠然と頷いた。
「そうだよ。オリジナルに会うために。そのためにこの星に来たんだ」
亜空間で見た時と同じ、心底そう思っているとわかる微笑。戸惑った梅花は閉口した。
神技隊を襲ってきたと思ったら会いたかったと口にする、レーナの意図がわからない。しかし嘘を吐いているとは感じられなかった。根拠はないが、勘だ。
そして今の一言で決定的となったことがある。「この星」と言うからには、やはりレーナが宇宙から来たことは間違いない。
「ずっとこの時を待っていた。そのために、準備をしてきた。ようやくここまで来た。手遅れにならなくて本当によかったと思っている」
しみじみとしたレーナの口調から、感じるものがあった。梅花は布の端をぎゅっと掴み、つと瞳を細める。この気持ちは何だろう。むずがゆいとも違う、じんわりと染み込んでくる感情がある。
「レーナは……苦労してきたのね」
ぽつりと漏れた言葉は、梅花自身にも意外なものだった。労るつもりなどなかったが、素直な感想がこぼれ落ちた。
レーナが一瞬だけ、驚いたように息を止めたのが伝わってくる。いくら雨音が強くともわかる、肌に直接触れるような喫驚の気配だ。
「――そうだな、色々あったな。でもそれも、こうして今オリジナルの傍にいるためなら、意味があったと思える」
感慨深そうなレーナの言葉に、梅花はどう返答していいのか困惑した。そうさせるだけの価値が、自分にあるとは思えない。
いつもずっと、必要とされてきたのは梅花の能力だけだ。しかしレーナがそれを求めているとは思えなかった。レーナの方が遙かに力を持っている。
「オリジナルがいなければ、われは存在しなかった」
「あなたたちは、何者なの?」
思い切って、梅花はそう問いかけた。ずっと胸の中に抱いていた疑問を吐き出した。
確かな繋がりがあるというのなら、レーナたちは一体何者なのか。どうして同じ姿をしているのか。だが肝心な質問に対しては、レーナは頭を振るだけだ。結わえられた長い髪が揺れる。
「それを説明するには、色々なものが足りないな」
「私の知識がってこと?」
「それもある。単に状況がそこまで進んでいないとも。全て、タイミングというものがある」
もったいぶった話しぶりは、そのタイミングを計っているのか? 梅花は目を伏せた。
やはりレーナの考えることはわからない。それでも、神技隊を恨んでいるわけでも殺したいわけでもなさそうだった。目的は別のところにありそうだ。そしてアースたちは、おそらく、レーナのその目的に付き合っている。不思議なことではあるが。
「少しは落ち着いたか?」
そう尋ねられ、梅花は瞠目した。この会話はまさかそれが目的だったのか? 何も話してなどいないのに、そんなにわかりやすい顔をしていたのか。梅花は怖々とレーナの方へ視線を向ける。
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