第11話

 よつきが首を傾げていると、ラウジングは俯き気味になり唇を噛んだ。そのまま黙り込んだ彼を見てレーナは嘆息する。諦めと憂いのこもった声が、森の空気を震わせた。

「本当にお前たちは結界に対する認識が甘すぎる。いくら転生神でも長期に渡り安定する技なんて生み出せるはずがない。どれだけの短期間で完成させたのかも聞いているんだろう?」

 レーナの言葉を耳にして、弾かれたようにラウジングは顔を上げた。見開かれた緑の瞳が、一瞬だけよつきの目にも入る。それは驚きだけではなく怯えの色も呈しているように見えた。

「だからお前は警告したのかっ?」

「――それだけではないがな」

 レーナが肩をすくめた、その時だった。それまで沈黙していた青の男を、忽然と白い光が包み込んだ。目映い輝きによつきが瞳をすがめていると、突然男の気が膨れあがったのを感じる。

 いや、膨れあがったのではなく分裂したのだ。そうと気づいたのは、覚えのある声が鼓膜を震わせた瞬間だった。

「もう! レーナが出てきちゃ意味がないでしょー!」

 この声はよう……否、イレイのものだ。白い光が収まった時、そこに青の男の姿はなかった。代わりに現れたのはアースたち四人だ。

 よつきは瞳を瞬かせながら首を捻る。一体何が起こったのか、理解するのを頭が拒否している。よつきだけでなくラウジングも絶句している中、ぴょこんと飛び跳ねたイレイはレーナの横に並んだ。

「本当にもうっ」

「すまない。さすがに見過ごせない事態になってしまったので」

 まなじりをつり上げたイレイへ、レーナは微苦笑を向けた。その後彼女がちらとアースの様子をうかがったのは、よつきから見ても明らかだ。目が据わったままのアースは、何も言わなかったが。

 一方、ラウジングは状況が把握できずに呆然としているようだった。口にしかけた言葉の行き先を求めるように、唇を震わせている。

 さすがにこの流れは彼も予想していなかったのだろう。当然のことだと思う。すぐさま対応できる人間の方が稀だ。

「もうもう、だからってさー! あーもういいや。じゃあ帰ろう? 僕らがいなくなったら、あの緑の人も技は使わないでしょ?」

 両手を振り上げたイレイは、さらに唇を尖らせた。ラウジングさえも「緑の人」呼ばわりとは、さすがイレイといったところか。レーナは一度周囲を見回してから相槌を打った。

「そうだな。われがここに長居するのもよくないだろうし」

 レーナの視線は、よつきにも一度向けられた。

 彼女の眼差しを直視すると、何かが見透かされているかのように感じられる。本当に梅花とよく似ているが、秘めた鋭さが違った。レーナの双眸は確かに「何か」を知っている者が持つ輝きを帯びている。

「よーし、じゃあ帰ろうっ。帰ろう!」

 意気揚々とその場で回転したイレイが、アースの腕を引っ張った。それまで不機嫌顔でたたずんでいたアースは、迷わず首を縦に振る。最終決定権はアースにあるらしい。カイキとネオンの「よし」と応じる声も続いた。

 はっとしたラウジングが手を伸ばすも、間に合わなかった。よつきがまた瞳を瞬かせている間に、アースたちは空に向かって飛び上がる。その姿は見る見る間に青空の中へ吸い込まれていった。

「しまったっ」

 ラウジングの舌打ちが辺りに響いた。もう追いかけても無駄だろう。いや、そもそも追いかける必要があるのか。

 息を吐いたよつきはゆるゆると歩き出した。痺れはやや薄れてきているようだ。立ち尽くすラウジングや、その向こう側で困惑顔をしているジュリの方を目指す。

「くそっ」

「あの、ラウジングさん、これは一体……」

 おずおずとよつきが声を掛けるも、ラウジングは気怠げに頭を振るばかりだった。彼の纏う気が、いまだ混乱のただ中にいることを伝えてきている。

 よつきは仕方なくジュリへと視線を転じた。困ったように嘆息した彼女は、ぎこちない動きでこちらへ近づいてくる。

「よくわからないけど、終わったみたいですね。ラウジングさん、これからどうします?」

 ジュリの言葉がよつきの心を現実へ引き戻した。そうだ、彼らは調査のために来たのだった。この状況でもそれを続行しなければならないのか?

 よつきは後方を振り返る。仲間たちの大半は青の男の攻撃を受けている。意識はあるしその気になれば動くこともできそうだが、気は進まなかった。彼らが元気に歩けるとは思えない。

「……そうだな、一度宮殿に戻ろう」

 そんなよつきの思いが伝わったのか否か、ラウジングは神妙に頷いた。軽く瞼を伏せたその横顔には疲れが滲んでいる。緑の瞳には、何かを深く思案している気配が宿っていた。

「わかりました」

 ジュリは少しだけ顔をほころばせると、すぐ近くにいたコスミたちの方へ駆け寄っていく。怪我の具合を確認するのだろう。こういう時にすぐさま現実的な行動が取れる彼女は頼もしい。よつきの心も静まっていく。

 もう一度辺りの様子を確認すると、やや離れた位置にいたラフトたちが、よろめきつつ立ち上がる姿が目に入った。戦闘が終わったという安堵が力をもたらしたのだろうか。これなら各々どうにか自力で戻れるだろう。

「本当に、まったく、あいつらは何者なんだ」

 ジュリの後を追おうとよつきが振り返った時、ラウジングのぼやく声が鼓膜を揺らした。それは皆の気持ちを代弁していた。

 あの青の男はアースたちだったのか? 一体どんな技を使えばあんな芸当ができるのか? よつきの知識の中に思い当たるものはない。ラウジングの言葉から判断するに、上の者にとってもそうなのだろう。

 上にもわからないことがあるというのは意外であった。けれどもそれは決して喜ばしいことではない。

 きっと上はますます慎重になるだろう。今後は何をどう判断するのにもさらに時間を要する、というありがたくない事態が推測される。宮殿に戻った後のことを考えると、よつきの心は重く沈んだ。


 よつきの懸念は、その後現実となった。宮殿の小部屋に案内された彼らを待ち受けていたのは、しばし待機せよという無機質な言葉だけだった。




 フライング、ピークスを神魔世界へ送り届けてからほぼ二日経過した。上からはその後の状況についての連絡どころか、通信機への簡単な信号すらない。全くの音沙汰なしだ。

 嫌な予感を覚えていた梅花は、日が昇る前から目を覚まし、周囲の気の変化に意識を向けていた。特別車の中からでは感じ取りにくいので、外に出てテーブルを引っ張り出し、小さな明かりを灯す。

 しばらくして日が昇り始めても、辺りは薄暗かった。今にも雨が降り出しそうな暗雲が垂れ込めているせいだ。

 この様子では今日は仕事にならないかもしれないと思いつつ、彼女は白いテーブルを拭き始める。人が来るかどうかは天気に影響されやすい。屋根すらないのだからこればかりはどうしようもなかった。

 異変に気づいたのは、テーブルを拭き終わった時だった。初めはほんのわずかな、かすかな変化。しかし次第に心をざわめかせるほどに、それは明確になった。

 ゲート周囲の気配がおかしい。歪んでいるとまでは言えないが、波立つように揺らいでいる。ゲート使用後の状態に近いが、それにしては妙だ。

「どうしよう……」

 手を止めた梅花は眉をひそめた。今すぐにでも様子を見に行きたいが、そうなると仲間たちに何も伝えずに動くことになる。残念なことに、今のところ誰も起きてくる気配がない。まだ夜が明けたばかりだから仕方がなかった。

 テーブルを見つめて彼女は嘆息した。

 ここで一人で出向いたらまた文句を言われるだろうか。しかしゲートに何か起こってからでは遅い。違法者が勝手にゲートを使おうとしている、というわずかながらの可能性もある。穴が広がるようなことがあれば一大事だ。

 以前なら迷わず飛び出すことができたのに、今日は躊躇いがあった。単独行動は避けるべきというのが、今の神技隊の注意事項でもある。青い髪の男のことはまだよくわかっていない。

 けれども悩んだ末、彼女は結局一人で向かうことにした。誰かを起こして連れていくとなると、ある程度は時間を要してしまう。

 上はどうでもいいことには目を瞑ってくれるが、ゲートに関することとなると話は別だ。手遅れな事態が生じてしまうと、あらゆる意味で取り返しがつかない。

 彼女は申し訳程度の書き置きを残し、人の疎らな道を歩き出した。ゲートからそこまで離れていない位置に待機していたのが幸いだった。この時間ではさほど人通りもないだろう。

 彼女はもう一度辺りの気配を探った。ゲートの周囲の空間はそもそも不安定であるが、それでもいつもとは違うように感じられる。先日、大人数の技使いを通した影響だろうか? だが昨日までは問題なかった。

 ゲートのある公園へと彼女は急ぐ。この辺りの中心街から少しだけ離れた場所にあるが、ここからだと徒歩でもどうにか行ける。

 バスでも使えたらさらに時間短縮できるが、これだけ早朝だと無理だろう。走っていたとしても待ち時間の方が長いに違いない。

 空気に雨の匂いが色濃く混じっているような気がしたが、まだ頬に雨粒を感じることもなかった。

 足に纏わり付こうとするスカートを振り払うように、彼女は速度を上げていく。結んでいなかった長い髪が背中の上で踊った。乾いた路面で跳ね返り、軽い靴音が響く。

 比較的大きな通りから細道へと入り、住宅街を抜けていくと、時折人とすれ違った。皆疲れた顔でぼんやりしているか急ぎ足で歩いており、梅花に構う様子はない。

 仕事帰りかこれから仕事に向かうのか、どちらかだろう。一見ひたすら平和に思えるこの無世界には、宮殿よりも大変な働き方をしている人々がいるらしい。

 目の前に何かが飛び出してきたのは、三本目の道を曲がった後だった。横の路地から何者かが前触れもなく姿を現し、梅花は足を止めざるを得なくなる。

 翻った紺色のスカートと背格好から、立ちふさがったのが少女であることが知れる。何も考えずに飛び込んできたようで、そのまま道の真ん中で立ち尽くしていた。

 ぶつかる前に立ち止まった梅花は、少女を驚かせまいと数歩後ろへ下がる。その足音でようやく近くに誰かがいることに気づいたらしく、少女はのろのろと顔を上げた。

 さらに後退した梅花と、少女の視線がぶつかり合った。驚きに見開かれた黒い瞳を、梅花は後悔の念を持って見返す。

 この道はしばらく通るまいと決めていたことを、今になって思い出した。この先には、以前母の姿を見かけたスーパーがある。

 少女の頬はふっくらとしているが、目元には泣き腫らしたあとがあった。乱雑に結わえられた髪の先は、頬や口元に張り付いている。

 顔立ちは、先日会ったばかりの母を幼くしたものだった。名前を尋ねなくとも予測はできる――あすずだ。

 思い切り目と目を合わせてしまったせいで、素知らぬ振りで横を通り過ぎることもできず、かといって声を掛けるわけにもいかず、梅花は黙するしかなかった。

 あすずは何度も口を開いたり閉じたりを繰り返していたが、やがて強く拳を握ってこちらを睨み付けてくる。その眼差し、纏う気から、梅花は事情を悟った。おそらく両親から全てを聞いてしまったのだろう。

 まさか夜通し話をしていたのか? こんな少女が出歩いているべき時間ではないことを考えると、一人で家を飛び出したに違いない。

 梅花が口にすべき言葉を見つけられず押し黙っていると、あすずは震える唇をゆっくり開いた。

「どうして――」

 体ごと梅花の方へ向けてきたあすずは、腫れ上がった瞼を拳の裏でこすった。彼女の気には怒りが満ちていた。全てが遅かったことを理解した梅花は唇を引き結ぶ。

『普通』の世界から強引に『こちら側』へと引きずり込まれてしまった、悲しい妹だ。梅花が無世界に来なければ、何も知らないまま時を過ごすことができたかもしれないのに。

「どうして、来ちゃったのよ」

 泣き出しそうな声であすずは言った。本当にその通りだと、梅花は頷きたくなった。本当にどうして来てしまったのか。こんな事態が起こり得ることを、どうして予測できなかったのか。

 自分が甘かった。最悪なのは、この道を選んでしまったことだ。気が急いていたとはいえ、注意していれば避けられたのに。

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