第10話

「よつき――!」

 と、背後から大きく名を呼ばれた。この声はラフトだ。さすがにこれだけの戦闘があればラフトたちにも伝わったのか?

 安堵したよつきの横を、ラフトが通り抜けていく。遠慮なく戦えることが嬉しいのか、彼の気からは高揚感が読み取れた。

「大丈夫ですか?」

 後を追おうとしたよつきの傍で、誰かが立ち止まった。ヒメワだ。彼女以外のフライングの面々は、ラフトの後を追いかけている。

 よつきは頷きながら、また青の男を見やった。風の鞭をふりほどいた男は、拳を構えるラフトを見据えている。

 だが、期待は一瞬にして絶望に塗り替えられた。男は前へ一歩踏み出すと同時に、左手を横へ振った。目を焼きそうな強烈な光が、手の動きに合わせて放たれる。

 横一線に並んだ黄色い輝きがラフトたちの体に突き刺さった。火の爆ぜるような音が、森の静寂を一気に打ち崩す。

 慌ててよつきは走り出した。人数が増えたことが、結果的に男の決断を早めてしまったようだった。今のはおそらく雷系。あれが直撃してしまえば、しばらくはまともに動けない。

「ジュリ!」

 よつきは声を張り上げた。青の男は、ただ一人立っていたジュリへと水の剣で斬りかかっていく。先ほどの一撃はかろうじて結界で防いだのだろうが、接近されたら同じようにはいかない。

 ジュリの生み出した薄い透明な膜と、水の刃が触れ合い高音を発する。

 再びよつきは黄色い刃を生み出した。こうなったらとにかく全力で向かうしかない。考えている時間も惜しい。

 よつきが刃を振りかざすと、一旦男は後ろへ跳躍した。そのタイミングを見計らったように、ジュリが右手を前へ突き出す。

 地面が盛り上がり、幾つもの石が土煙と共に現れる。なるほど、これならすぐに距離を詰められないし、水の剣では石を斬るのも困難だ。視界や足場は悪くなるが、この場合は致し方ないだろう。男の舌打ちが聞こえたような気がした。

「助かりました、よつきさん」

 ジュリの言葉に、よつきは首を横に振った。状況は何も変わっていない。いや、悪くなってさえいる。地面に伏したままであるコブシたちの呻き声が、そう思わせた。

 あの青の男は、あらゆる系統の技が使えるのか? 信じられないがそうとしか思えない。炎に水に雷。どれも実戦で通用するだけの力だ。

 不意に、空気の流れが変わった。はっとしたよつきは、ジュリを右手に突き飛ばした。同時に、地面が揺れて土煙の濃度にむらが生じる。結界を張ろうとしたよつきは、体が傾いだことに気づき瞠目した。下だ。

「よつきさんっ」

 ジュリの声が、巻き上がる土煙のせいで遠ざかった。足下から飛び出してきた岩石を、かろうじて結界が防いでくれる。しかし体勢が崩れたのがまずかった。煙を割いて突き進んできた男を目にして、よつきは敗北を確信する。

 男の放った黄色い光弾が、結界を突き抜けて体に直撃した。至近距離からでは避けようがない。焼け付くような痛みと痺れが全身に広がり、視界の中で白い光が無数に弾けた。息が止まりそうになる。

 倒れた勢いのまま、彼は地面の上を数度転がった。止まったのは、誰かにぶつかったからだ。それが誰なのかを確かめる余裕もなく、よつきはとにかく気だけを探ろうと懸命になる。

 土煙のせいでジュリの様子はよく見えないが、青の男はまだ彼女には向かっていないらしい。ジュリの他には、もうヒメワしかいなかった。このままでは最悪の状況に至る。

 上手く動かせない体で、どうにかよつきは片目を開けた。そして異変に気がついた。

 何者かの気が、こちらへ近づいてきている。覚えのないその澄んだ気は技使いとしてもかなりの強さで、実力者であることをうかがわせた。男がジュリに仕掛けていないのはそのせいなのか? 誰かは知らないが、青の男の仲間ではないことを祈るしかない。

「ラウジングさん!?」

 乱入者の正体を教えてくれたのはジュリだった。驚嘆する声がよどんだ空気の向こうから響いてくる。

 よつきはかろうじて上体を起こすと、目をすがめつつ顔を上げた。頭上を柔らかな風が通りすぎ、濁った煙が晴れていく。おそらくラウジングの放った風による効果だ。これで状況が確認できると、よつきは首を巡らせる。

「無事か神技隊!」

 焦りを滲ませたラウジングの声が後方から聞こえた。ジュリの勘違いではなかったらしい。

 わざわざ駆けつけてきてくれるとは意外だ。上は薄情者ばかりだと思っていたが、考え直さなくてはならない。それともこの青の男の存在は、そうさせるだけのものだったのだろうか……。

 低空を飛んできたらしいラウジングは速度を急に落とすと、よつきの前に着地する。

「手遅れではなかったようだな」

「はい。突然、あの男が空から襲ってきまして」

「それを感知したから来たんだ」

 よつきの簡潔な説明に、ラウジングは相槌を打った。声に動揺は滲み出ていない。まさかまたおびき寄せる囮に使われたのではと疑念が湧いてくるが、それよりも今は青の男をどうにかする方が先決だった。

 よつきは痺れた腕を無理やり動かし、土の上に座り込む。そこでようやく、すぐ横で呻いている人物が視界に入った。

 倒れているのはゲイニだった。先ほどぶつかったのも彼だろう。よつきは「すみません先輩」と囁きつつ、青の男がいる方へ視線を転じる。

 土煙が落ち着くと、男の姿もはっきり見えた。ラウジングを含め、誰もが動きを止めていた。

 道端に寄っていたジュリが、ちらりとよつきへ一瞥をくれる。その瞳に安堵の色が見えたところからして、自分の状態はさほど悪くは映っていないようだ。動きにくいのは痺れのせいに違いない。

 先ほどから微動だにしていない青の男は、ラウジングの動向をうかがっているらしかった。

 ラウジングの手には、よく見ると細身の短剣が収まっている。わざわざ持ってきたくらいなのだから、技にも抵抗できる代物だろう。それで青の男も警戒しているのか。

「下がっていろ神技隊」

 一呼吸おいて、ラウジングは駆け出した。よつきたちの返事を待つつもりはないらしい。ゆったりとした上衣の裾が、深緑色の髪が、風を含んで揺れる。

 躊躇いなく青の男へ突き進むラウジングを見て、ジュリが忠告通り草むらの方へ下がった。

 ラウジングが突き出した剣を、青の男は半身引くことでかわした。さらにラウジングが踏み込むと、ひらりと飛び上がるような軽い跳躍でそれをいなす。

 その後も似たような攻防が繰り返された。次々と繰り出されるラウジングの一撃を、男はわずかな動きで避ける。攻撃には出ない。まるで実力を試しているかのようだ。何故だかよつきにはそう感じられる。

 焦れたラウジングは、一度飛び退った。いや、そう思った次の瞬間には、手のひらから薄水色の風を生み出した。ただの風にしては奇妙な気配を纏ったものが、真っ直ぐ青い男へ突き進む。

 それを不定の刃で切り裂こうとした男は、直前で急に結界へと切り替えた。薄い膜に弾かれて、薄水色の光が瞬く。

「勘の鋭い奴だなっ」

 ラウジングは舌打ちした。男が一体何を読み取ったのか、ラウジングが何をしようとしたのか、よつきにはわからない。

 彼が怪訝顔でラウジングと男を見比べていると、ジュリが顔を青ざめさせているのが目に入った。彼女は何やら気がついたらしい。だが尋ねるにしても彼女の下へ辿り着くには、青の男が邪魔になる。

 明滅していた光が薄らぎ、消えた。結界を消し去った男は、今度は自分から動き出した。短剣を構えたラウジング目掛けて、黄色い不定の刃を振るう。

 耳障りな高音が空気を震わせた。ラウジングは男の一撃を短剣で軽く受け流すと、再び左手から薄水色の風を生み出す。先ほどのような広範囲ではないが、近距離からの攻撃だ。これをかわすのは難しい。

 男は結界を張ったが、それは不完全だった。風の残渣が青い髪を、衣服を揺らす。ラウジングの口角が上がったのが、よつきの目でも捉えられた。一方男の口元は歪み、気が揺らぐ。

「――精神系!?」

 ようやくよつきも気がついた。あの薄水色の風は精神系の技だ。ラウジングは精神系も使えたのか。さすがは上の者、実力は確からしい。精神系の技は相手の動きを鈍らせることができるので、こういった場合には有効だろう。

 形勢は逆転した。今度は後退する男を、ラウジングが追いかける。剣での攻撃よりも、精神系による追撃を主体とすることに決めたようで、左手の気が膨れあがるのが感じ取れた。ラウジングはそのまま手のひらを前へ突き出す。

 この細道で広範囲の技を使われたら、逃げ場はない。空へ飛び上がるか結界で防ぐくらいしか、やり過ごす方法はなかった。

 今まで見たところでは、青の男は接近戦を好んでいたようだ。これはラウジングの方が有利か。空へ飛び上がると木々が邪魔で遠距離向きの技が使えないし、結界を張り続けていたら攻撃に転じられない。青の男に打つ手はなさそうに思えた。

 飛び退る男へと、ラウジングの薄青の風が迫る。かなり広範囲にわたるそれを、技以外の手で防ぐことは難しそうだった。

 しかし、それが男を捉えることはなかった。突如、体の芯へと染み込んでくるような強烈な気が現れる。いや、そう思った次の瞬間には、何者かが上空から飛び降りてきた。

 降り立った白い影が、ラウジングの前に立ちはだかった。薄青の風は結界に弾かれたらしく、光の粉を撒き散らしながら消えていく。よつきからでは、青く瞬く光が邪魔で様子がわかりにくい。

 しかしよくよく考えてみると、この気には覚えがあった。

「レーナさん!?」

 よつきは声を張り上げた。光が消えて視界が確保されると、その姿も露わになった。青の男の前にたたずんだレーナの眉根は寄っている。彼女はラウジングに向けていた手を下ろし、結界を消し去った。

「こんなところで精神系を連発する奴があるか!?」

 ついで静かながらもよく通る怒声を発した。レーナが憤っている点はそこらしい。

 どういう意味かとよつきが首を捻っていると、ラウジングも理解できないらしく怪訝そうな様子だった。それとも、そもそも彼女が現れたことを訝しんでいるのか?

「ここがどういう場所だか、まさか知らないとは言わないよな? 神よ」

 続くレーナの言葉に、ラウジングの纏う気配が変わった。疑問のみを宿していた気に、驚嘆と憤怒が混じる。

 ラウジングは短剣を彼女の方へ突き付け、一度辺りへ視線を巡らせた。よつきの方も一瞬だけ見た。

 神技隊の様子をうかがっているようだが、生憎まともに反応できそうなのはよつきとジュリ、ヒメワくらいしかいない。もちろん、誰もがこの事態にはついていけていないはずだ。

「――そこまでわかるとは、お前は魔族か」

 ラウジングはもう一度レーナの方へ向き直った。問うというよりも断言するかのような言い様は、激しい感情を押し殺している者の口調に似ている。

 一方のレーナは呆れたように片眉を跳ね上げ、頭を振った。

「それはわれの気を感じ取ってなお口にしているのか? まさか魔族を知らないわけでもあるまい」

 心外そうに言い放ってから、レーナは柔らかく微笑んだ。ラウジングが息を呑む気配が伝わってくる。

 二人は一体何の話をしているのか? よつきには理解できなかったが、どうやらそれは青の男も同じようだった。考えてみると、先ほどから男は一歩も動いていない。

 レーナとは知り合いなのか? 男に背を向けたレーナも、背後を気にする様子がない。先ほどの動きも男を助けるようなものだったし、無関係ではなさそうだ。

「それは……」

 ラウジングは言葉に詰まっている。二人の反応を見比べるに、レーナの知識がラウジングと同等かそれ以上であることは察せられた。

 ますます彼女が何者であるかわからなくなる。上の者と張り合うというのは信じがたい。大体、無世界だけではなく神魔世界でも神技隊の邪魔をしてくるのはどういうことだろう?

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