第17話
突然の乱入者に、滝の体勢がわずかに崩れる。アースはその一瞬の隙を見逃さず、思い切り剣を叩きつけた。
耳障りな高音が白い空間に響き渡った。滝はこのままでは不利と判断したのか、揺らめく黄色い刃と共に後ろへ飛び退る。
アースは剣先を滝へと向けたまま、レーナの方へと視線を向けた。その双眸に剣呑な光が宿っていることは、シンにもわかる。
「戦いすぎだぞレーナ」
「すまないアース。亜空間に入り込まれた。彼女は精神系の使い手だ」
一歩前へと踏み出しかけていたレーナは、軽く空へと目を向けた。シンもつられて顔を上げる。足下で倒れ伏しているラフトが「うぅ」とまた低く呻いたが、起き上がる気配はなかった。
地上からの視線を感じたのか、白い空に浮かんでいたゆっくりと女性が降下し始めた。髪の長い美女だ。彼女はふわりと滝の後ろに着地すると、「本当にそっくりね」と言って苦笑している。
きっとアースたちの容姿のことを指しているのだろう。つまり、青葉たちのことも見知っているということか。
滝とその女性は互いに顔を見合わせることなく、アースたちの動きを警戒している様子だった。レーナ一人でも苦戦していたのだから、その判断は妥当だ。
ただ、アースはどうやらレーナを戦わせたくはないらしい。そうなると勝機も見えてくるかもしれない。
「おい、シン、どうなってる?」
そこでラフトの低い声が鼓膜を震わせた。シンがちらりと見下ろすと、ラフトは突っ伏したままの状態でかろうじて顔だけを上げていた。痛みを堪えるように歯を食いしばり、眉根を寄せている。シンは小さく息を吐いた。
「ストロング先輩が亜空間に進入したおかげで、アースたちの意識はそっちに向いてます」
端的に現状を説明するとそうなる。滝とアースたちが睨み合っているのを視界の端に入れながら、シンはよつきの様子もうかがった。
こちらも双方、距離を取って対峙しているところだった。ネオンはよつきを威嚇しながらも、アースの動向を気にしているらしい。
ネオンがそうしていた理由は、すぐにわかった。黙しているアースの横で、レーナが決定的な一言を放つ。
「歪められた空間が不安定になってるな。この亜空間もまだまだ改良の余地があるなあ」
「そうか、なら一旦引くぞ」
アースは間髪入れず、滝たちを睥睨したままそう言い放った。わずかな躊躇いも感じさせぬ決断だった。眼を見開く滝たちをよそに、アースはネオンに向かって手を掲げて合図する。
「ネオン、退却だ!」
「りょーかいっ」
待ち構えていたネオンは即座に返事をした。その間も、滝たちは何も言わずにその場で構えていた。撤退する振りをしての反撃を警戒しているのだろう。
シンも念のため気構え、アースたちの動きを注視した。レーナの手からはいつの間にか刃が消えている。アースは剣先を滝へと向けつつ、左手で彼女の手を引いた。
その次の瞬間、視界がぶれた。再び目眩と吐き気に襲われ、あらゆるものが白に包まれていく。シンは顔を歪めた。
目の前が全て白に塗りつぶされると、前後の感覚も怪しくなる。耳の奥で甲高い金属音が鳴り響いていた。足の裏に感じる固い感触だけが頼りだ。
嘔気を堪えていると、耳障りな音は突然止まった。瞳を瞬かせると、徐々に視界が戻ってくる。まず見えたのは灰色の塀だった。顔を上げれば青空が、雲が、飛んでいく鳥が目に入る。
「亜空間は消滅したのね」
声に導かれるように、シンはゆっくり立ち上がった。いつの間にかすぐ傍には、滝と先ほどの女性がたたずんでいた。
シンは頷きながら足元を見る。案の定、そこにはラフトが倒れたままだ。今は通行人もいないようだが、さすがにこのままではまずいか。
無理やり起こすべきかとシンが迷っていると、状況を把握したらしいよつきが走り寄ってきた。
「先輩たち、大丈夫ですかっ」
駆け寄ってきたよつきは、まずラフトの様子を確認し始める。首を縦に振ったシンは、今度は滝の方へと双眸を向けた。
久しぶりに会うヤマトの若長は、記憶にある姿とほとんど変わらなかった。首を掻きながら辺りを見回し、気難しい顔をしている。
「よつき。オ、オレは駄目かもしれない」
「そんなこと言わないでくださいラフト先輩。たぶんきっと骨は折れてませんから起き上がりましょう」
「そ、その根拠はどこにあるんだ」
ラフトとよつきの会話を耳にしながら、シンは辺りの気を探った。アースたちの気配と思われるものは感じ取れない。普通の人間の気も、すぐ近くにはない。先ほどまでの戦闘が嘘のような心地よい朝の空気が満ちている。
まるで夢から覚めた心地だ。しかしこのまま立ち尽くしているわけにもいかないだろう。シンは意を決して口を開いた。
「滝さんが来てくれて助かりました。よくここがわかりましたね」
まずは礼を言うべきだと判断し、周囲を見回す滝へと声を掛ける。おもむろに振り返った滝は、わずかに口角を上げた。幼い頃から見慣れていた穏やかな微笑を目にして、シンの胸中に安堵が広がっていく。
「ああ、間に合ってよかった。気づいたのはレンカだけどな」
滝はそう言いながら、傍にいた女性の方を横目に見た。彼女の名前はレンカというらしい。けれどもそこで引っかかりを覚え、シンは内心で首を捻った。
レンカという名には聞き覚えがある。確か、いつの間にか滝が遠くで作っていた恋人の名と同じだ。同一人物なのか? そうだとしたら偶然同じ神技隊に選ばれたということになるのか? そんなことがあり得るのか?
しかしこの場でそんな問いを投げかけるわけにもいかない。シンは曖昧な笑みを浮かべたまま「そうだったんですか」とだけ答える。すると滝の視線を受けて、レンカが微笑んだ。
「初めまして、ストロングのレンカよ。よろしく」
滝の微笑と同じ空気を感じさせる穏やかな表情だ。それでも遠目の印象よりは年若そうに見える。
腰ほどまである長い茶色い髪に濃い茶の瞳と、無世界でも珍しい色の組み合わせではない。背丈はリンと同じくらいか、それとももう少し高いだろうか。女性の身長はシンにはいまいち掴みにくい。
「どうも初めまして、スピリットのシンです」
挨拶を返しながら、シンはもう一度足下を見やった。文句を垂れているラフトの肩を支え、よつきが立ち上がろうとしているところだった。なだめすかすその姿を見る限りでは、よつきは面倒見のいい性格らしい。
痛みを訴えるラフトは自己紹介どころではないだろうと判断し、シンは代わりに口を開いた。
「こちらは第十五隊フライングのラフト先輩に、第十九隊ピークスのよつきです」
「ああ、ラフト先輩には一度会ったことがある。よつきとは初めましてだな」
「どうもよろしくお願いします。ピークスのリーダーのよつきです」
さらに口の端を上げた滝に対して、面を上げたよつきはすぐさま微笑み返した。うーうー唸ったままのラフトは、よつきに支えられてかろうじて立ち上がる。
よつきは苦笑しながら周囲の様子を確認し、そして何かに気づいたように瞳を瞬かせた。
「考えてみると、シークレット先輩以外の神技隊のリーダーが揃ってるんですね」
よつきの指摘にシンもはっとする。情報共有するにはちょうどよい機会だった。アースたちが再度襲ってくることは考えにくいので、そういう意味でも好都合だ。ただ話し合うのにいい場所はないが。
「そうか、青葉がいれば勢揃いってところか」
「ええ。でも青葉たちは定住してないみたいだから、合流しにくいんですよね」
腕組みする滝に向かって、シンはそう言ってわずかに首をすくめた。アースたちのことがあるから、シークレットも気を隠していることだろう。
腕時計型の通信機は、各神技隊同士で連絡を取れるようには設定されていない。皆ゲートからそう離れたところにはいないだろうと予想はできるが、手当たり次第公園を探すというのも憚られた。
「まあ、今日は諦めておこう。肝心のシークレットがいないんじゃあ、情報も限られるしな。それに、ラフト先輩もまともに話し合いができそうな感じじゃあないし」
顔を歪めているラフトを見て、滝は瞳を細める。
シンも同感だ。上からの命令が来ればシークレットが連絡をくれることになっていたが、それもまだだった。おそらく上の話し合いが難航しているのだろう。方針が決まらない限りは、シンたちはただ気をつけるしかない。
「そうですね。今後もアースたちには注意し続けるってことで。……でも気を完全に消して集まるのも考えものですかね。レーナに指摘されました」
余裕綽々のレーナの笑顔を思い出して、シンは嘆息した。判断は難しい。中途半端に弱い気だけを残しておくというのは骨が折れるので、完全に隠しておいた方が楽なのだ。
しかも万が一こちらの気を覚えられていたら、わずかにでも残していたら見つかってしまう。数回会っただけで気まで覚えてしまう記憶力の持ち主は珍しいが――その可能性を、シンは否定しきれなかった。やはり隠し続けるしかないのか。
「でも隠しておかないと、覚えられていたら大変よねぇ。どこに住んでいるかまでばれちゃったら困るわ」
レンカも同じ考えに到ったらしい。難しい顔をして口を開いた。その通りだとシンは相槌を打つ。
何せ相手は亜空間まで作ってしまう、気の察知にも優れた技使いだ。今までの常識を当てはめていたら、足下をすくわれかねない。
「そうですね。集まる時は密かに、万が一ばれても問題のない場所で」
人目にはつかず、ばれても問題のない所などあるのだろうか? 自分の言葉に絶望的な気持ちになりながら、シンは考えた。
真夜中でもない限りは難しいだろうが、そんな時間に集まることができる神技隊は限られてくる。仕事をしていないシンのような者なら問題ないが。
「そうなると……こっちも亜空間作ってみるのがいいんじゃないかしら」
「亜空間なんて作れるんですか!?」
そこでレンカは思いも寄らぬ提案を出してきた。確かに、亜空間を生み出すことができたらそれ以上の場所はない。一般人には見つからないし、広さの懸念もなくなる。大人数でも集まれる。
「一度もやってみたことはないけれど、今の感触を思い出したらできるかもしれないわ。試してみる価値はあるわよね、滝」
微笑んだレンカは滝へと双眸を向けた。「彼女は精神系の使い手だ」というレーナの言葉を、シンは思い出した。
精神系の技というものがシンにはいまいちよくわかっていないが、そんなことまでできるのだろうか? だとしたら心強い味方だ。あらゆる局面で希望が見えてくる。
「そうだな。だがあのレーナとかいうのに見つかったら厄介だぞ、試すのも慎重にな」
「わかってる」
念を押す滝の眼差しには、不安の色がよぎっていた。レンカが亜空間の存在に気づいたように、逆にレーナが気がつく可能性もあるのかと、再びシンの心に影が差した。
今までシンが知っていた世界とは別次元の攻防が繰り広げられている。一体、何が起こっているのか。
「……わたくしたち、とんでもない方たちに狙われてしまったんですね」
ぽつりと呟いたよつきの言葉に、シンは心底同意した。拭い去れぬ不安が少しずつ、胸の奥底に溜まり始めていた。
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