第4話

「あ、来た来た!」

 ミツバも青葉たちの姿を認めたようだった。純粋な好意を感じさせる笑顔を浮かべ、歩調を速めて進み出てくる。昨日とは打って変わった様子だ。

 彼の後ろに続いたのは、髪の長い女だった。背丈はミツバよりもやや高いところを見ると、女性としては長身な方か。

 その女性の斜め後ろには、青葉もよく見知った青年がたたずんでいた。顔がはっきりと見える位置ではないが、この気を忘れるわけがない。ヤマトの元若長――滝だ。

「ほら滝、レンカ。彼らだよ」

 青葉たちを指さして、ミツバが言う。彼ら三人からやや距離を取ったところで、青葉はおもむろに立ち止まった。声は十分届く範囲だ。

 彼の隣で足を止めた梅花が、何も言わずに一礼する。薄暗い路地のため、少しでも離れると表情はよくわからなくなってしまう。そんな中、一番手前にいるミツバの妙に気さくな笑顔が目立った。

「昨日話したでしょう? 青葉と梅花」

 ミツバは青葉たちへと手を向けたまま、朗らかにそう言う。その言葉に導かれるよう、一番奥にいた滝が数歩近づいてきた。ようやく青葉からも顔が見えるようになる。頼もしい理知的な眼差しは相変わらずだ。

「まあ、知り合いだな。当人に間違いはなさそうだ」

 ミツバに向かって、滝は頷いてみせた。

 第十六隊ストロングのリーダーであり、元ヤマトの若長である彼は、端的に述べれば好青年だ。青葉よりも三つほど年上だが、立場故に培われたものか、年齢以上の落ち着き方をしている。比較的長身ではあるが茶褐色の髪に茶色い瞳と特段珍しい容姿ではないはずなのに、たたずまい一つ取っても不思議な安定感と清潔感を伴っていた。

 青葉はその差を再確認しながら、複雑な吐息を漏らす。

「変わらないな、滝にい」

 ぼやきにも似た呟きが届いたのか届いていないのか。滝は青葉の方は見ずに、唸るミツバの頭をぽんと叩いていた。

 先ほどから女性の方は黙ったままだが、どうやら微笑んでいるらしいというのはわかる。『強い技使いには美人が多い』という噂話を、青葉は思い出した。この薄暗さによる効果もあるかもしれないが、言うならば正統派美人という類だ。先ほどのミツバの呼びかけから推測するに、レンカというのが名前らしい。

「じゃあ嘘じゃなかったんだね。本当に神技隊なんだ。ダンのことをあんな風にしておいて」

 ミツバはゆっくり手を下ろすと、わかりやすくがっくりとうなだれた。先ほどの笑顔は繕っていたのか。人聞きが悪いと青葉はむっとした。それではまるで勝手に青葉たちが戦いを挑んだみたいな言い様だ。

「梅花をいきなり攻撃してきたのはそっちでしょう」

 刺々しさの抜けない声音で青葉がそう言い捨てると、面を上げたミツバは眉をひそめた。隣からは、「喧嘩を売るな」と言わんばかりに梅花の視線が突き刺さってくる。

 言い争いに来たわけではないことは理解している。それでも言われっぱなしなのは気分が悪かった。主張するところはしておかなくては気が収まらない。

「まあミツバ、そんな顔するな。……青葉も」

 いたたまれない沈黙が広がりつつある中で、滝は首の後ろを掻きながら呆れ混じりに口を開いた。その瞳に「面倒だな」という感情が浮かんでいることを、青葉は瞬時に読み取る。

 赤の他人ならば先ほどの表情と同じに見えただろうが、そんな目を見慣れていたせいですぐにわかった。何でこんなことになっているのか理解しがたいのだろう。

 青葉とて、神技隊同士でのいざこざなど今まで聞いたことがない。全ては昨日ミツバたちを襲ったという謎の人物のせいということになるが。

「そっか、本当に神技隊なんだ。僕たちを急に攻撃してきた子とは違うんだね?」

 渋々納得したように相槌を打ったミツバは、梅花の方へと視線を向けた。何度目かの苛立ちを覚えた青葉だったが、当の梅花は冷静だ。不満を表すことなく頷く。

「はい、昨日も説明した通りです。午前中は違法者の取り締まりで忙しかったですし、私は神魔世界にも行ってましたから」

「そういえば、昨日は『ゲート』が開かれた感覚があったわね」

 そこで、それまで黙り込んでいた女性――レンカが口を挟んだ。神技隊が口にする『ゲート』というのは、この無世界と神魔世界を繋ぐ『扉』を指していることがほとんどだ。

 扉といえば耳障りがいいが、実際のそれは穴だった。本来あってはならないはずの穴。それが生じたせいで、青葉たち神技隊はこの無世界へと派遣されることになった。

 異世界との出入りを封じる巨大な結界に突如として穴があいたのは、今から約十八年ほど前のことだ。

 それが知れ渡ってしまった結果、無断で異世界へと飛び出してしまう違法者が現れた。穴そのものは幾つかあるようだが、神技隊らが利用している一番大きなものを通常はゲートと呼んでいる。

 穴を無理に広げないため、ゲートを利用することができる者は限られていた。梅花はその一人だ。

「ゲートの動きまで察知できるなんて、さすがレンカ先輩ですね」

 レンカの言葉を受けて、梅花がかすかに苦笑する。彼女がそんな風な物言いをするのを、青葉は初めて聞いたような気がした。

 技のあるところには必ず気があるというのが技使いの認識だが、その些細な変化をどこまで読み取るかには個人差がある。レンカは得意な方なのだろう。ゲートの傍は、どうしても気配が乱れがちだ。

「レンカがそう言うなら本当にそうなんだね」

 ミツバもこれならば納得と言わんばかりに、しきりに首を縦に振っている。どうやらこれで信じてもらえそうだと、青葉は胸を撫で下ろした。しかし問題はまだ残っている。それではミツバたちを襲ったのは何者なのか?

「それじゃあ、あれは何だったんだろう?」

 同様のことを考えたのか、ミツバはつと頭を傾けた。技使いでありかつ神技隊ではないとなると、違法者にはまず間違いない。ただし、わざわざ神技隊を狙ってくる違法者というのは聞いたことがなかった。ひょっとすると神技隊に恨みを持つ者なのか。

「私とよく似た人だったんですよね?」

「うん、顔はそっくりだった。たぶん背とか体型も同じ感じだったと思うし、年齢もそう変わらないんじゃないかなあ」

「そうですか」

 確認する梅花に、ミツバは頷いてみせる。ますます不可解だ。まさか生き別れの双子でもないだろうし。この無世界にはドッペルゲンガーという存在がいるという噂も聞いたことがあるが、それが気を放っていたり技まで使えるのかどうかは不明だ。

「背も年もね……。じゃあ恰好は? 服装」

 皆が黙り込みそうになる中、レンカがさらに問いを続ける。聞かれたミツバは空を睨み付け、記憶を掘り起こしている様子で唸った。全員の視線がミツバへと集まる。

「えーと、上は白っぽくて、薄い色のスカートで、確かブーツで。何かちょっと変わってた」

「それのどこが変わってるんだ?」

 曖昧な情報を提示するミツバに、怪訝そうな面持ちで滝がそう尋ねる。青葉は相槌を打ちながら隣の梅花へと一瞥をくれた。彼女にその恰好をさせたところを想像してみたが、変な服装だとは思わない。彼女に白はよく似合う。

「いや、何かちょっと違ってたんだよ。なんて言うか、そこら辺を歩いている感じじゃなくてさっ」

 皆が皆不思議そうな顔をしているためか、眉根を寄せたミツバは慌てて両手を振り上げた。それならもっと具体的に説明して欲しいものだと、青葉はややうんざりとした気持ちになる。

 昨日の勘違いといい、思い込みが激しいのか? だが『ストロング』に選ばれているのだから、彼も実力者ではあるのだろう。少なくとも技使いとしてはそのはずだ。

「この世界で一般的な服装、ということではなかったんですね。情報助かります。髪の長さも私と同じくらいでしたか?」

 大した情報は得られないかもしれないと青葉が閉口していると、淡々と梅花が質問を続けた。『仕事』が始まったことを感じ取り、彼はつい瞳をすがめる。自分が関わっていることなのに、まるで他人事のような冷静さだ。

「髪? そうだね、同じくらいだったかな。今の君よりもうちょっと上の方で結んでた」

「念のため確認しますが、髪も瞳も黒ですよね?」

「そうだよ、一緒。って、そんなことまで聞いてどうするの?」

 躊躇せずに答えながらも、ミツバは思い切り首を傾げた。メモでも取っていれば『仕事』であるとわかりやすかったのだろう。

 これは調査だ。上に情報を要求される前にあらかじめわかる範囲で調べておくという、彼女なりの策だ。おそらく何度も宮殿へ行かなくてすむようにするためだろう。

 青葉はちらりと滝、レンカの顔を盗み見た。二人とも神妙な表情をしている。彼らは梅花の立場のことを知っているのだろうか?

「多世界戦局専門長官へ報告しなければなりませんから。できる限り具体的な情報の方がいいんです」

 問われた梅花は端的に答えた。ミツバは一瞬きょとりと目を丸くし、それから後ろにいる滝とレンカの方を振り返った。そして二人が何も言わないのを確認してから、そろそろと青葉たちへ視線を戻す。

「そういえば、僕らを選ぶ側にいたとか言ってたっけ。そっか、君はジナル族出身なんだ」

「そうです」

 梅花はゆっくりと頷いた。ジナル族というのは、『宮殿』に住む者たちの総称だ。住んでいる地域によってヤマトだのウィンだのと呼ばれているのだが、それが宮殿の場合はジナルとなる。

 神魔世界の中枢に位置する宮殿は謎多き場所だった。しかしどうやらそれは中にいる者たちにとっても同様らしいと、青葉は神技隊に選ばれてから知った。『上』に位置する者だけが、どういう目的で何を行っているかを把握している。

 宮殿側に属することになり、その命で違法者を取り締まる神技隊も同じだ。異世界へ飛び出すこと、公で技を使うことが何故禁じられているのか、説明されていない。

 混乱を来すから、という推測なら青葉にもできる。技の存在しない世界で技使いが力を行使したら、とんでもないことになる。

 だが、そうなったとしても困るのはこの無世界にいる者たちだけだ。正直に言ってしまえば、神魔世界に住んでいる者たちには関係がない。

 では何故それを取り締まろうとするのか? 結界に影響を与えてしまうのか? そもそも発端となっている結界とは何故生み出されたのか? どうして穴があいたのか?

 青葉たちは何も知らされていなかった。そんな巨大な結界があることすら、穴の件が広まるまでは周知させていなかったらしい。

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