第5話

「そっか、ジナルからも派遣されてるんだ。そうだよね、滝が選ばれたくらいだもんねー」

 一人で納得しているようで、ミツバは何度も首を縦に振っている。

 上が違法者を取り締まる理由はわからないが、ヤマトの若長やジナル出身の者まで派遣するくらいなのだから、ずいぶんと必死だ。違法者という存在はよほど上にとって不都合らしい。

 梅花は何か知らないのだろうか? 青葉はちらりと横目で彼女の様子をうかがった。

 少しずつ日が昇りつつあるおかげで、些細な表情の変化まで見えるようになってきている。とはいえ、梅花の場合は相変わらず感情の読み取りにくい顔をしているが。

「ミツバ先輩たちを襲ったのが何者かはわかりませんが、妙な動きがあることは把握しました。上には私から報告して、指示を仰ぎます。それまでは引き続き警戒しておいてください」

 青葉の視線など意に介さず、梅花はそう告げた。ミツバたちは頷く。

 確かに、再び襲われないとも限らない。注意は必要だろう。もちろん、それは青葉たちも同様だ。帰ったらアサキたちにも念を押そうと青葉が心に決めていると、滝と梅花の会話はさらに続いた。

「わかった。その方がいいだろうな」

「お願いします。何かあれば通信機へ連絡しますので」

「へぇ、この機械、そういうことも可能なんだな」

「実は、色々と受け取れます。送信の制限がされているだけなんです。勝手に制限解除すると上に怒られますけどね」

 驚く滝へと、梅花は微苦笑を向ける。

 通信機というのは、神技隊のリーダーに渡される腕時計型の機械のことだ。違法者を捕まえた際に上への信号を送る機能くらいしかない、というのが青葉の認識だったが、どうやら違うらしい。梅花の言い様からすると、彼女は勝手に制限を解除して使ったことがあるようだ。

「詳しいな。さすがは多世界専門戦局長官の補佐だな」

「元、です」

 滝の言葉を、梅花は即座に訂正した。そんなことまで滝は知っていたのかと、青葉は密かに喫驚する。

 神技隊の選抜から後方支援まで担うという多世界専門戦局部は少人数で構成されていると聞く。梅花はその一人だった。だから彼女は神技隊の裏側にも詳しい。おそらく滝たちと会ったのもその一環だろう。普通は、神技隊と直接顔を合わせるのは長官のみだ。

「そうか、そうだな。今は神技隊の一人だからな」

 一瞬の間を置いてから、滝はわずかに右の口角を上げた。元若長も何か思うところがあるのだろうと、青葉は勝手に想像する。

 全ての立場や役割を帳消しにしてしまうのが神技隊という肩書きだ。実際のところは違ったとしても、そう見なされる。

「それでは、また何かありましたら」

「ああ、よろしく頼む。何もないことを祈ってるけどな。よし、戻るぞレンカ、ミツバ」

 軽く片手を上げた滝は、ミツバとレンカを促して踵を返した。青葉たちはその背中を見送る。

 姿を現しつつある太陽の光を浴びて、三人の輪郭がくっきり浮かび上がって見えた。この状況でも余裕があるように映るのは気のせいだろうか。少なくとも焦燥感は感じ取れない。

 しばらくしてその後ろ姿が曲がり角の向こう側へ消え去ると、梅花は一つ息を吐いた。安堵とも落胆とも受け取れる響きに、青葉はちらりと横目で彼女を見る。

「梅花はこれでよかったのか?」

「何が? 一応誤解は解けたんだから、目的は達成されたじゃない」

 表情を変えぬまま、梅花は小首を傾げた。そのことに関してなら、青葉も文句をつける気はない。昨日のあのダンとかいう青年がいなかったのがよかったのか、話がこじれることもなかった。

 だが、それでも昨日の争いがなかったことになるわけでもない。薄汚れたままである彼女のコートを、青葉は視界の端に収めた。

「目的達成は結構。でも勘違いとはいえ、お前は襲われたんだぞ。それなのに謝罪の一言もないとか」

「それを言ったら、青葉なんて膝蹴りまでしてたじゃない。でも謝ってないでしょう」

 呆れかえった彼女の声が、路地裏に染み入った。そうだったかと、青葉は記憶を掘り返す。細かいことは覚えていないが、ダンとかいう青年が手を痛めたことはすぐに思い出せた。咄嗟の感覚で動いたので、本当に膝蹴りをしたかどうかまではわからない。

「……でも先に手を出してきたのはあっちだろう?」

「だからって言い争っていても仕方ないでしょう。そろそろ人通りも増えてくるでしょうし、帰るわよ。私は報告にも行かなきゃならないし」

 この話はこれでおしまいだと言わんばかりに、梅花は青葉へと背を向けた。拒絶感露わだ。

 幾つかの言葉を口の中で転がしつつも、彼は結局ため息一つ吐いただけだった。彼女の頭の中には、既に仕事のことしか残っていないに違いない。

「また上が余計なこと言い出さなきゃいいんだけど」

 遠ざかっていく梅花の背中を見つめながら、青葉はぼやいた。その声は、建物の隙間を通り抜ける風によって、瞬く間に掻き消されてしまった。




「誰もいないな」

 傾きかけた陽が差し込む路地裏で、シンは立ち止まった。

 まだ夕刻には早いものの、建物が密集しているせいか、日中の暖かさは遠のいてしまっている。陰の内へと足を踏み入れたらなおのことだ。どことなく湿った空気が肌を撫で、不快な感情を引き寄せる。

「おっかしいわねぇ。ついさっきまで気配があったと思ったんだけど」

 足を止めたシンのもとへ、軽やかな靴音が近づいてきた。彼は耳の後ろを掻きながら、駆け寄ってきた女性――リンの方を振り返る。

 首を傾げながら眉をひそめた彼女の髪が、スカートの裾が、春を象徴する風に煽られる。緩く波打つ黒髪が上下するのを、彼女は軽く指先で押さえた。

「一歩遅かったってところ?」

「ああ、違法者どころか普通の人間もいないな」

 嘆息したシンの足下を、小さな袋が擦り抜けていった。リンは不審を露わにした表情で周囲を見回している。

 彼も彼女に倣って辺りへと視線をやった。人気のない路地裏には、空のペットボトルが転がっているのが目立つくらいだ。店の裏口と思われる扉はどれも固く閉ざされており、その前に置かれている錆び付いた自転車もしばらく動かした様子がない。

「技の気配も……残ってるって感じじゃあないわね。実際には使わなかったのかしら」

「本当にここであってるのか?」

 念のため、シンはそう問いかけた。

 リンが異変を察知したのはつい先ほどのことだ。買い物へ出かけようとした矢先に、突然彼女は「気を感じる」と言って走り出した。無論、彼もすぐに異様な気には気づいた。ただ事ではないのが明らかだった。

 技使いがただそこに存在しているという、そういう気配ではない。あれは技を使おうとする時の膨れあがり方だ。

 しかもちょっと水を出すだけだとか、傷を治すだけとか、そういったささやかな技ではない。他者に危害を加えるような、明確な意思でもって攻撃しようとする類の、強い技の兆候だ。そんなものを使おうとする違法者などいるはずないが、いるのだとすればシンたち神技隊は見逃すわけにもいかない。

「ちょっとシン、私の感覚を疑ってるの? 間違いなくこの辺りだったわ」

「隣の路地は?」

「さっき見てきた。誰もいなかった」

 だから慌てて駆けつけてきたのに、これはどういうことなのか。人が集まるような騒ぎになっていないのは幸いだが、腑に落ちない。ここまで静かなのは変だと、シンは首を捻った。

「まるで人払いでもしたみたいだな」

 自らが口にした言葉に違和感を覚え、シンは思い切り眉根を寄せた。妙に背筋が冷たくなる。

 リンは辺りを見回しながら「そうね」と同意を示してきた。誰もいないというのも妙なのだ。大通りほどではないが、仕事だのなんだのとこの道を通り抜けていく人間もいるはずだろう。早朝や真夜中というわけでもないのだから、無人というのも不思議だ。

「確かに、この静けさは変ね」

「誰か結界でも張ってたとか?」

「そういう気配はなかったわね。もし私たちに気づかれないよう密かに張ってたんだとしたら……手練れとかそういう範疇じゃあないわよ」

 リンは心底嫌そうに顔をしかめた。シンも同感だ。そんな違法者が存在するなど想像したくもない。考えると悪寒がする。

 彼らが神技隊に選ばれこの無世界に派遣されてから、三年目に入った。今まで捕らえてきた違法者の中にそんな強者はいなかった。

 そもそも、派手なことをしようとする違法者は極めて稀だ。彼らはひたすら神技隊に見つからないように、ひっそりと暮らしていきたいのだ。生活を楽にするために技を使うことはあっても、騒ぎを起こそうとすることはまずない。

 神技隊に見つかった際、技を使ってでも逃げようとすることはあったが。そういう例外を除けば誰もが人前で技を使うことは避ける。

 では、神技隊に気づかれないよう大技を使う者がいたら? それができるだけの実力がある違法者がいたら? 考えるだけでおぞましいが、可能性は限りなく低かった。

 何故なら、現在も活動している神技隊にはあの元ヤマトの若長までいるからだ。それ以上の実力者が無世界に飛び出したのだとしたら、さすがに『上』も警戒しろと連絡してくるだろう。

 シンは「そりゃそうだな」と相槌を打った。もっとも、秘密主義の上が何らかの理由でそういった情報を隠匿していたのだとしたら、話は別だ。そんなことはあって欲しくないが。

 ――そこまで思考したところで、シンはますます顔を曇らせた。否定できないところが悲しい。目の奥がずんと重く感じられた。

「そんな奴がいたら厄介だけど。まあ、警戒しておくことに越したことはないか」

「同感」

 ため息混じりのシンの言葉に、リンは微苦笑しつつ頷く。油断すると痛い目を見ることは、彼らもよく理解していた。

「あり得ない」なんてことはない。この無世界では、彼らの常識が通用しないことばかりだ。丸二年以上ずっと翻弄されてきた。技のない世界の文明には喫驚するばかりだ。

「……ん?」

 念のためもう一度辺りを見回ろうか。そう思案した次の瞬間、シンは二つの気配を拾った。

 彼らの方に近づいてくる技使いの気。隠れようという意識の見えないそれらが、大通りからこの路地へと向かってきている。近づいてくる速度を考えると走っているのだろう。今シンたちは特に気を隠していないのだから、違法者がわざわざ近づいてくるというのも妙だ。

「おいリン、誰かが――」

「ジュリ!?」

 異変を感じ取りシンが口を開くのと、リンが声を上げるのはほぼ同時だった。勢いよく振り返った彼女には、彼の言葉など耳に入らなかったらしい。

 彼は首を傾げながら、彼女の視線の先へと目を向けた。二つの『気』がやってくる方向――曲がり角の向こうから、足音が響いてくる。

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