第4章「海に映る空」
「自由になりたいなら……俺が手伝う。だから、俺と付き合って」
何を言っているんだ? 自分で発している言葉に疑問を抱く。けれど俺のすぐ横で薫が驚いたように一度瞬きしたのを見て、我に返った。息を吐くように笑う薫は微かに瞼を伏せた後、上体を前に傾け、覗き込むように俺を見上げる。
「私のお願い、聞いてくれる?」
俺は少し猫背ぎみの体勢で薫を見たまま「いいよ」と告げた。その瞬間薫の目が大きく俺を映す。唇が離れて微かに開いた薫の口からは小さく「えっ」と声が漏れていた。
「本当に? 本当にお願い聞いてくれるの?」
食いつくように必死な表情で俺に迫ってくる薫に、俺は戸惑いながらも無言で頷いた。
「なら、私を自由にして」
「え?」
「ここから出て行こ?」
薫の言葉に言葉を忘れ一瞬フリーズする。咄嗟に言葉が出てこなかった。しかし少し遅れて追いついた思考が俺の口から「えぇっ⁉」と声を吐かせた。その声と共に俺はバランスを崩し背中を下にして堤防から落ちそうになる。慌てて堤防に手を伸ばし掴んだおかげで幸いにも落ちることはなかった。だが俺は薫の言葉に困惑する。
「ここから出て行こうって、まるで駆け落ちみたいじゃんか」
「んー、そうね。それでもいいかも」
「は? え、えぇつ⁉」
本日二度目。こんなにも声を上げることは人生の中でもそうそうない。というか、そんなことを言われたら男なら誰だって勘違いするだろう。
何の戸惑いもなくさらりと言ってのける薫に俺は少し怖くなる。
「万里なら一緒に駆け落ちしてもいいかなって。そう思った」
微笑みを浮かべ、薫は俺に真っ直ぐ告げた。
「な、んで……」
薫はいたずらっ子のように告げた。俺は唖然とする。薫に向けた質問に俺がその答えを言えば自意識過剰だとか言われるのは目に見えている。
黙り込む俺に顔を近づけ「ん?」と首を傾げる薫。俺はその距離に耐え切れず、薫の肩を押した。不意に離れる顔。密着する俺の手と薫の肩。薫に触れている俺の手が徐々に熱を持っていく。
「なんか、薫らしくない」
俺が不意に告げると薫は「え?」と目を見開いた。
「いつもの薫なら思ってることは顔に出てた。けど、今の薫は笑って誤魔化そうとしてる」
一瞬で薫の顔から笑みが消えた。眉尻を下げた悲しげな表情が俺の胸を抉る。
「万里はこんな私、嫌いでしょ?」
「え? 誰もそんなこと言ってないけど……」
「だって、思ってることが顔に出るような私が好きなんでしょ? なら今の私は違うよ?」
「は? 薫、どうしたの?」
薫は俺の質問に答えず小さくため息を吐く。
「金魚は自由にはなれない。例え海に逃げたとしても死んでしまうの」
知ってた? そう告げた薫は自分の髪をまとめ上げていた赤いリボンを解いた。赤みがかった長い髪が薫の背中に落ちて揺れる。手にしていたリボンを俺に手渡すとほんの一瞬、俺に笑みを向けた。
薫が堤防から砂浜に下りると同時に花火が上がった。空に咲く花火が映り込む海に向かって薫が走っていく。
波打ち際で一度足を止めると薫は花火に背を向け俺を見上げた。
「万里、今までありがとう」
薫の声が聞こえた。そしてその声の主は沖に向かって海を進んだ。俺はそこでやっと堤防から飛び降りた。薫を追って海へと入る。けれど薫の姿はない。
「薫っ!」
俺は名前を叫び、海中にもぐる。塩分が多くて目を開くのは痛い。けれどそんなことは言っていられず無理矢理に目を開けた。
薫の姿を探して海をさ迷う。
やはり俺は薫を救えないのだろうか。何度繰り返しても未来は変えられないのだろうか。
息が苦しくなり俺はそのまま上を見上げた。水面に花火が揺れている。
遠のく意識の中、俺は打ち上げられて咲いては散っていく花火を眺めていた。
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