第2章「夢でも現実でもない世界(1)」



 気づけば俺は真っ暗な空間にいた。広いのか狭いのかなんてわからない。光を放つものも、光に照らされているものもない。

 周りを見渡し次に足元を見てみればたった一本、ビデオフィルムのような道があり、それだけは光っているわけでもないのに見ることができた。俺はその上に立っていて前後にそれは伸びている。数回振り返ってみたけれど先は見えずどっちがどこへ続いているのかなんてさっぱりわからない状態。

 俺は仕方なく振り返った方向へと進むことにした。一歩、また一歩と進んでいくと背後からぱらぱらと何かが崩れる軽い音がして歩みをとめる。

 振り返ってみると今歩いてきた道が少しずつ欠けていくように消えていき、それが背後へと迫っていた。

 俺は前へと向き直り走り出した。すると崩れるスピードが速くなっていく。追いつかれる。そう思った瞬間、突然目の前が真っ白に光った。



     *



 思い切り目を見開き眠りから覚める。瞳に映り込む景色が見慣れた自室の天井で、さっきまでのことは全て夢だったのではないかと思ってしまう。まるで身体が浮いているようなふわふわとした現実味のなさを覚えながら俺は身体を起こした。なんだか重りでもついているように身体全体がだるく重いことに気がつく。

 枕元に置いてあるスマホを手に取り画面をつけると中央に表示される日時。それを見て俺は違和感を覚えた。

 七月二十五日、七時八分。その数字を見つめて一瞬固まる。そしてベッドを飛び降り、壁にかけてあるカレンダーへと駆け寄った。

 二〇一六年のカレンダーがかかっている。二〇一六年七月二十五日。それは薫と行った最後の花火大会が行われていた日だ。

 ならばこれは過去? 脳裏をそんな考えが過る。

 握りしめていたはずのスマホが手中から滑り抜け、床へと落ちた。その音に足元を見ると落ちた衝撃で画面がついたのか、通知が表示されている。俺は立ち尽くしたまま床に転がるスマホの画面をまじまじと見た。

 通知は死んだはずの薫からのメッセージを知らせるものだった。

 腰を折り、スマホを拾い上げる。心臓が大きく跳ねる音を脳内で聞きながら俺はトークページを開いた。


『おはよう。今日の花火大会行く?』


 短い文章が画面の一番下に表示される。相手の名前をもう一度確認し、それがやはり薫だったことで、俺はこれが過去なんだということを確信した。いや、せざるを得なかった。

 既読をつけた画面に返信を打ち込む。『行く』というとても短い返事に既読がつくのは早くて、すぐに返信が来た。


『なら今年も一緒に行こうよ』


 今年も。ああ、「今年も」薫と花火大会に行けるんだ。ふとそんなことを思う。


『いいよ』


 俺はすぐに返信をした。そしてふと思い出す。

 これが最後になるかもしれない。だとしたら俺はどうしたらいいんだろうか。もしも俺が過去を変えたら、未来も変わるだろうか。過去の俺ができなかったことを、俺がしたら。そうしたら未来は変わるだろうか。

 スマホを握りしめ、俺は覚悟を決める。そして夜を待った。



     *



「お待たせ」


 屋台の並ぶ神社へと繋がる十字路。待ち合わせの時間よりも少しだけ早く来た俺に声がかけられた。

 紺色を基調とした浴衣に赤色の帯。いつもは下ろしている髪を丸くまとめ上げた薫が笑みを浮かべて駆け寄ってきた。普段よりも大人びた雰囲気なのは浴衣だからなのか。俺は薫に見とれ、言葉を失う。


「万里?」


 首を傾げる薫に名前を呼ばれ俺は我に返る。


「え、ああ。ごめんごめん」


 俺がごまかすように笑みを浮かべ謝ると薫は「早く行こ」と俺の腕を掴んだ。満面の笑みを俺に向けると掴んだ腕を引っ張り、神社へと向かって歩き出す。俺は引っ張られるままに薫の歩調に合わせ横を歩き始めた。


「今年はどんな屋台があるかなぁ」


 目線を宙に向け、呟く薫はまるで神社に並ぶ屋台を前にした子供のように楽しげだ。普段は人と関りを持とうとしないだけあって、この表情は幼馴染みだけの特権である。そして俺はそんな薫を見てはにかむ。こうして薫と一緒にいられることが何より楽しくて、嬉しいのだ。そんな俺を見て薫は苦い顔をする。


「にやにやしてどうしたの? らしくない」


 思っていることが顔に出ていたらしい。その辺り、小さい頃から一緒に育っただけあって似てしまったかもしれない。だがそう言って俺を見上げる薫もどことなく口角が上がっているように見えた。


「えっと、あのさ」

「うん」

「来年も一緒に来ない?」


 咄嗟に浮かんだ俺の質問に、薫は静かに目を細めた。


「私に彼氏ができなかったら、考えてあげてもいいよ?」


 何かを企むように笑う薫。けれどようやく見えてきた屋台を視界に入れた瞬間、その笑みは楽しげな笑みへと変わった。


「ねえねえ、何か食べよ」


 上体を少し倒して俺の顔を覗き込んだ薫は俺の腕を引っ張った。


「薫っ」


 俺が名前を呼ぶと不思議そうに「ん?」と振り返り歩みを止めた。


「はぐれるといけないから手、繋がない?」


 俺にしては結構勇気のいる台詞を不自然にならないように気をつけながら口にする。だが唐突に提案に薫は唖然としていた。時間が止まったように微動だにしない。が、それは一瞬のことで、薫は俺の腕を離した。

 声は上げなかった。けれど俺は返事のない状態での薫の行動に驚き、緊張で無意識に力の入った肩が小さく上がった。

 どうなるのか不安に駆られながら待っていると離れていた薫の手がゆっくりと下りていき、俺の手に伸ばされた。

 力の抜けた俺の手に薫の白くて細い指がそっと絡むように這う。そして軽く力が入るのと同時に俺の手を握った。

 その動作を見ていた俺は思わず顔を上げた。目の前にいる薫は手元を見ていると思ったら、余裕ありそうな笑みを浮かべ瞳だけで俺を見上げていた。


「これでいい?」


 小さく動く唇が尋ねてくる。その唇はいつにも増して血色がよく、艶やかだった。

ピンク色の唇が両端を持ち上げ、緩やかな弧を描く。

 俺は口を半開きにしている間に口内に溜まった唾を飲み込み、そしてゆっくりと確実に頷いた。


「じゃあ、行こうか。万里」


 まるで恋人同士のやり取りをしているような感覚におちいる。俺の言動一つ一つ出変わっていく薫の反応。未来を変えられるのではないかという期待が徐々に大きさを増していく。

 人混みの中を、手を繋ぎ近い距離を保って歩く。唐突に歩きながらこちらを向いた薫が俺の耳元に顔を寄せる。


「ねえ。りんご飴食べたいな」


 囁くように告げられたわりに、雑音に負けず薫の声が聞こえる。だがその言葉は予想以上に吐息が多く含まれ、耳元がくすぐったい。


「あの辺りに屋台あるから。覗いてみよ」


 今更ながらに薫との距離に緊張して声が震えそうになる。それを悟られないように身体に力を入れ、前方を指でさし示す。すると手を繋いでいる方の腕に薫は身体をくっつけてきて「じゃあ、そうする」と機嫌よさげに呟いた。







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