何度目かの夏休みにきみは笑った。

成田 真澄

第1章「最後の花火」

 いつもは下ろしている赤みがかった髪も今日ばかりは背中で揺れることなく、高い位置で一つに丸くまとめられている。その代わりに普段なら隠れている白いうなじが俺の目に晒されていた。

 手首にかけた金魚の泳ぐビニールの袋が、コンクリートの壁に押しつけられ変形していることも気にせず堤防に腰かけている薫。彼女は堤防を掴み身体を支えて、下駄を脱いだ足を前後に揺らしていた。そんな薫の瞳はまだ上がらぬ花火を待って目の前に広がる海を眺めていた。


「金魚って、いつになったら自由になれるのかな」


 微かに首を傾げぽつりと零した言葉に、俺は薫の顔を見つめた。


「さあ、どうだろう」


 俺も同じように堤防に腰かけ海を眺める。オレンジ色に染まる海面はキラキラと輝いていた。


「だって、金魚はずっと水槽の中で生きていくじゃない。だから自由になれないのかも、って」

「あ、うん……」


 何を答えればいいのかわからなかった。ただ、横目に見た薫がどこか悲しげに海を見ていて、俺はその表情が忘れられなかった。



     *



 アルバムを開き、去年の花火大会で撮った写真を見ながら思い出す。

 今年の花火大会は不参加。家でゲームをしていた。理由は簡単。一緒に行くやつがいなくなったから。薫に彼氏ができて俺はお役御免になったわけだ。

 俺はアルバムを閉じると制服に着替え、一階の台所へ向かった。テレビの音と共においしそうな匂いが漂ってくる。新学期初日としては気分がいい。

 中央に鎮座するテーブルには白いご飯とみそ汁が用意してあり、俺はそれを腹に入れると高校へ向かった。

 教室に入れば席の近い男子と話をして盛り上がる。しかし薫が来ない。蓮夜もだ。いつもなら早めに来る二人が現れる気配が全くない。STの時間になっても現れない二人に俺は疑問を浮かべ、席に着く。

 扉が開きいつもは笑顔で入ってくる担任が暗い面持ちで教室へ入ってきたことも疑問だった。しかしその二つの疑問は担任の言葉で一瞬にして解決した。

 夏休みに薫が死んだ。花火大会の日、車にねられたそうだ。

 目の前が真っ暗になった。絶句する。それを現実だと受け止められないでいる自分と、妙に納得している自分が中で混じっておかしな感覚におちいる。同級生から聞いたならそんなの冗談だろと笑い飛ばせたかもしれない。けれど告げたのは担任だ。普段冗談なんて軽く言ったりしない真面目な人が言うのだ。冗談なはずがない。

 担任が話しを続ける中、俺はふらりと立ち上がった。


神代かみしろくん?」


 不思議がる担任が名前を呼ぶ。周りの席のやつらも俺を見上げる。けれど、そんなことどうでもよかった。

 机の横にかけていたほとんど中身の入っていない軽いカバンを手に取り、俺は扉へと向かう。


「神代くん、どうしたの?」


 背中に担任の声がぶつかってくる。だから俺は扉の前で足を止めた。


「体調がよくないので。早退します」


 顔だけを振り返らせ静かに言い放つと、俺は返ってくる言葉など無視してすぐに教室を出た。



     *



 堤防に腰かける。周りに人はいない。潮の香りがする風に吹かれながら太陽の光で輝く海面を眺めた。

 一年前にここで花火を見た。それが最後になってしまった。もう二度と、二人で花火を見ることはできない。

 堤防の上で俺は靴と靴下を脱ぎ捨てた。ズボンの裾も数回折る。そして道路よりも低い砂浜へと飛び降りた。カバンは置き去りだ。

 細かい砂を踏んで海へと近づく。波が寄せるたび、立ち尽くす俺の足を海水が撫でて返っていく。その波に誘われるように、俺は海の中へと向かうように進んだ。

 どんどんと深くなり制服が濡れて重くなる。今の気持ちのようだ。けれど俺は海から出ようとは思わなかった。

 日差しが容赦なく降り注ぐ。視界が揺れる。俺は足を滑らせて海中へと沈んだ。このまま俺の恋心も洗い流してほしいとさえ思う。

 視界には鮮やかな青がぼやけて映った。所々太陽光が反射して宝石のように光る。

 俺はそっと目を閉じた。海水の冷たさが徐々に温もりへと変わっていった。





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