シンデレラが灰になるまで 06

「いっちょあがりっと」

 先ほどまでプランツ達が収容されていた牢はがらんとして、今は警官が二人転がっているだけだった。その内の一人はパンツ一枚という寒々しい姿。中に居たプランツ達は混乱に便乗してとっくに皆逃げ出していた。

 牢の前には、残った二人のプランツが黙々と着替えをしているのみ。

「重っ!!しかも肌触り悪っ!!そして蒸れる!!なんなんだよこのパーカー!!」

 ウェットスーツめいた生地の黒いパーカーを脱いだリウはぷはっと大きく息をする。

「燃えない材質って意外に少ないんだよ。それはエルザの用意してくれた特注品だ。毎回こんな風に真っ裸になってたら、公然猥褻罪で捕まっちまうだろ」

 真黒に焼け焦げた服の切れ端を剝ぎながらゼロがリウを見やる。シャツ一枚になったリウの右腕は、肘から手首まで大きく引き裂かれ、緑色の血液が大量に流れ出していた。

「悪いな。無駄に血を流させちまって。手持ちのガソリンが無くてよ」

 プランツが良く燃えるのは、その身体を構成する常緑血(エヴァーグリーン)の燃焼性が非常に高いからだ。急遽リウの常緑血(エヴァーグリーン)をリウの服に染み込ませ燃料にして、牢の鍵を開けさせるためにそれを着たゼロが自身に火をつけたのだった。

 シャツを裂いて止血を行いながらリウは信じられないといったようにゼロを見ている。

「お前、本当にプランツなのか?」

 警官の制服を着込んだゼロは、リウの脱ぎ捨てたずっしりとしたパーカーを羽織る。赤い実の生る枝葉を掻き混ぜてゼロは笑う。

「ああ、俺はプランツだ。七竈って知ってるか?」

「ナナカマド?」

 とりあえず外に出よう、とゼロが先導して歩き出す。廊下の所々に気絶している警官が倒れているのは、どうやら先に逃げ出したプランツ達が暴れた結果のようだった。歩を進めながらゼロは続ける。

「七回竈に入れても燃えることはない。現存太陽(サニーサイド)で確認されている、唯一火に強い種のプランツ。ヒトからもプランツからも迫害されて、北の雪深いところに隠れるように住んでる希少種だ。だから燃えないプランツがいることなんてほぼ知られていない。あんなに近くにいたハンナすら知らなかったし、俺自身も燃やされるまで知らなかったし」

 笑うゼロにリウの背筋が粟立つ。

 今、目の前の男はなんて言った?

「燃やされるまでって……お前」

 振り返ることも無く、ゼロはさらりと告げた。

「あぁ。俺燃やされたんだ。ハンナにさ」

 今度こそ衝撃を受けてリウは目を見開いた。プランツにとって、保育者(ガーデン)は全幅の信頼を置くことが前提の、掛替えの無い存在なのだ。そんな神にも似た存在が、自分に向かって炎を放つ。

 其処に何があったのだろう?憎しみか、疎ましさか、それとも怒りか?

 しかしゼロは燃えなかった。だからこそ見たはずだ。

 自分が最も頼るべき存在が、火に包まれた自分を見つめる様を。己が最も恐れる凶器を手にして、自分を死に至らしめようとする様を。

 その光景を、地獄と呼ばずして何と言えばいいのか。

 裏切られた彼の絶望の深さを、リウは想像することもできない。


 言葉を失うリウを尻目に歩を進めていたゼロは、耳元で微かな破裂音がして反射的に手を当てた。

「……?」

 ゼロの薄く不健康そうな手が、肩口に落ちて小さな粒を拾い上げる。

 それは、焦げて弾けた赤い果実だった。

「……いつかは、燃えるか」

 赤い目を細め、つまらなそうにその実を投げ捨てる。

 思ったより、自分に残された時間も短いようだ。



 二人が拘置所の外に出ると同時に、クラクションが嘶くように鳴り響いた。

「二人とも!こっちこっち!」

 拘置所の門の前に黒いワンボックスが停車しており、そこから窓を開けてエルザが手を振っている。駆け寄って後部座席に乗り込むと、エルザは思いっきりアクセルを踏んで発車した。

「場所は特定できたか?」

 高速で過ぎ去っていく街灯が、ゼロの赤い瞳に流れ星のように映り込む。

「ええ、彼ら三ツ星ホテルで作戦会議中よ」

「へえ、あのスイートルームねえ」

「あんなとこ借りられる奴なんて地下組織のボスか、武器商人ぐらいのものよ」

「違いないな」

 運転席に据え付けられた小型の液晶には地図が表示され、目的地が赤く点滅している。

「リウ君、ここにクーちゃんがいるわ」

「今言ってたホテルにか?」

「そう。ごめんなさい、あんな小さい子まで巻き込んじゃって」

 赤信号、車はそのまま交差点を突っ切っていく。

「謝らせて。全部私とゼロがずっと前から計画してたの。ハンナと彼女の裏にある組織――ユグドラと接触するために、ずっとずっとチャンスを窺ってた」

 本当に、諦めたくなるくらい長い時間をかけて。前だけを見ながら、エルザは話し続ける。

「誰が攫われてもいいように用意はしてたの。クーちゃんは髪飾り、私達は携帯端末に発信機を内蔵してた。攫われでもしないと浮き草のようにアジトを変えていくあいつ等の潜伏先なんて特定できない。そして……攫われるならば実行犯のリウ君になるだろうと思ってた」

「それは利用の仕方が徹底してるな」

「否定はしないよ。盗むまでが仕事って私達は言っていたし。だからこそ、まさかクーちゃんがその役になるなんて思っていなかった。あの子だけは利用するつもりは無かった」

「発信機はつけてたけど?」

「……ええ」

 今の言い方は意地が悪すぎるな。リウは自分でもわかっていたがフォローはしない。

「ここからは、俺達の出番。いや俺の舞台だ」

 ゼロが代わりに口を開いた。

「お前の一番大事なものを巻き込んだツケは、俺がきっちりと払う。クーは必ず俺が助け出す。たとえ俺が灰になってもだ」

「……燃えもしないくせに」

「そんなことねえよ。俺だっていつかは燃える。誰だって燃える。ヒトも、プランツも、熱を失い、灰になって」

 ゼロはごそごそと繋がっている後部のトランクから小瓶や手製の手榴弾と思しきものを取り出してポケットへと詰めていく。リウが盗み出したシンデレラティアの小箱も。

「ホテルには俺だけが入る。エルザはバックアップだ。このビルもいけるか?」

「もちろん、監視系と防災関係のシステム設計時に一枚噛ませてもらってるわ。できるだけ引っ掻き回してあげる」

「ほんとに、お前の仕事の手広さには痛み入るぜ」

「俺も行く」

 ゼロの腕を掴みリウが鋭い視線を向けた。その制止を払いのけてゼロはフードを深く被る。

「絶対に駄目だ。お前はもう面が割れてる。プランツだってばれている以上、あいつらは必ず燃やしにかかって来る。そうなったらお前に勝ち目は無い」 

「でも……」

「リウ。お前に依頼を持ちかけたときに言った言葉覚えてるか?俺は妹を盾にお前を利用する。だけど、お前が自分以外の一番大事なものの為に尽くすなら」

「アンタも、俺の一番大切なものの為につくすと」

「そう、俺はリウを裏切ったけど、あの約束だけは絶対だ」 

 意思を秘めた赤い瞳がリウを貫く。

「俺はお前らが羨ましいよ」

「何を……」

 珍しく躊躇うように唇を湿らせてから、ゼロは息を吐くように告白した。

「多分、俺も形質転換してる」

 その告白にリウが黄色い目を見開く。

「勿論先代のことなんて覚えてないし、ハンナから聞いた訳でもないけど、多分な。だからこそ、俺はハンナを忘れられない。もっとハンナの言葉を聞きたい。ハンナが何を考えていたのか知りたい……手遅れになる前に」

 ふっと息をついて、「ほんとうに、羨ましいよ」ともう一度静かに言うとゼロは顔を上げる。

「リウとクー。お前らは必ず、生きて二人で月(ムーンサイド)に行くんだ」

 その言葉に一瞬泣きそうな表情をしたリウは、それ以上顔を見られまいと俯いて小さく言葉を吐く。

「約束だ……クーだけは、助け出してくれ」

 ホテルの前に車が音を立てて停車した。

「でもよ、リウ、辛くないか?」

 ゼロは、フードを深く被りなおしながら呟いた。

「姿の良く似た、だけど色をなくしたクーを、お前はどう見ているんだ?娘か?恋人か?いったいあの子はお前の何なんだ?」

 その声は、縋るように弱弱しく、まるで神父に神の存在を問い掛ける迷い子のように頼りなかった。その答えを聞きたい相手にこれから会いに行くというのに、彼は予備訓練のようにリウに答えを求めてくる。

「俺にも、まだ分からないんだ」

 リウは無情にゼロの問いを突き放した。

 ほんの一呼吸程の沈黙。そしてゼロは何時もどおりに口元に捕食者の笑みを浮かべ、「しょうもな」と吐き捨てて車を降りる。

「ゼロ!!」

 窓を開けてエルザが叫ぶ。

「絶対帰って来てね!あなたが帰ってきてくれるなら、ハンナも居たって構わないの!それでも構わないの……!!だから……お願い……」

 その時、向かい合うゼロの顔を見て、エルザは言葉を失った。

 兎のように赤い瞳を細めて、眉を下げたその弱りきった表情は、久方ぶりに見た年相応の彼だった。スラムの廃屋で静かに過ごしていた頃の。

 ナナだった頃の、優しい彼だった。

「エルザ、ずっとずっと、迷惑かけてごめんな」

「そんなこと、言わないで!」

 エルザはそれ以上言葉にするのも苦しいと言わんばかりに顔を歪めてハンドルに額を打ち付けた。ぽたぽたと、透明な雫が彼女の太ももに幾つも零れ落ちる。

 ホテルのエントランスに消えるまで、ゼロが振り返る事はなかった。

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