シンデレラが灰になるまで 07

 ゼロがエントランスに入ると同時に、一階の照明が一斉に落ちた。エルザの電気系統への遠隔クラック操作だ。上の階に影響があるのはエレベーターぐらいなので、まだ目的の奴等には気付かれていない筈だ。

「なっ!?停電!?」

 待ち構えるように入り口に立っていた黒服のガードマンが、突然の暗闇に動揺して周囲を見渡す。相手は二人、ゼロは犬歯を剥き出して笑いながら体勢を低くし拳を握ると、まず右側に立っていたガードマンの顎を下から打ち抜いた。

「ぐっはぁ!」

 もんどりうって昏倒した男の背中を踏みつけ、ゼロは狭い視界の中もう一人を探す。そして数メーター先で大きな火炎放射器を構えるもう一人のガードマンと目が合った。瞬間的にゼロは膝を折って伏せる。

「死ねぇ!」

 ゼロがしゃがんだ頭上を垂直に火柱が通り抜けていく。赤々と燃える火が、相手の手元まで道筋となって彼を誘う。ゼロは炎がフードが舐めるのも構わずに火柱の下を駆け、火炎放射器を支える手ごとグリップを蹴り上げる。勢いがつきすぎて火炎放射器と共にグリップを握っていたガードマンの手首もあらぬ方向に曲がり、ごきりという鈍い音が鼓膜を打った。

「うぎゃぁぁぁああああ!」

 一人目と違い気絶することもなく痛みに絶叫する男の喉に遠慮なく踵を落として黙らせると、ゼロは暗闇の中混乱にまごつく従業員や客の間をするすると泳ぐようにすり抜ける。獲物を狙う海獣のように黒いフードをはためかせて、音も無く彼はエレベーターの前まで進んだ。停電時の避難措置で強制的に開いていた扉の向こうには籠は無く、中に首を突っ込んで見上げれば、籠は遥か頭上にワイヤーに支えられて制止していた。

「五階ぐらいか?」

 シャフト内の右奥にあるメンテナンス用の梯子に目を留めて、数歩下がると勢いをつけて踏み切り飛び付く。金属製のパイプが音を上げて軋んだ。一息ついて宙吊りの籠へ向かってゼロは梯子を昇り、籠の上まで辿り着くとその天井へひらりと飛び降りた。荷重がかかり籠がぐらりと揺れるが、中から悲鳴が上がる様子も無いところを見ると無人のようだ。「ラッキー」とひとりごち天井に設置されていた非常扉に手を掛け開く。

此処までは上手くいっていた。上手く行き過ぎていた。だから、ゼロは油断していた。

 その瞬間に開いた扉の隙間を縫うように弾丸が通過し、ゼロの肩に命中する。

「っく!?」

 肩を押さえながら扉を跳ね上げる。そこから銃を両手で構えたエレベーターガールが見えた。どうやら変装したガードマンがこんなところにまで配置されていたらしい。

「くっそ」

 弾丸は着ていた耐火素材のパーカーに沈み凄まじい衝撃を肩に与えたが、パーカーを食い破ることなくその場に落ちた。流石に火炎放射器を狭い籠の人員に装備させるような愚行は行わなかったらしい。さらに数発発射された弾が、シャフトの内壁にめり込む。

「いっててて……」

 腕が動くところを見ると折れてはいないようだが、確実に罅位は入っているだろう。だが、この服なら耐えられる。思わず腰に付けられた手榴弾に手を掛けていたのを、ゼロは理性で押し留める。これを使うのはまだ早い。

 迷っている暇は無かった、腕で顔を覆うと開け放たれた非常口から籠の中へと飛び降りる。タンタン、という音と共に脇腹にさらに突き刺さるような痛みを感じるが、そのままエレベーターガールの上体に体当たりして押し倒した。衝撃で銃を取り落としたエレベーターガールに「悪いな」と呟くと鳩尾に拳を落とす。気を失った女の上から退くと、頭上に付いていた監視カメラにピースサインを向ける。

 それが合図となってエルザが電源系を一時的に復旧し、エレベーターが稼動できる状態に戻った。すぐにゼロが五十五階のボタンを叩くと、混乱する階下を余所に、何事も無かったかのようにエレベーターが上昇し始めた。


 ホテル五十五階。スイートルームのみがあるこのフロアのエレベーター前には、マシンガンを携え、襟元に金バッヂを光らせた組員がヒトとプランツで二人一組となって配置されていた。下の階は雇われガードマンで事足りるが、実際にボスが居座る場所に内情を知らない者を入らせるわけにはいかない。

 だが組員のほうがガードマンよりも優れているかといえばそうではなく、今も彼らは重たい火炎放射器とマシンガンをそれぞれ首からだらしなく下げて、世間話にふけっていた。

 ただでさえ、シンデレラティアの犯人を回収や、不自然な程に引っ切り無しにかかってくる管轄のカジノやクラブのトラブル対応で組員が殆ど出払っているというのにだ。

 片割れのプランツ組員が、サングラスでは隠し切れないほどに顔を緩ませ感嘆の溜息を付く。

「ハンナさん、今日も綺麗だったなあ」

「あれで四十過ぎのババアってのがな。シンデレラティア様様だ」

「おいおい滅多な事言うなよ。ゴーシュ様のお気に入りの薔薇だ、聞かれてたら蜂の巣だぞ」

「っても、お気に入りなのはクスリを売るための客寄せパンダだからってだけじゃねえか」 

 馬鹿らしい、と顎鬚を生やしたもう一人の組員が鼻を鳴らす。

 チリンッ

 その時、ベルの音が鳴った。二人はスイッチが入ったように視線を鋭くし、目の前のエレベーターのドアを凝視する。この階で降りるのはユグドラの関係者しかいない。レストランフロアより上にあるこのスイートルームに間違えて降りようとする客などいる筈がないからだ。二人は引き金に指を掛けてドアが開かれるのを目を凝らして待つ。

 じれったいほどにゆっくりとドアが開き始め、その隙間が相手を視認できるほどに広がった瞬間、手榴弾が放り出された。

「なにっ……!?」

「伏せろ!!」

 ここで組員は判断を誤った。この至近距離で、扉が開き相手も姿を晒す事になるのに爆弾など投げ出すわけは無い。だから彼らはそれを閃光弾だと判断した。だから咄嗟に耳を塞ぎ口を開け、目を閉じて床に伏せた。

 結果、手榴弾から大量に溢れ出した睡眠性のガスを彼らはもろに吸う形となる。空気よりも密度の濃いガスが床を這って充満していく中、ゼロは一人パーカーのフードを深く被り、立ち尽くしている。

「ざーんねん。膝より上には上がってこないのにな」

 揺らめく煙で作られた海面を、真っ黒な海獣が悠然と歩く。その分厚い皮の下に多くの痛みを押し隠しながら。いっそ優雅とも言える足取りで。

 そして鍵の掛かったエントランスの前で立ち止まると、コンコンと戸を叩いた。

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