第80話 勝ちヒロインの桃園さん

 教室を出た俺がやってきたのは、生物室だ。


 コンコン。


「はい……」


 ノックをすると、か細い声が出迎える。ユウちゃんだ。


 俺はユウちゃんがいるのを確認すると、意を決して生物室のドアを開けた。


「タツヤ……!」


 ユウちゃんが俺の顔を見てホッとしたような顔をする。だけど――。


「ユウちゃん、ごめん!」


 俺はユウちゃんに向かってガバリと頭を下げた。


 ユウちゃんの顔が、段々と曇っていく。


 ああ、ごめん。でも――。


「あれから俺、色々考えて、本当に悩んだけど、やっぱりユウちゃんとは踊れない」


 俺はキッパリと言い切った。


「タツヤ……」


 ユウちゃんが下を向く。瞳が涙で潤んだのが見えた。


「……そう」


 俺はユウちゃんを抱きしめたいと思ったけど、やっぱり駄目だよなと思いやめた。


「分かってた。タツヤは桃園さんが好き……」


「うん」


「知ってた。最初から知ってた。でも、少しは希望があるかなって、思ってた」


「うん、ごめんね」


 俺は頭を下げて謝った。

 ユウちゃんは少し拗ねたような顔をする。


「……私を選ばないのなら、わざわざここに来なくてもよかったのに」


「それは――どうしてもユウちゃんに伝えたいことがあって」


「伝えたいこと?」


 ユウちゃんが不思議そうな顔で俺を見やる。


「うん。ユウちゃんさ、二番でも良いって言ったよな」


 ユウちゃんはコクリとうなずく。

 俺は、すうっと大きく息を吸い込んだ。


「そんなこと、言うもんじゃないよ。俺なんかの二番に収まる器じゃない。だって君は――」


 原作の本家『桃学』では人気ナンバーワンヒロインだったし、最後に小鳥遊のハートも射止めた。正真正銘の勝ちヒロインなのだから。そしてその運命を歪めたのは――俺だ。


「ユウちゃんは、俺じゃない、他の誰かのナンバーワンヒロインなんだから、二番じゃ駄目だ。ユウちゃんはは自分で思っているよりも、ずっとずっと素敵な女の子なんだから、もっと自信をもって」


 俺が力説すると、ユウちゃんはコクコクとうなずいた。その瞳からは、涙がポロポロと流れていた。


「……うん、分かった」


 ユウちゃんはメガネを外して涙をぬぐうと、笑顔を作った。


「ありがとう、タツヤ」


 グラウンドからは生徒たちのざわめきが聞こえてきて、もうすぐフォークダンスが始まることが分かった。


「分かった。だから……そろそろ、桃園さんを迎えに行ってあげて」


「うん」


 俺は生物室のドアに手をかけ、後ろを振り返った。


 ユウちゃんがどんな顔をしていたかは、逆光で見えなかった。


『これから、待ちに待った後夜祭を始めたいと思います』


 校内放送が始まる。


「ヤベッ!」


 急がないと!


 俺は急いで伝説の木の下へと向かった。


 ***


 夕暮れのひときわ強烈な西日を背に、桃園さんは立っていた。


 少しうつむいて、不安げで、でも木によりかからずにしっかりと自分の足で立つ桃園さんは、今まで見たどんなヒロインよりも美しく見えた。


「桃園さん……桃園さーん!」


 叫ぶと、桃園さんが顔を上げる。色白の整った顔が、その瞬間、少しだけ喜びに崩れた。


「武田くんっ!」


「桃園さん……」


 俺は桃園さんの前に駆けていくと、深呼吸をして息を整えた。背筋を伸ばす。


「桃園さん……俺は、桃園さんが好きです」


 俺が言うと、桃園さんは大きく目を見開き、そして顔を真っ赤にしながら嬉しそうに微笑んだ。


「……はい」


「俺は、桃園さんを幸せにしたい」


 他の誰でもない、自分自身の手で。自分自身の言葉で。


「……はい」

 

 桃園さんの目から透き通った涙がぽろぽろこぼれる。


「……俺と、フォークダンスを踊っていただけますか?」


「……はい!」


 桃園さんは俺の手を取り、そして俺と桃園さんは、校庭へと駆けていった。


 心臓がバクバクして死にそうだったけど、主人公の器なんかじゃないけど、この瞬間だけは、自分がヒーローになれたんじゃないかと俺は思った。


 だってたった一人の好きな女の子を、勝ちヒロインにすることができたんだから。


 ヒロインは俺が決める。


 だって俺は、俺の人生の主人公なんだから。



『負けヒロインの桃園さん』第二部 〜完〜




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