第77話 桃園さんの手紙

「どうしたの? 桃園さん」


 桃園さんは恥ずかしそうに下を向く。


「あの……武田くん」


 ゴクリ。


「口紅、取れちゃってます! 私、塗り直しても良いでしょうか!?」


「あ……うん」


 何だ。真剣な顔をしてるからなにか深刻な悩みでもあるのかと思ったじゃないか。


 二人で鏡の前までやってくる。


「あ、本当だ。取れてる」


 確かに、昼飯を食べたせいか口紅が取れてしまっている。


「武田くん、顔の力を抜いて少し口を開けてください」


 桃園さんの手が、そっと俺の顔に触れる。

 ドキリと心臓が鳴った。


「あ、ああ。こう?」


「はい、そうです。塗りますね」


 桃園さんがサッと口紅を引く。


「はい、終わりました。武田くん、唇を合わせて『パッ』て感じでやって貰えます?」


「こ……こう?」


 言われた通りにパッとやると、口紅が唇全体に馴染んだ。


「おお、凄い」


「動かないで下さいね」


 桃園さんの指先が、そっと俺の唇に触れる。至近距離で、じっと俺の顔を見つめる桃園さん。


「え……」


 俺が固まっていると、桃園さんは唇と皮膚の境目を指でポンポンと叩き、口紅を馴染ませた。


「はい、おしまいです」


 ニコリと笑う桃園さん。


「あ、ありがとう」


 はーー、ドキドキした!


 まさか桃園さんに唇を触られるなんて!


「あ、それから、これ」


 桃園さんは、舞い上がってぼうっとしてる俺に、薄桃色の封筒に入った手紙を渡してきた。


「これ、明日の劇が終わったら読んでください。劇に差し障りがあってはいけないので、劇が終わった後でいいので」


「? うん。分かった」


「じゃあ私、これで」


 手を振り去っていく桃園さん。


 俺は手紙をポケットの中にしまった。


 何だろう、これ。感謝の手紙……とか?



 ***


 そして一日目の女装喫茶が終わり、文化祭二日目が始まった。


「いやー、それにしても昨日のいっくんの人気っぷりは凄かったね」


 大胆に切れ込みが入ったセクシーなチャイナドレス姿のキョンシーに着替えたミカンが笑う。


「そ、そう?」


「本当、本当! おひねりもたくさん貰っちゃうし、超売れっ子って感じ!」


 と、これは、伝統的なキョンシーの衣装に身を包んだ渡辺さん。


「おひねり、ですか?」


 チャイナ服のアリスちゃんが首を傾げる。


「そうそう、ニーソと太ももの間に一万円札が何枚も挟まっててさぁ」


「それから山田も意外と可愛かったよね!」


「そうそう、写真撮影も何人かに頼まれてて……」


「えー、見たかったです!」


「アリスちゃん、ちょうどクラスの出し物の時間と被ってたんでしだっけ」


 セクシーな赤のチャイナドレスに身を包んだ桃園さんもクスクスと笑う。


「そうなんですよぉ。えーん、残念!」


「みんな、そろそろ出番だよ!」


 監督兼脚本の小鳥遊がパンパンと手を叩きながらやってくる。


「武田くん、準備はいい?」


「うん、大丈夫……なはずだ」


 大丈夫じゃなかった。

 めちゃくちゃ緊張していた。


「頑張って下さいね」

「がんばれ、タツヤ」


 桃園さんとユウちゃんも応援してくれる。


「お、おう。ありがとう」


「続いては、演劇同好会で『カンフー・キョンシー・眠り姫』です」


 アナウンスが流れ、幕が上がる。


 俺は深呼吸をして舞台へと出ていった。



 『カンフー・キョンシー・眠り姫』は、眠り姫をベースに、舞台を古代中国にした劇だ。


 とある地方の領主に、ある時娘が生まれる。


 その地方に住んでいる有力な仙人や道士たちはこぞってそのお祝いの酒宴にやってきて、娘にギフトを授ける。


 だがその宴に招かれなかった者がいる。それが死霊を操る闇の道士である。


 彼女は娘は十六で死ぬと予言して去っていく、嘆き悲しむ娘の両親だったが、そこへ一人の仙女が遅れてやってくる。


 彼女は「娘は十六の時に倒れるが死なない。眠りにつくだけだ」と予言を変える。


 そして予言通り、娘は十六となり眠りにつく。


 それから百年、眠り続ける美しい姫の噂を聞き、一人のカンフーマスターがやってくる。


 彼は襲いくるキョンシーたちを倒し、見事、その口付けで姫を目覚めさせる――というのが話のあらすじだ。


 そしてそのカンフーマスターの役をやるのが俺で、眠り姫が桃園さん。小鳥遊によるキャスティングだ。


 全く、俺と桃園さんのキスシーンがある劇を書くなんて、小鳥遊のやつ、何考えてるんだ。



 そして劇も終盤。


「姫――姫ーっ!」


 俺はキョンシーたちをバッタバッタとなぎ倒し、桃園さんの眠る棺へと近づいた。


 色白の頬。長いまつ毛、ずっと通った鼻に、形の良い唇。棺の中で眠る桃園さんは、本当に美しい。


「おお、これが噂の眠り姫か。噂に違わぬ美しさ。何ということだ」


 俺は棺に顔を近づけた。


 よし、ここでキスをするフリを――。


「あら、ごめんあそばせ」


 すると従者役のアリスちゃんが肘で俺の背中をドンと押した。


「あ」


 俺と桃園さんの顔が、ゆっくりと近づいていく――。

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