第46話 推しヒロインの桃園さん

「――ここにもいない、か」


 パタン。


 誰もいない化学室のドアを閉める。


 桃園さん、一体どこへ行ったんだ。


 額を流れる汗をぬぐうと、遠くからかすかにフォークダンスの音楽が聞こえてきた。


 桃園さん。ひょっとすると、もう帰ってしまったのだろうか。


 そうだよな。ダンスの相手もいないのに残っていても仕方ないし、もう帰宅したのかも。


 グラウンドに残してきたユウちゃんの顔が頭に浮かぶ。早く戻らないと。ユウちゃんが待ってる。でも――。


 なぜだか、桃園さんの寂しそうな顔が頭にこびりついて離れない。


 まだ桃園さんは学校内にいるんじゃないか。そんな気がしてならなかった。根拠の無い、ただの勘だけど、妙な確信があった。


「桃園さん、どこにいるんだ?」


 途方に暮れて声に出す。


 他に桃園さんの行きそうな場所。彼女のお気に入りの場所と言えば――。


「あっ」


 あった。一つだけ、心当たりが。


 フラフラになった体。棒のようになった足に鞭打って、俺は再び走り出した。


 生徒玄関から外に出て裏庭に向かう。


 冷たい夜の空気が肺に流れ込む。夕日はいつの間にか低くなり、時刻はもうすぐ夜に向かおうとしていた。


 俺が向かったのは、いつも俺たちが昼飯を食べているあの伝説の木の下だ。


 風を切り、裏庭へと走る。


 いた。


 幾多の出会いと別れ、生徒たちの恋愛を見守ってきたあの木の下に桃園さんはいた。


「――桃園さんっ!」


 叫ぶと、長い桃色の髪の少女が振り向く。


 桃園さん――桃園さんっ!!


 夜に落ちる寸前の一番強い夕日が、後光のように桃園さんを照らす。


 俺の声に顔を上げた少女の顔が、信じられない、と言うふうに崩れる。


「武田……くん……どうして……」


 大きな瞳が見開かれる。透き通った涙が一粒、ポトリとスローモーションみたいにこぼれた。


「どうしてって、その……決まってるだろ」


 俺はポリポリと頭をかいた。恥ずかしいけど、ここは仕方ない。


「桃園さん、俺と一緒にダンスを踊ってくれませんか」


 俺が右手を差し出すと、桃園さんはうつむいてギュッとスカートを握りしめた。


「でも、ユウちゃんは」


「ユウちゃんはグラウンドで待ってる。桃園さんと三人でフォークダンスを踊ればいい。呼んできたらって」


「三人で――」


「ほら早く。みんな待ってるよ」


 俺が言うと、桃園さんは一瞬キョトンとした後、人差し指で涙をぬぐい、笑った。


「それじゃあ、急がないとですね」


「うん、行こう」


 俺と桃園さんは、自然と手を握ったままグラウンドへと向かった。


 俺の手を引く桃園さんの横顔を見ると、もう涙は止まっていて、どこかとても嬉しそうに見えた。


 ***


「ユウちゃんはどこだ?」


 グラウンドにつき、俺がキョロキョロとしていると、横から声がした。


「武田氏ー!」


 振り向くと、なんと山田がユウちゃんと踊っているではないか。


「や、山田!?」


 俺が驚いていると、ユウちゃんは少しすねたように頬を膨らませた。


「……タツヤ、遅いから先に踊ってた。次はタツヤと踊ってあげるから、それまで桃園さんと踊ってて」


 どうやらユウちゃんを怒らせてしまったようだ。


 俺と桃園さんは顔を見合せた。


「……踊ろうか」


「はい」


 桃園さんと二人、手を取りフォークダンスを踊る。


 フォークダンスなんて初めてだけど、上がったテンションに任せて適当に踊る。


「あの」


 桃園さんが口を開く。


「ん?」


「ありがとうございます、迎えに来てくれて」


 頬を少し赤らめ、感謝の言葉を口にする桃園さん。


「……あ、いやいや、別に俺は」


 むしろ俺のせいで、桃園さんもユウちゃんもガッカリしたんじゃないのか?


 だけど桃園さんは、今まで見た事が無いような柔らかな顔で笑った。


「ありがとうございます。武田君のおかげで、最高の文化祭になりそうです」


 パチパチパチとキャンプファイヤーが揺れる。


「私、嬉しかったです。武田くんが迎えにきてくれて、とてもとても嬉しかったです」


 オレンジの光に照らされて微笑む桃園さんは、それはそれは可愛いくて――。


 その時、俺はこの世界に来た時に最初に思ったことを思い出した。


 ああ、俺は。


 俺は桃園さんのこんな顔を見たかったんだ。


 桃園さんを幸せにしたかったんだ。


 それなのに、小鳥遊と桃園さんをくっつけることばかり考えていて、肝心の桃園さんの幸せのことをちっとも考えてあげられていなかった。


 自分の目標を達成することばかり考えて、肝心の桃園さんの気持ちをちっとも考えていなかったんだ。


 道理で、何をやっても上手くいかないはずだ。


 俺は根本から間違えていたんだ。


「桃園さん」


「はい」


「今、楽しい?」


 桃園さんは、一瞬キョトンとした後で、咲き誇る桃の花のような柔らかい笑みを浮かべた。


「……はい、とても」


 心がほわっと暖かくなる。

 そっか。こんな小さなことで良かったんだ。


「良かった。俺――」


 遠くでパァンと花火が開く。


「俺、桃園さんを幸せにするから。一生、悲しい思いはさせないから」


 だって桃園さんは、俺の推しヒロインだから。


「えっ、それって――」


 桃園さんが顔を真っ赤にして目を見開く。


「武田ーっ!」


 すると後ろからミカンに抱きつかれる。


「交代! 次はあんたと踊るわよ!」


「えっ」


 辺りを見回すと、どうやら曲が変わったらしく、他にもダンスの相手を変えている人が何人もいる。どうやら、ダンスの相手は一人じゃなくてもいいらしい。


 俺は桃園さんの顔を見た。


「……行ってきてください」


 満足そうに微笑み、手を振る桃園さん。


「じゃあ、行ってくるね」


 ――と、グイッと手を後ろから引っ張られる。


「つぎ、私」


 そこには少しむくれた顔のユウちゃんがいた。


 あ、そっか、ここはユウちゃんを優先しないとな。何しろ、一緒に踊る約束をしてたのに、あれだけ待たせてしまったのだし。


「ごめん、ミカン」


 頭を下げると、ミカンは腰に手を当て、ヒラヒラと手を振る。


「ったく、仕方ないわね」


 それから俺は、ユウちゃんと踊り、ミカンと踊り、凛子先輩や、なぜか生徒会長とも踊った。


 まさかこんな文化祭になるとは思っても見なかったけど、これはこれで楽しいかも。


 俺は星のまたたき始めた空を見上げた。


 桃園さんが楽しそうに生きているだけで、僕はこんなにも嬉しい。


 君のいる世界に、僕もまた生きていて、同じ空気を吸っている。君が楽しそうに笑ってる。


 それだけで、本当は良かったのかもしれない。


 それだけで、僕もとっても幸せだ。




 だって君は、僕の可愛い推しヒロインなのだから。
















【『負けヒロインの桃園さん』第1部~完~】



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