第38話 桃園さん、行方不明事件

「すっかり日も暮れてきたね」


 空の向こうがオレンジに染まり始めているのを見て凛子先輩がつぶやく。


 少し遊んだら劇の練習をするつもりが、すっかり夕方まで海で遊んでしまった俺たちであった。


「そろそろ帰りましょうか」


 小鳥遊が言うと、山田が辺りをキョロキョロしだす。


「でも、桃園さんたちがいないでござる」


 そう、俺もさっきから探しているのだが、桃園さんだけでなくミカンとユウちゃんもいない。


 ストーカーの山田ですら見失うだなんて、一体どこにいるのか……。


「あ、いたいた、あそこ!」


 小鳥遊が勢いよく走り出す。


「あ、待てよ」


 小鳥遊のあとを追って走ると、女子たちが海の家の近くでチャラい男二人組にナンパされているのが見えた。


「君たち、可愛いね」

「高校生? お兄さんたちと遊ばない?」


 そういえば原作でも、桃園さんたちが海でチャラ男に絡まれている所を小鳥遊に助けられるっていうシーンがあったっけ。


 そう思ってよくよく見ると、そこにはユウちゃんとミカンしかいない。


 ……ってあれ? なんでユウちゃんとミカンだけなんだ? 桃園さんは?


「おーい、ミカン、ユウちゃん!」


 小鳥遊が主人公力を発揮し、女子たちに声をかける。


「ちっ、連れがいたのかよ」


 小鳥遊が走っていくと、妙に物分りのいいギャル男たちがすごすごと退散していった。なんて都合のいい男たちなんだ。


「二人とも、探したよ」


「ごめんなさい」

「助けてくれて、ありがと」


 頭を下げるミカンとユウちゃん。


「ところで、桃園さんは?」


 俺が尋ねると、ユウちゃんはフルフルと首を横に振った。


「それが、途中まで一緒にいたんだけど、どこかではぐれちゃって」


「マジか」


 血の気がサーッと引く。


 桃園さんみたいな可愛くて巨乳でエロい女の子が一人で歩いてたら、それこそ男どもの餌食えじきじゃないか。


 もしも桃園さんがさっきみたいなナンパ師に絡まれてたりしたら……。


 さっきのギャル男たちは少年誌仕様だったけど、他にも青年誌とかエロ漫画仕様のナンパ師もいるかもしれない。


 どうしよう。桃園さんが無理矢理ハイエースに積み込まれて乱暴されてたりしたら! エロ同人みたいに!!


「お、俺、探してくる!」


 いても立っても居られなくなって駆け出した。


 頭の中には次々と良くない妄想が繰り広げられる。


 海で泳いでいる最中に足がつって溺れてしまう桃園さん。

 暴漢に襲われ岩場の影に連れ込まれる桃園さん。

 巨大なタコに襲われ触手責めをされる桃園さん……。


 桃園さん、どこにいるんだ!?


 海岸をひとしきり走ったあと、俺は一息ついて考えた。


 そういえばさっき「この先プライベートビーチなので立ち入り禁止」という看板を見たな。


 これだけ走っても見つからないということは、間違ってそっちのほうに迷い込んじゃったのかもしれない。


 よし、プライベートビーチの方に行ってみよう。


 俺は方向転換し、プライベートビーチの看板があった辺りへと急いた。


「あった、ここだ」


 ひょっとしたら、この先に!?


 「栗原グループプライベートビーチ」と書かれた看板の先へと進む。


 すると――。


「ああん、真夏のプライベートビーチでするのって、開放感があっていいですわぁ~ん!」


「ふふ、生徒会長ともあろうあなたが、こんな所で乱れて。生徒のみんなはどう思うかしら?」


 こ……この聞き覚えのある声は。


 声のする木陰をひょこっと覗き込むと、そこには豊満な肉体を紺のスクール水着で包んだ生徒会長と、紫のビキニを着た紫乃先生がとてもじゃないが少年誌では描写できないようなことをしていた。


 こいつら、こんな所で真昼間から何やってるんだ。


 あ、そういえば、生徒会長って栗原グループのお嬢様だっけ。ってことはここは生徒会長のプライベートビーチ!?


「あのー」


 とりあえず、俺は生徒会長に声をかけた。


「なななっ!? 何であんたがここにいるんですの!?」


 生徒会長は顔を真っ赤にすると、バスタオルで身体を隠す。


「この辺で桃園さん、見ませんでしたか?」


「桃園さん? 見てないわよ」


 紫乃先生が生徒会長の乳を揉みながら冷静に答える。


「そうですか、ありがとうございます」


 俺は頭を下げてその場を後にした。


 桃園さん、ここにもいないなんて――一体、どこにいるんだ!?


 必死になりながら海水浴場のはずれにある岩場を走っていると、ついに俺は見覚えのあるピンク色の水着を発見した。


「桃園さんっ……!!」


「はい?」


 声をかけられた桃園さんはのんびりとした口調で振り返った。


 良かった、怪我は無いみたいだ。


「どうしたんですか? そんなに慌てて」


 桃園さんはキョトンとした顔で首を傾げる。


「どうしたもこうしたも……もう夕方だから帰ろうって……でもどこを探しても居ないし、みんな桃園さんがどこにいるか知らないって言うから」


 俺は息を切らしながら途切れ途切れに説明をした。


「……俺はてっきり、桃園さんがどこかで怪我をしたか、犯罪にでも巻き込まれたんじゃないかと思って」


 桃園さんの目が大きく見開かれる。


「無事で良かった。本当に良かった」


 声に出して言うと、何だか本当にホッとして、目から涙が溢れ出そうになった。慌てて桃園さんから目を逸らし、遠くの夕日を見つめた。


「どうやら、ご心配をおかけしていたようですね。申し訳ありませんでした」


 桃園さんがすまなそうに頭を下げる。


「いやいや、いいんだよ。桃園さんが無事ならそれで!」


 俺は辺りを見回した。周りには何も無い岩場。


「ところで、桃園さんはこんな所で何を?」


「私は、この子をずっと見てました」


 桃園さんが照れたような顔で岩場にしゃがみこむ。


「このカニさん、可愛いでしょう? つい夢中になっちゃって」


 桃園さんの視線の先には、岩場に海水が溜まって小さな水たまりのようになっている場所があり、その水たまりの中には小さな赤いカニがいてブクブクと泡を出していた。


「本当だ。可愛いね」


 カニが……というより、こんなカニを可愛いと思ってずっと見ていられる桃園さんが。


「でももう、お別れですね」


 桃園さんがパンパンとパレオの汚れを払い立ち上がる。


「バイバイ」


 二人で夕暮れの砂浜を歩く。


 穏やかな波の音。少し冷たくなってきた風が、桃園さんの柔らかな髪とパレオを揺らす。


 桃園さんの白くて整った横顔に夕日が当たり、瞳がオレンジにキラキラと輝いた。


 それは、マンガで描かれたどのシーンよりも綺麗で神秘的で、どこか近寄りがたい輝きを放っていて――。


 ああ、やっぱり桃園さんはヒロインなんだなぁ、と、俺は思った。


「あ、いたいた!」

「どこにいたの?」


 やがて、みんなの姿が見えてきた。


「すみません、岩場にいたカニに見とれてて……」


 照れ笑いを浮かべる桃園さんに、ミカンが抱きつく。


「もう、心配したんだから!」


「……すみません」


 こうして、俺たちはブラブラとまたあの別荘に帰ることとなった。


 帰り道、小鳥遊が俺に笑いかけてくる。


「そういえば、さっき生徒会長に会ったよ。桃園さんのこと心配してた。優しい人だね」


「そ、そうか」


 俺はぎこちない笑みを浮かべた。


「それに、夏休みなのに学校指定の水着を着てたね。真面目な人なんだなあ」


 しみじみとした表情で言う小鳥遊。


「そ、そうだな」


 いや、あれは多分、紫乃先生の趣味――と思ったけど黙っておいた。


 人間、知らない方がいい事もある。


 こうして、海辺のひとときは終わり、俺たちは別荘で夕食の手巻き寿司を食べると再び劇の練習に戻った。


 ***


 そして楽しかった二泊三日の合宿は終わり、俺たちは再びバスに乗って帰路についた。


「見て、ぐっすり眠ってる」


 凛子先輩がバスの一番後ろの席を指さす。

 そこには桃園さんを真ん中に、右にユウちゃん、左にミカンが座っていて、寄り添いながら三人でぐっすりと眠っている。


 俺はその寝顔を見ながら、こんな日々が永遠に続いたらいいな、と心から思ったのであった。

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