第31話 ミュージカル

「これ、ミュージカルのチケット?」


 なんで桃園さんが?

 もしかしてこれ、二人で行くってことか!?


「ええ。武田くん、台本作りに行き詰まってるみたいだから、息抜きに良いんじゃないかと思ったんです」


「えっ、なんで俺が行き詰まってるって分かったの」


 桃園さんがクスリと笑う。


「だって武田くん、教室でもいつも台本広げてウンウン言ってるじゃないですか」


 ああ、そういうこと……。


 でもどうしよう、桃園さんと二人でミュージカル、見たいけど、二人きりで劇場だなんて、小鳥遊に勘違いされたら。


「ご、ごめん桃園さん、悪いけど俺、台本書くのに集中したいし」


「ダメですよ」


 めっ、と桃園さんがたしなめてくる。


「ずっと机に向かってたって、筆なんか進みませんよ。外に出ないと。良い作品を見ると、刺激を受けて筆が進むかもしれませんよ。インプットも大事です」


 インプットも大事。それもそうか。


「行ってきなさいよ、あんた、家に居たって全然台本なんて書かないじゃないの」


 ひょこっと母さんが顔を出す。


 か、母さん、今までの会話、聞いてたのかよ!


 はー、とため息をつく。


「分かったよ、今準備するから待ってて」


「はい」


 よくよく考えたら、俺は上下スウェットという格好だった。


 さすがに着替えなくては外に出かけられない。


 しかし自分の部屋で着替えをして戻ってくると、玄関に桃園さんの姿は無かった。


 あれ、帰ったのか?


 すると見たことも無いオシャレなエプロンをつけた母親が、居間から出てきた。


「桃園さんなら、リビングで待っていてもらってるわよ」


 よ、余計なことを!


 まぁ確かに、玄関でまたせるのも可哀想だけどさ。


 チラリとリビングを見ると、桃園さんが座ってお茶を飲んでいる。


 俺は桃園さんが手にしている薔薇柄のティーカップに目をやった。あんなティーカップ、うちにあったか?


「あの子可愛い子ね。タツヤの彼女?」


 母親がニヤニヤしながら聞いてくる。


「違うよ。ただの部活の友だち」


「えー、そう? 凄く可愛いし礼儀正しいし、しっかりしてて良さそうなお嬢さんじゃない。二人、お似合いよ?」


 この馬鹿。どこがお似合いだ!


 俺と桃園さんがつり合うかよ。


 母親の妄言は無視してリビングの桃園さんに声をかける。


「お待たせ。さ、行こうか」


「はい」


 こうして俺たち二人は、ミュージカルを見に出かけることとなった。


 ***


「武田くん、ミュージカルは好きですか?」


 道すがら、桃園さんが聞いてくる。


「ああ、何回か見たことあるよ」


 そういえば、では、桃学をテーマにしたミュージカル、通称「桃ミュ」にハマって何度も見に行ったっけな。懐かしい。また見にいきたいな……。


「そうなんですね。実は私も昔からミュージカルが好きでよく見ていたんです」


 うん、よく知ってるよ。桃園さんが小さい頃、劇団に入っていて子役としてミュージカルに出てたこと。


 桃園さんがチケットを見せてくれる。


「この劇団、小さいですけど実力は確かなんです。でも、チケットの売り上げが良くないらしく、駅前で劇団員の人がチケットの手売りしてたので、買ってしまいました」


 照れたように笑う桃園さん。


「一枚だけ買うのもあれかなと思って二枚買ったんですが、誰を誘おうか迷って――で、最初に頭に浮かんだのが武田くんだったんです」


 えっ、何で俺? 


「行き詰まっているときは良いものを見ると、良いものが生まれることがあるんです。だから武田くんにも見てもらいたくて」


 ……ああ、俺が台本づくりに手間取ってたからか。優しいなあ、桃園さん。


「さ、着きました。ここです」


 小さな劇場にたどり着く。

 着くのがギリギリだったせいか、席に着くとすぐに劇は始まった。


 ミュージカルの内容は、『キャッツ』を日本風にアレンジしたものだった。


 聞いたことも無い小さい劇団で知っている俳優もいなかったので期待していなかったのだけれど、桃園さんの言う通り歌や踊りは上手いし、何より笑って泣けて、思いのほか楽しめる舞台だった。


「良かったね」


「うん」


 二人でそんな話をしながら劇場を出る。


「ありがとう、桃園さんのおかげでいい台本が書けそうだよ」


「そうですか。良い気晴らしになったみたいで良かったです」


 桃園さんが微笑む。


 劇場の前で俺たちは別れ、俺は走って家に帰ると、心が満たされた情熱のままに台本に取りかかり始めた。


「よし、あとちょっと!」


 残すはラストのみ、という所まで来たところで少し休憩する。


 お茶を飲みながら休んでいると、桃園さんと一緒に見た劇の半券が目に飛び込んでくる。


 ゴミ箱に捨てようとつまんだけれど、その瞬間、頭の中にミュージカルを見ている時の桃園さんの顔が思い浮かんだ。


 まさか桃園さんと一緒にミュージカルが見れるなんて、あちらの世界にいた時は想像もつかなかったな。


 俺は半券を捨てようとした手を止め、ピンで壁のコルクボードに刺した。


 桃園さんはいずれ小鳥遊のものになる運命だけど、思い出の品を取っておくぐらいはいいよな?

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