第11話 七夕祭りに願いを―Ⅱ

 夏の風物詩といえば真っ青な空も清々しくて良い印象を植え付けられるが、僕は遠く彼方に入道雲がもくもくと延びている景色のほうが「夏らしい」画になるだろうな、と思う。

 ただ、現実世界には「五感」というものが人間には備えられているのだから、縁側に座り、風鈴の音を聞いてそれらを隅から隅まで堪能することができることを――それによって得られる癒しを――忘れてはならない。

 そしてここまでの状況を各々に想像してもらいたい。

 どうだろうか。そのままゆっくりして『最上級の時間の浪費』を味わってもらえれば幸いだ。


 では、なぜ僕がこのようなことを提起したのかというと、現に直面している状況がこれらを具現化したものだったからだ。



 「はい、しーちゃんの着付け終わったよ」

 襖の奥から声が聞こえた。同時に僕の、縁側での理想的なひとときは終わりを告げた。


 声の主の方を振り返ると、そこには、海や空を感じさせる青色に白の水玉模様の浴衣を身にまとった栞と、一本の簪を持った高橋さんが立っていた。

 何を隠そう、栞が七夕祭りに浴衣を着ていきたいと言い張ったがために高橋さんのお宅に着付けのためにお邪魔させてもらっているのだ。――それもこれも僕が浴衣や和装に関する知識が微塵もないことが仇になっているのだが。


「我ながら上手くできたからね。しーちゃん、ますますべっぴんさんになったねぇ」高橋さんはふふん、と少し自身ありげに、けれども栞のほうを一見して笑顔でそう言った。

「はい!久子さん、わざわざありがとうございました」

「いいのよ。それより楽しんでらっしゃいね。あたしらも屋台出して待ってるからね」

「おばちゃん、お店やるんだ!後で絶対行くね!」と栞がはしゃぎながら言った。

「しーちゃん、ありがとうね。特別にサービスしてあげよう!…………っと、もうこんな時間かいね。あたしも屋台のほうにいくね」

 またね、と栞が言い、続けて僕が、お世話になりました、と謝しておいた。


「それじゃあ僕らも行こうか」

「うん!」栞が上機嫌でなによりだ。


***


 提燈ちょうちんに灯が点いた。いよいよ宵の始まりだと言わんばかりにどっと人口密度が高まった。日ごろのこの商店街のもの静けさを考えると一年分のお客が一気に押し寄せているような感覚だろう。

 無論、商売人にとってはこの七夕星屑祭りは大変ありがたい一大行事であり、最も疲弊する時期でもある。サラリーマンに例えるならボーナスがもらえる代わりにその月の残業が70時間にも80時間にも及んでしまうような状況を想像する。


 「勝さん、焼きそば二つとたこ焼きひとつちょうだい!」と屋台の正面にいる小学生くらいの少年が言った。その横には彼の父であろう男が立っていた。

「こら、ちゃんと丁寧な言葉を使いなさい」

少年を躾ける親を見て「いいんですよ」と勝治さんは断ってから

「お子さんとは少しばかり仲良くさせてもらってますし気さくで良いじゃないですか。お互い知り合い同士ですし」はははっ、と勝治さんは笑い飛ばす。

 このフレンドリーな性分や強い地元愛は周囲の少年や大人までもを巻き込む力があるのだろう。この町で勝治さんを知らない人はいないといっても過言でもないほど、「勝さん」は有名人なのだ。


 「はいどうぞ、たこ焼きと、焼きそば二つだね。たこ焼き二個おまけしといたからね、お父さんと食べるんよ」と最後にこっそり耳打ちするようなところも、勝治さんらしい遊び心なのだろう。

「ありがとう!」という元気のいい声の主の少年が人熱れに飲み込まれた直後に、


 「ごめんね、しーちゃんの着付け頼まれとったんよ」という息を切らしながら近づく声に勝治さんは反応した。

「ええよええよ、しーちゃん可愛いからねぇ、ナンパでもされんとちゃうの」

「いらんこと言わんの。しーちゃんには和也くんがついてるから大丈夫よ」

「それより遼君の方が気になるねぇ」と勝治さんが呟いたとき、眼前に遼の姿が飛び込んできた。

「おっ、噂の人がきよったね」

「え?オレがですか?」と遼は見せ前で困惑しているような顔つきでおどおどしていた。

「まぁまぁ気にせんでええよ。ほら、たこ焼きでも食べるかい?」と久子さんの方がフォローに徹した。

「あの……しーちゃんここにもう来ましたか?」

「いいや、まだきとらんよ。もうすぐじゃないかねぇ」ふふふっ、と久子さんは笑みを漏らしながらそう答えた。


「そうだ、遼くん、教えてあげる」

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