第5話 少しおとなになった気分

 あぁ、また今日もか。

 遼少年わずか十一歳は今日も放課後夕暮れ時に歩調を変えることなく、「おい、明日も頼むぞ」だとか「へへっ、つまんねぇの」だのといった野次を背後にして家路を歩んでいく。

 両手には近くの商店街の八百屋のダンボール箱――の中に小さな白猫が横たえている。少年は来る日も来る日も同じ動作を繰り返していく。近所の奥様方や下校中の子供やら浪人生活の青年やらにちらちら目を向けられるが決して誰も救いの手や声を掛けてくることはない。

 だからといって少年が自身について悲観しているかというと、あまりそうにも見えない。取り繕っているだけの可能性もあるが、実際、諦めや哀れみの気持ちのほうが彼の心の大半を占めていたように見えた。


 「まぁどうせ誰もがこんなもんなんだろうな」

 ぽろっと出た彼の捨て台詞が虚空に消えてゆく。

 ただ、人間には届くこともないただの独り言であったとしてもしっかり聞いてしまっちゃうのが飼われる側なのだ。

 胸元に抱えていたダンボールから顔を覗かせる白猫――赤い斑点が毛を染め、砂埃にまみれて薄汚くはなっているが。

 「ユズに心配されてたらだめじゃねぇか……」 

 彼はまた独り言を漏らした。

 ぺろり、と頬雫をなめたのはユズだった。


 

 今朝も体調は万全だったが気分が乗らない、浮かない顔は放課後になると一層貧乏神ちっくな表情へと変化していく。

 いつものように家に帰り、いつものように消毒と包帯を巻いたユズを連れ、いつものように今か今かと待ち構えられている。「はぁ」とため息ひとつ、誰にもばれないところでついてから元気そうに駆けていく。彼なりの偽装の限界だった。

 ここでいつものように的当て大会でもするのかと思った矢先。


 「るーちゃんはお前らのおもちゃじゃねぇ!!」


 いつものように、には含まれない怒号。そこには彼らよりも少し年上に見える女の子が立っていた。ものすごい剣幕で近づいてきて、まるで女の子であることを忘れたかのように怒りをぶつけてきた。

 遼少年の隣にいた三人の仲間――ということにしておく――は「誰だよ」とか「へへっ、今日はおしまいだ」とか言いながら逃げ去っていった。

 その場に取り残された少年は呆気に取られていたが、

「私だよ。新田栞。」と彼女に名前を耳打ちされて、わかりやすく挙動不審になった。

 別に彼女にどういう感情を抱いていたわけではないのだが、ただ、学校のクラスメートだが近づき難い存在で、彼が話しかけた数日後には不登校になってしまっているのでゴースト的な不気味さを根に持っていたのかもしれない。

 そんな彼女に今どんなことを話すべきかもわからず、

「いつものことだからほっといてくれよ」と言い捨てて早めの家路についた。


 帰りながら、どんな表情をされていたか、確認したくなったが、言い捨てた以上なかなかその勇気は出ない。折角助けようとしてくれたのにな、とか雑念を抱いているうちに家の前まで来ていた。

「悪いことしちゃったなぁ」


 後悔を背に乗せていた少年だが、再会はすぐに、また、突然に訪れる。


 ――ピーンポーン

 早朝六時ごろ、不謹慎な時間にチャイムが鳴る。親も寝ていたので仕方なく遼が伺った。

 「遼、くん……」

栞だ。やっぱり一回り大きくなっている気はする。

「なんだこんな朝っぱらから」

「あのね、昨日は、急に入ってごめんね。あれ、遼くんの猫?」

「そうだけど、なんで?」

「どうしてあんなに酷いことできるの?」単刀直入に栞は突いてきた。もう誤魔化しは効かないだろう。

「あの、周りに三人いただろ?あいつらに……仲間外れに、されたくないから……仕方なかったんだ…………ユズを使うし、か……」

涙が零れそうになるのをぐっとこらえながら説明する。

 と、ここまで言い終わったところで栞が不意に角のほうへ歩いていった。失望して帰ってしまうのか、などと考えてはいたが、結局謎の青年と一分弱話しこんだだけですぐに戻ってきた。

「じゃあさ、遼くんは自分を守る為にユズちゃん?を犠牲にしてるの?それでいいの?」

辛辣である。しかしごもっともでもある。遼は何も返す言葉を見つけられなかった。一気に場の空気が硬直した。

 「でもね、」栞が先に口を開き、ようやく空気が流れ出す。「仕方なかったんだろうね。だって遼くんだもん。そんな乱暴するような真似、絶対に出来ないような性格じゃん」

ふふっ、と音にならないくらい小さく微笑んだ栞。彼女の言葉に遼ははっとさせられた。どうして彼女はそんなところまでを一瞬で確認できたのだろうか、と。

「どうし――」言い終える前に栞が言った。

「だって、遼くん、一発も小石当てないんだもん。それにそのユズちゃんに巻いてる包帯。丁寧に接してるあかしでしょ?」幼い少女に戻ったように意地悪げにぺろりと舌を見せてくる。少年は堪えきれずに大粒の雫をこぼした。

「そう……、そうだよな…………」


 なにもかも気づかれていた。でも、もうそれも意味を成さなくなる。だって。

「でもね、もういいんだよ。ユズにはもう傷ついてほしくないから。おれ、ユズを放すよ」決意の言葉だった。まるで自分自身に言い聞かせるように。これでいいんだとしらしめすように。

「うん……そう。じゃあさ、その子は私が引き受けるよ」

 どうしてそんなににこやかでいられるのか。あんなに振り絞った言葉も軽く受け止め、それでいて最善を尽くそうとしている。でも、栞に預けるのなら安心だ、という遼本人の心が少し素直になれない。

「しーちゃんは、それでいいの?ずっと見ていてくれるの?」

彼の最後の猜疑心だった。


栞はそれににっこりと応えて、

「大丈夫。二年後もかわいいかわいいユズちゃんでるーちゃんだよ」


夏風が三人の髪をなびかせた。

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