第12話

「どうしましょう。食事はちゃんとした理由がない限り欠席できないのよ。かといって全然食べなければアブデュル女史がお怒りになるだろうし…」


「アブデュル女史はあんたがあたしに食べ物を持ってきたこと、知ってるんじゃないの?」


 遥火ようかが言うと、シーアは顔を赤らめて恥ずかしそうに答えた。


「実は…サファヴィー様に言いつかったって言ったのに、アブデュル女史があなたに持って行くことを許したのは紅茶一杯と小さなクロワッサン一つだけだったの。でもわたし、厨房からこっそりパンを一山取ってきて…。今思うとアブデュル女史はお昼が近かったからそうおっしゃったのね。わたしは、わたしが『サファヴィー様のお言いつけです』って言ったのを信じてもらえてないからだと思ってたわ…。――ああ、きっとそのときアブデュル女史はお昼が近いことをおっしゃったはずだわ。それなのにわたしったらあなたのことで頭がいっぱいで…」


 ――この人って、ちょっと…なかなか…ぼけてるみたい。


 遥火は思ったが、嫌な感じではなかった。シーアは自分のために頑張ってくれたのだ。それにきっと、シーアが持ってきたのが小さなクロワッサン一つだったら自分はがっかりしただろう。


 遥火はこういう女の人はかわいいなと素直に思った。ふとした瞬間に家族や友達に感じる親しみやいとおしさみたいなものを感じて、遥火は自然に嬉しくなっていた。


 だが、当のシーアはとんだ失敗をやらかしてしまったと苦悩していた。そんなシーアがついに良い考えを閃かせたのは、一度口を閉じてから十秒もしてからだった。


「そうだわ! サファヴィー様に頼んでみましょう。あの方ならお優しいし、分かってくださってきっと無理に食べなくてもいいっておっしゃっってくださるわ」


 シーアは開いた花みたいに顔をぱあっと輝かせている。しかし遥火は、その輝き

 を消してしまうだろうことは少しも気にならなかった。即座に「いや」と告げた。


「え、どうして?」


 思った通り、シーアの明るい表情はすぐに崩れた。


「あいつにお願いしてどうこうしてもらうなんてまっぴらごめんよ! 絶対にいや


 シーアも遥火がサファヴィーをとても嫌っていることを思い出したらしい。それ以上追求せずに、しょんぼりと肩を落として言った。


「分かりました…それじゃあ正直にアブデュル女史にお話しします」


 ――きっとお叱りを受けるに違いないけれど…。嫌みだってたっぷり…。


 しかしこれにも遥火は良しと言わなかった。


「それもダメよ。シーアは別に悪くないのにあのおばさんに叱られることはないわ。それに言うのがあの人だって同じことよ。サファヴィーに伝えられて許すも許さないも、決めるのはやっぱりあいつなんだわ」


「それは…ご当主様ですもの」


「偽善者のあいつなら絶対許すに決まってるわ。あたしはあいつに許してもらうのも特別扱いされるのも、あいつの人気取りの道具にされるのもいやなのよ! いいわ、ちゃんと全部食べるから」


「それはダメよっ。無理だわ、お腹を壊してしまう…そうだわ、今日の給仕きゅうじの係の人にわけを話して、あなたの料理の量を減らしてもらいましょう。そして、それでも食べきれない分はわたしとフロンティアで食べてあげるわ。あなたの横の席には今日もわたしたちが座るでしょうし。わたし、お腹ぺこぺこなの。フロンティアだって年中そうなんだから心配ないわ」


 シーアが明るく言い終えたちょうどそのとき、再び鐘が鳴った。今度のはさっきより荒々しくてイライラしている感じの響きだ。


「いけない!」


 再びシーアが叫び声を上げた。


「もう準備時間の十分を過ぎてしまった。――みんなが待ってる。急いで遥火!」


 二人はせかせかと、なるべく音を立てないように気をつけながらも、急いで階段を駆け下りた。遥火は巨人の足音が響いたって別段構わなかったのだが、前を行くシーアの動きについつられてしまった。


 食堂は階段を下りたところに広がる玄関ホールを左に行ったところにある。シーアはそうっと、食堂の重い両開きの扉の片方を押し開けた。


 遥火がシーアの後ろから中をのぞき込むと、奥の上座に座るサファヴィーの姿が目に入った。それで胸くそ悪くなって視線を背けたところで、すぐ横のアブデュル女史のイライラした顔が目に映る。


「申し訳ありません。不注意で遅れてしまいました」


 シーアが丁寧に謝罪をして頭を下げると、上座から穏やかな声が飛んできた。


「いえ、良いのですよ。気にせずに席に着いてください」


 ――ああ、やっぱりあいつだ。


 遥火は思った。


 ――お優しい態度ですこと! またあんたの人気が上がったわよっ。


 明らかに頬が赤くなったシーアの後から遥火も、すでにほとんど席が埋まっている食堂に足を踏み入れた。


 と、シーアが横にどいて、後ろにいた遥火の姿がみんなの目にさらされたときだった。使用人たちの目が「え!」と驚きに見開かれた。アブデュル女史なんてもう顔を赤くしている。シーアはぎょっとして振り返って、さらにぎょっとした顔をした。


 ――そうだ、遥火の服! なんでか分からないけれど、昨日きたときに着てたあの服じゃない。


 シーアは真っ青になっていた。

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