第10話

 遥火ようかから布切れを全部取り終わると、シーアはそれらをかき集めて、抱えた。


「あなたの服はあとでどうにかして取ってくるわ。お願いだからそれまではかばんの中の服をまともに着ておいてくださいね。――針と糸はこれで全部ですか?」


 シーアはベッドの横の机に投げ出された針やら糸やらを見下ろして一つ一つ拾い始める。


「多分ね。他は知らないわ」


 やがてシーアがドアを閉めて、


「申し訳ありませんけど…」


 とつぶやきながら、ガチャリと鍵をかけた。その足音が遠ざかっても、遥火は服を着ないで、下着のまま布団に潜り込んだ。


 ――お腹すいた…。シーアが何か持ってきてくれるといいけど。


 遥火は布団から顔を出して、光の差し込み始めた窓の外を見やる。何しろ、いつまでここに居続きなきゃならないのか知れないのだ。


 だが、このとき遥火が予想したよりもずっと早く、軟禁は解かれた。


 まず、遥火はシーアが出て行った七時四十分から、布団に包まれたまま十時半まで、眠り込んだ。目覚めたとき、その間部屋を人が訪れた形跡は見あたらず(自分の服も、朝食も、部屋のどこにも置かれていなかった)遥火は大あくびをした。


 ――シーア、来てないじゃない。アブデュル女史かサファヴィーが許さなかったんだわ、きっと。


 遥火は起き上がり、ベッドから降りると、吸い寄せられるように窓枠に近づいた。


 ――ああ、それにしてもお腹すいた…。


 床につきそうなほど長く、白いカーテンから黄色の光があふれている。


 ――やっぱり寝起きにはお日様の光を浴び

 なきゃね…。


 それは農場で暮らしていたときからの、遥火の日課だった。今朝だって、使用人に叩き起こされたのでなければやっていただろう。


 遥火はバッと勢いよくカーテンを左右に開いた。途端に部屋が倍は明るくなった気がして、そこから十字の補強をほどこしたガラス窓が姿を現した。


 外下に広がるのは城の前に広がっていたのとは別の、城の東に広がる庭だ。前庭ほど大規模ではないが、中央の噴水を中心に色とりどりのった配色の花々が植えられ、その周りをさらにレンガ道が囲っていた。前庭のレンガが白だったが、こちらは赤茶色だ。そしてそのレンガ道をさらに、別の大きな花園が取り囲んでいる。


 建物と東庭の間には二重の垣根があったが、二階から庭を見下ろす分にはなんの妨げにもならない。むしろ、窓が頭の十センチほど上から、床まで続いていたため、今にも真っ逆さまに落ちるのではないかと思った。


 だが、良かったことなのか、それは開かずの窓のようだった。なぜなら、どこにも取っ手や引く出っ張りがついていない。


 この城の人々はあのレンガ道を歩きながら優雅な散歩にでもしけ込むのだろう。皮肉げに思った遥火だったが、はからずもその通りだった。


 遥火はばっちり目を合わせてしまった。窓から真っ直ぐ斜め下のレンガ道を歩く一人の紳士――いや、この城の当主…サファヴィー=エカチェリーナだ。


 あんまり突然のことだったので、遥火はすぐには行動が起こせなかった。行動とは、例えばカーテンを閉じるなり部屋に引っ込むなり、また、指を立ててみるなりといったことだ。


 それは相手も同じだったようだ。同じ体勢でこちらを見つめたまま固まっている。だが、少しすると、遥火はサファヴィーがその目を白黒させているのに気が付いた。


 と、次の瞬間、サファヴィーがさっと視線を外すだけでなく、あからさまに顔を背けた。遥火はいぶかしんで、視線を戻して自分自身を見つめてみる。


 ――あたしがどうかしたって…あ!


 遥火はびっくりした。そうだ、服を着ていなかった!


 今、遥火のせた身体を包んでいるのは上下の下着のみ。


 ――げぇー。


 遥火はさっとカーテンを閉めて、部屋の入り口に向かってつかつか歩いていった。


 ――だからあんなふうに顔を背けたのね! ああ悪かったわね、嫌なものを見せて! しかも全身ばっちり、さぞや目に毒だったでしょうよ。


 ドスドス足を踏みならしながら心中でそう皮肉って肩をいからせる。しかし、同じ年頃の女の子が同じバカをしてしまったときに比べれば、気にする度合いは小さかったはずだ。


 元々遥火は同い年の女の子たちほど、いや、その半分くらいしか発育というものに恵まれていなかった。背なんて、小柄と言われる子たちよりさらに十センチは小さかったし、胸もぺったんこ。腰のくびれはないこともなかったが、便秘症のため下腹がぽっこりでているので何のなぐさめにもならない。

 十歳とまではいかなくても、それに近い体型だった。実際そのくらいに間違われることがほとんどだ。だから遥火も、自分の容姿が他人をどうこうさせるような代物ではないことを知っていた。その上、家では夏はこの下着姿が普段着みたいなものだったので、見られたってそんなに気にならない。


 ――…しかし、しかしだ。


 遥火は心中でぶつぶつこの言葉を繰り返した。


 …誰でもというわけではなかったらしい…。


 ――サファヴィーに見られた!


 あの、金持ちの、鼻持ちならない潔癖の、偽善野郎に!


 遥火はほんの少し、傷ついていた。

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