第9話
誰かの足音が聞こえてきた。それは当主の席から見て正面奥の、下座の扉の向こうから、だんだん近づいてきている。
ぺたっ、ぺたっ。
足音だけですぐにこの城の者でないと分かる。
――
「ようやくいらっしゃったようです。さあテッド、扉を開けて差し上げて」
サファヴィーが給仕の一人に告げた。言われた給仕が
扉が前へ開かれると同時に、少女が一人、扉の後ろからずんずん食堂に入ってきた。
その姿を目にした順に、使用人たちは「ひっ」と短い叫び声を上げた。そうして、そのままの状態で硬直する。
それはニジェールの漠然とした予想なんかよりずっと強烈で、もっとひどい惨事だった。フロンティアとシーアのありそうな予想は外れた。遥火はもっと積極的だったのだ。カールの予想は遥火が自身のかばんを開ける前に再び眠気に襲われたならありえたかもしれない。
しかし、実際に起こったのは目の前の光景だった。
「遥火…あなた、それ…」
シーアの声は震えていた。
「そうよ。気に入らなかったから自分でちょっと仕立て直したの。都合良く机の中に裁縫道具があって。どうでしょうエカチェリーナ公、似合ってます?」
遥火は最後の言葉のとき、サファヴィーに視線を合わせて、思いっきり優雅っぽく言ってやった。途端、フロンティア、カール、シーア、ニジェールを除いた使用人すべての顔が怒りで真っ赤になった。
遥火の格好は見るもひどい有様だった。まず、遥火はあの部屋のどこにもなかったズボンをはいていた。それは、元は青く美しいロングスカートだった。それがすそから三分の二のところまで真っ二つに切り裂かれ、二つの筒状に縫われて、そこに足が突っ込んであった。しかもその縫い目が荒すぎる。波縫いの一回が十センチも取られているのだ。
薄紫色のブラウス自慢の長いえりは、普通のえりと一緒に大きく切り取られている。胸のフリルと袖のボタンは一つ残らず存在しなかった。
ブラウスの上にはダボダボの、黄色のエプロンのようなものがかかっている。それは多分、元は三段フリルのドレスワンピースだったはずだ。
「あな、あな、あなたという人は……」
アブデュル女史が椅子をガタガタいわせながらわなないた。
そんな周囲の反応にまったく関心を示すことなく、遥火はさっさと自分の席に着いた。
「さあ、早く朝ご飯にしましょうよ。朝から慣れないことしたからもうお腹ぺこぺこ」
「……シーア、後で遥火の部屋から裁縫道具をすべて撤去しておいてください。彼女にこれ以上芸術作品を作らせないように」
「ご飯ですって! あなたに朝食があるとお思いですか。――部屋へ! いえ、シーア、連れて行きなさい!! しっかり鍵もかけてくるのですよっ」
アブデュル女史の怒鳴り声はサファヴィーの言葉と少しかぶっていた。当主の言葉も聞こえないほど頭に血が
――これ以上やったら、どっかの血管がぷつんと切れちゃうかもしれないわね。
遥火はそう思って、大人しく椅子から立ち上がった。
下座の扉へ向かう遥火に、シーアが慌てて立ち上がって続いた。
そのときには右足のズボンの縫い目が一つ切れて、遥火の足はむき出しになっていた。男たちはもとより、女たちもため息をつきながら目をそらした。まったく、目も当てられない状態とはこうゆうことだ。
「本当にあなたって子は…! やり過ぎるにも程があります!」
遥火の部屋について戸を閉めると、普段はおっとりして気性も穏やかなはずのシーアが、息も荒く怒鳴った。
一方、責められているはずの遥火は、気にしたふうもなくどすんっ、と部屋の奥に置かれたベッドに尻餅をついた。
――プチッ。
また一つ、ズボンの縫い目が切れた。
「あたしの服をどっかに持って行ったそっちが悪いのよ! 今はアブデュル女史が倒れそうだったからやめておいたけど、あとで絶対サファヴィーに文句言ってやるわ」
遥火は
「この服はきっと、サファヴィー様からの歓迎と仲直りの贈り物だったのに…」
「あーらやだ、そんなに気遣いのあるご当主様は、昨日あたしがあのドレスをどれだけ嫌がってたかもご存じなかったわけね」
シーアに言われるまま両手を挙げてばんざいのポーズをとった遥火はすかさず嫌みを返した。シーアにというより、サファヴィーに対してのものだ。
シーアはそんな遥火の体から、今やただの布切れと成り果てた服を次々はぎ取っていく。
「この服も結局全部金にものをいわせてのものじゃない。だいたい、人の荷物を勝手に開けて、しかも中身をすり替えるなんて最低! ただの泥棒よ。――絶対あとで文句言ってやる」
「あとがあるといいですね」
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