第7話
呆然としていたフロンティアは
「あの…遥火? 治したいのなら小さな口…」
「違うわよ。へをなくすんじゃなくて増やすのよ。あんたの嫌がることならなんだってやってやるわ。それ――――ブッ!」
これにはもうカールでさえ空いた口が塞がらなかった。
遥火のおならの回数は本当に多くて、それから残りの食事の時間だけで五発は、みなの耳に嫌な音が残った。
「あ、そうそう」
がつがつと料理をかきこみながら、遥火は給仕の一人を振り返った。
「芋を食べたらさらに臭いがきつくなるのよね。ねぇ、コックに伝えてくれない? あたしこれからずっと芋料理を希望するって」
しかしそれから何週間も、芋がこの屋敷の食卓の上にのぼることはなかった。
遥火が城に来た初日、戦いは遥火の圧勝に終わった。ぴりぴりした雰囲気をまとってきつい目をした使用人の一人に、
「あなたの部屋はここです。どうか夜くらいは大人しくして、わたしたちをゆっくり休ませて頂きたいものです」
という冷淡な声とともに二階の奥の一室に押し込まれ、バタンッという一音のもとにドアを閉められた。おまけに、外から鍵までかけられると、遥火はふうと一息ついて部屋を見回した。
かなり広い部屋だ。一番奥の壁には窓が二つあり、その間には、奥の壁に接して大きなベッドが置いてある。それらの手前には、向かって右の壁に面して勉強机、左の壁には品の良いデザインのクローゼットと洋服タンスがおかれていた。タンスの横にはなんと、黒い大きなピアノが置かれている。普通、個人の部屋にピアノがあるものか、と思って遥火は呆然とした。遥火の元の家には個人の部屋もなかったというのに。
――ていうか、ピアノって、学校にあるものじゃないの?
あとは床一面に絨毯が敷かれているだけで大したものはない。清潔でよく整えられた部屋だった。そして今まで見たこともないくらい立派な部屋。
――ついこの間までは、このくらいの広さの部屋に五人並んで寝てたっけ。
遥火は部屋を横切り、大きななベッドに勢いをつけて座り込んでみた。驚いたことに、ボスンッ、といい音がして、お尻がはね返ってきた。なんて柔らかく、弾力があるのだろう。
「わあ!」
歓声を上げて、今度は体全部を投げだす。――ボヨンッ。これまたはじき返された。掛け布団が腕や足、顔にまで触れる。町の金持ちの屋敷で飼われていた、日に十回はくしを通されている澄まし顔の白猫の毛みたいに、つるつると滑らかだ。おまけに幼児のほっぺみたいに柔らかい。
その柄は、なんとかわいこぶりっこのイチゴ柄だった。しかもそこかしこに白いフリルが縫い付けられている。どう見ても、この優美な城に似合っていない。
遥火は掛け布団の端に寝っ転がり、片ひじを立ててその行き過ぎた模様を見下ろした。そうして、ひじをずらし、ずるっと頭を滑らせると、そのままふかふかの掛け布団の上に頭を落とした。本当にすぐ目の前に、巨大なイチゴのへたが見える。こんな布団を喜ぶ、可愛い女の子を期待していたのだろうか…。遥火は思った。頭と一緒に心まで落ち込んでしまったみたいだった。
そういえば朝の出迎えのときも、使用人のほとんどが集まっていた。アブデュル女史に言わせると「多忙」なサファヴィーだって「わざわざ」一応、顔を出した。
遥火はサファヴィーの輝く美しい姿を思い出す。さらさらの灰色の髪。切れ長で美しい青色の瞳。すっと通った鼻筋。そして完璧に形を取った口から発せられるこれまた完璧に礼儀にかなった言葉たち。次にはアブデュル女史、シーア、フロンティア、カール…。遥火の頭の中では今日出会った上品な人々の顔が浮かんでは消えていった。
――こんなものすごくきれいな人たちにあんなことが言えたなんて…! 私って、とんでもないことをしちゃったわね。
誇らしい気持ちと恥ずかしさと興奮に、足をバタつかせる。すごいことをしてしまった! 本当に、なんてものすごい台詞! 今まで思っていても言い出したことなんてなかったのに…。
――ものの弾みというやつだろうか?
ぴた、っと遥火の動きが止まった。うつぶせのまま、より目にすることでやっと、眼下一センチにぼやける巨大イチゴを
――楽しみにしていたのだろうか…。
――ひどいことをしてしまったのだろうか…?
心の中がもやもやしてきて、遥火は再び掛け布団の上をゴロゴロ転がり始めた。
――でも、やっぱり、おかしい!
遥火は心の中で叫んだ。ここはあたしの場所じゃない。
遥火は目を閉じる。
――柔らかい布団も、大きなベッドも、一人きりの部屋もいらないから…………
家に帰りたい。
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