第6話

 遥火ようかは口からフォークの先を取り出して、それをニジェールに向かって突きつけながら言い立てた。


「まず、あんたたちみんながあいつを好きだったことが気に食わないわね。あと、人の意思を無視して人の皮をむこうとするところとか、髪の毛を抜こうとするところとか、お腹を締め付けて餓死させようとするところとか」


 最後のは本当だった。食卓にのせられた遥火の主食の皿には魚が半分。お腹はまだ空いているはずなのに、きつく締め付けられているせいでもう入れることができない。


「何を言っているのよ! 全部でまかせじゃない。みんなあんたのためを思ってしたことよ!」


 フロンティアが怒ったように言う。


「あと、そうそう…でべそを笑われるとことか」


 遥火がぼそりとつぶやいた一言に、思わずフロンティアとシーアの二人は笑みを作った。


「あはは。そうね、それは悪かったわ」


「ごめんごめん」


「なんだ? おい、お前出べそなのか?」


「き、気にすることはありませんよ。そんなもの産婆が一歩間違えれば誰にでも起こりえていた惨事です」


 遥火も笑った。遥火はこの四人には憎まれ口を叩かないようにしていた。彼ら四人は他の使用人とは違い、遥火のことを好いてくれているのだ。



 笑いながらも、やはりお腹周りのことが気になった遥火は、ついに声を低くして隣のフロンティアに頼んでみた。


「ねぇ、そんなことより本当にお腹が苦しいの…。これじゃあ全然食べられなくて本当に餓死しちゃうわ。――お願い、食事のあいだ背中のチャックを下げておいてくれない?」


「でもそんなことしたら給仕に背中が丸見えよ?」


「平気よ。あたしのところに来る給仕なんていないでしょ」


「なるほどな」


 カールがニヤッとした。そう、今やほとんどの使用人が遥火とは関わらないようにしているのだ。アブデュル女史の言いつけらしい。


 ――うれしい限りだ。


「そうね。それじゃあ…あらっ?」


 フロンティアは背中のチャックに手をかけてつぶやいた。


「どうしたの?」


「ふふ。遥火があんまり丸々しすぎててこのままじゃチャックが肉をかんでしまうわ。『せーの』って言うからお腹を引っ込めてくれないかしら」


「ははっ、そりゃいいや」

 

 カールが大笑いし始めた。


「もう、そのドレスがきつすぎるんだわ」


 こう言いながら、シーアもくすくす笑っている。その横を見るとニジェールまで咳き込むようにして笑っていた。


 ――あはは…ふふふふ…クスクス…ゴホッゴホッ…。


「お黙りなさい!」


 ピシッと長机に縦にまっすぐ亀裂が入るかのように、上座のはしから下座の端まで声が走ってきた。声は、食卓上のすべてのおしゃべりをたちどころにかき消した。


 声の主はもちろんアブデュル女史だ。


「そこの五人。おふざけが過ぎますよ。それに遥火は一人で今日のことを反省すべきです。静かにしていらっしゃい」


 遥火は言い返さなかった。言い返したらフロンティアにチャックを下ろしてもらえなくなる。おまけに、これ以上ご飯を食べることもできなくなってしまいそうだったからである。


 遥火の期待通り、アブデュル女史が料理の方に顔を戻すと、フロンティアが遥火にウインクをした。そうして、片腕をそっと背中に回してくる。そしてもう片方の手の指でゆっくりカウントする。


 ――五、四…。


 遥火も腹に集中した。


 ――三、二…。


「ブ――」


 しんとした室内に突然たちあがった異様な音。食堂中のすべての人間が遥火を振り返った。ちなみにフロンティアが下げようとしたチャックは少しも下がっていない。


「あーあ、やっちゃったわ」


 遥火がぽつりと言った。腹に力を込めたらへこむ前にあれが出てしまった。


「い、今のは…」


 サファヴィーがどもりながら一番初めに声をもらした。


「へ、よ。へ」


 遥火が事も無げに返す。


「へ?」


「だからおならよ。お・な・ら。あんたもするでしょ?あたし良く出るのよね。いつもは我慢してるんだけど。いやぁ、失敗したわ」


「ははは。におうぞ。遥火」


 カールが笑い声を上げた。笑ったのはカールだけだ。


「げ、下品です!」


 カールと一緒になって笑い出した遥火の耳に、サファヴィーの普段より少し甲高い声が届いた。なんとなく怒りを含んでいるようにも思える。


「そりゃ、下品よ。悪かったわね。でも、あたし多いのよね。ずっとは我慢してられないわ」


「しかし、婦女子が、食事中に…」


 この瞬間、遥火はぴんときた。そしていいことを思いついた。


「あんたって、食事中にへをこく女は嫌いなの?」


「もちろんです!」


 サファヴィーは遥火の質問の内容よりも、その言葉遣いに怒って言った。


「ぷっ、アハッ、あははははははっ…」


 突然笑い出した遥火に、カール以外の一同はサファヴィーも含めて思わずびくっと身体をふるわせた。


「…ははは…ねぇ、ニジェール」


「はっ、な、なんでしょうか?」



 突然声をかけられてニジェールは背筋をピンと伸ばし、いつものようにびくびくと対応した。遥火相手だというのに、なぜか敬語だ。


「おならってどうやったら出るのかしら?どうやったら出なくなるの?」


 遥火のこの問いを聞いてニジェールはぱっと顔を輝かせた。彼女はサファヴィーのためにおならをする癖をなおそうとしている!


「え、ええ…それについては食べ物を食べるさいなどに空気も一緒に飲み込んでしまうことが原因です。それで体内に入った空気がそういう形で排出されようとするのです。多いということは食べ方がまずいのでしょう。もっと口を小さく開けて――」


「分かった。もういいわ。ねぇ、フロンティア、もう一度下げて」


「え?あ、はい」


「せーの」


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