第5話


 髪の毛は、全部抜けてしまうんじゃないかと思うくらいくしに引っ張られたせいで一つ残らず自分のものの気がしない。加えて、頭はガンガン痛む。気持ちの悪いシャンプーとリンスとかのせいでぬめぬめ気持ち悪いし、腹は苦しい。おまけにでべそは笑われるし、いくら綺麗になってかわいい服を着ていても遥火ようかの機嫌は最悪だった。


 そして最も嫌なのが、こんなめかし込んだ姿をあの鼻持ちならない偽善者のサファヴィーに見せるということだった。しかも使用人たちのどうぞ褒めてあげてくださいと言わんばかりの表情。そして一番先頭での登場。何度も脱走を試みたがどれも失敗に終わった。



 遥火は、今では身動き一つとることのできない状況に置かれてしまっていた。ただ一つできることといえば、あらん限りのしかめっ面でサファヴィーに自分の思いを伝えることだった。


 しかし案の上サファヴィーも使用人たちと同じ考えのようだ。すなわち、「褒めておけば機嫌もなおるだろう」という、女子供を馬鹿にした考えだ。


「これはこれは、本当にお変わりになりましたね。とても可愛らしいですよ。――こんなに美しい方と頂く食事は普段の何倍も美味しく感じられることでしょう。さあ、こちらにかけてください」


 言ってサファヴィーは自ら、自分の右隣の椅子を下げた。使用人たちはその通りですと言わんばかりに満足そうな満面の笑みを浮かべている。



 ただ、それとは対照的に遥火はしかめっ面の渋みを増していた。


 そして、自分にできることがもう一つあったことを思い出して大きく息を吸い込み、そして吐き出した。



「…なんってものすごい歯の浮くような台詞せりふ! 城の王子様ともなればそんなこと言うのもお茶のこさいさいってわけね。いい勉強になったわ。可愛いって言っとけばどの女も機嫌をなおすなんて思わないことね! 何が『美しい方と頂く食事は何倍も美味しい』よ!コックに失礼だと思わないの? だったらあたしの横で食パンでもかじりなさいよ。それでコックが作ったのと同じくらい美味しいなら手間はいらないのよ!」



 アブデュル女史が声もなく口をぱくぱくいわせた。遥火をつかんでいた使用人たちもやはり口が利けなくなった。しかも遥火にとってはさらによかったことに、同時に遥火を押さえる力も緩まった。遥火はこれ幸いとサファヴィーと一番離れた下座の椅子に飛びついた。



「あたしはここに座るわ。…ととっ、いや、ダメね。ここ、あんたの顔がまん前じゃ気分が悪くなっちゃう…。こっちに――」


 遥火がその右の椅子に手を伸ばしたところで


「お黙りなさい!」


 という怒鳴り声とともに、アブデュル女史の鉄拳てっけんが遥火の脳天を直撃した。


 よって、食事はすさまじく張り詰めた雰囲気の中で開始された。アブデュル女史の

「こんな娘を当主のおそばで食事させるわけには参りません」

 の一言で、遥火には幸運なことに、まさに希望通りの席で食事を取ることができた。サファヴィーの顔を見ずに済み、その上、彼から二番目に遠い席だ。



 特別の理由により参加できない者以外、使用人たちは全員、三度の食事を共にすることになっている。席は遥火のものも入れて三十弱あった。参加できない者には、コック、その時間当番である門番、給仕の当番になっている使用人などが含まれる。



 十数メートル離れた向こう側ではアブデュル女史がサファヴィーに必死になって何かを訴えている。遥火を引き取ることを考え直すようにという説得だ。しんとした食堂中に響いている。



 一方、こちら下座ではフロンティア、シーア、カール、ニジェールなど遥火を取り囲む使用人らがぶつぶつ言いさとしていた。



「まったく、あんたはどうしてそうサファヴィー様を嫌うのよ。あんなによい方なのに」 



 と、フロンティア。背の高い金髪美人で、遥火を風呂に入れた使用人の一人だ。



「そうよ。それに、とってもかっこいいじゃない」



 と、これはシーア。茶色の巻き髪の可愛い雰囲気の使用人で、お風呂のときも着替えのときもくるくるとよく働いていた。



「よい方だとは思えないから嫌うのよ。それにあたし、あーゆー顔大嫌いよ。金持ちも。絶対苦労を知らないわ」



 遥火は給仕が運んできた皿に乗っているものを次から次へと口に放り込みながら澄まして答えた。どうせ明日か今日の夜には追い出されるのだ。今のうちに食べれるだけ食べておこうという心づもりだった。



「またそんな憎まれ口を叩きやがる。だが、まあそこが面白いんだが。――俺も見たかったぜ。お前のその言い回しを聞いたときの当主の顔を」



 遥火と同じくらい食事にがっつきながら、大いに笑ってこう言ったのはカールだ。カールは朝、庭の途中まで遥火を送ってくれた門番で、城中の人の中で唯一遥火を変な目で見なかった男だ。彼は遥火の評判を聞き、自分の当番の時間帯が過ぎるとすっ飛んできた。そうして、服を無理やり着せられていた遥火の話し相手になってくれていたのだ。



「カ、カール、そんな言いかたは控えなさいといつも言っているでしょう。――それにしても本当に遥火、この屋敷の何が気に入らないんです?」



 気の弱い秘書のニジェールが訊いた。遥火は最初彼のことを執事だと思ったが、聞いたところによると、サファヴィーの仕事の秘書らしい。フロンティア、シーア、カールの三人よりかなり年上のようなのに、始終おどおどしていて落ち着かない。

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