第2話

 おどおどした感じで、白いレンガ道を進んでいく執事の背中をめつけながら、遥火ようかは思った。そりゃあ、自分の格好は汚い。こぎれいな執事と比べればなおさらだ。いや、もしかしたらもといた村の子供たちと比べてみてもひどいものかもしれない。元々風呂嫌いな遥火ようかは、村を出て以来三日間、風呂に入っていない。服も、出掛けに村の人にもらったいくらかましな新品の方は寝苦しいので、着替えていつものに戻している。



 靴なんてもともと履くことがほとんどなかった。だから、今の足の大きさより二センチも小さい、棚の奥でほこりまみれになっていたものをかかとを踏んではいている。


 髪はもつれているだろうし、顔に馬車でうとうとしたときに押し付けた椅子の跡がついているかもしれない。よくよく考えると随分ずいぶん勇気ある格好だ。金持ち家の上品な使用人にしてみれば逃げ出してしまわないだけ礼儀を守っているのかもしれない。



 遥火がそうやって自分の格好を一つ一つ並べ立てている間に、城はもうすぐそこに迫っていた。道脇に定期的に植えられた樹木と花々の列が途切れ、レンガ道が広場に合流する。城の入り口らしき青色の扉へ続く階段まであと五メートル。遥火は再び、ごくりとのどを鳴らして心の準備をした。あの中にはこのキラキラまぶしい執事よりも綺麗な服を着た、金持ちたちがいるのだ。



 コツ、コツ。執事の上品な足音の後ろをペタペタと、なんとも間抜けな音を立てながら遥火が続く。カツンッ。執事の足が止まった。執事の足が上下にと動く様子だけをじっと見つめて歩いていた遥火は、つんのめりそうになったがなんとか堪えた。その遥火の頭の上でシャリン、シャリン、とガラスの擦れあう優雅な音が鳴る。執事が扉の横に備え付けられたベルを揺らしたのだ。



瀬戸せと遥火ようか様をお連れしました」

「どうぞ。お入りなさい」



 扉の内から女の声がして、執事が遥火しか見ていないのに扉にうやうやしく礼をして、扉を開けた。開けると、執事は一歩脇に退いてしまい、遥火は戸惑った。目の前にオレンジ色の光が長方形に浮き上がっている。扉の向こうの光だ。自分に、中へ入れということだろうか?



 遥火はドキドキしながら、またぺたぺたと足音を鳴らして入り口をくぐった。すぐに後ろから執事が入ってきて、後ろで扉が閉められる。遥火は目の前の光景に目を見張った。心の準備をしておいたのが幸いだった。でなかったら口をだらしなく開けてしまっていただろう。



 遥火の目に真っ先に映ったのは、ばかでかい階段の手すりだった。玄関ホールのど真ん中に鎮座するそれは、真珠のように光沢のあるクリーム色をしている。階段の上部から、赤い絨毯が流れるように湾曲しながら敷かれていて、遥火の一歩前まで続いていた。



 そして、遥火が最も驚いたことには、その赤い絨毯じゅうたんの左右に立ち並ぶ人々が、一斉に遥火に向かって頭を下げたのだ。


「ようこそエカチェリーナ家へ。お嬢様」


 大いに驚き戸惑った遥火だが、人々が顔を上げた次の瞬間には、そんなことも忘れてムカッと眉根を寄せた。顔を上げたどの人も遥火を見て驚いた表情をしたのだ。そして、一人をのぞいて全員が、すぐにその表情を押し隠そうとした。うまくいったものはなかなかいない。苦笑いを浮かべているようになってしまったものが多い。対して、右の一番奥にいたおばさんはそんなそぶりも見せない。遥火を見て凍りついた表情を今でも元に戻せていない。よほどショックだったのだろうか。



 長く感じた数秒の沈黙。それは上から聞こえたコツコツという足音で破られた。遥火は足音のする方を仰ぎ見た。並んだ人々は誰も振り向こうとしない。きっと誰だが分かっているのだろう。その人物はあの光沢のあるクリーム色の大きな階段を一段一段下りていた。高価そうなキラキラした服。しかしそれは明らかに執事のそれではない。歩き方も執事とは違う。きびきびしていて、階段の真ん中を通ってくる。執事ならはしを通るだろう。そして、次の言葉で確信した。



「ようこそいらっしゃいました。瀬戸せと遥火殿。私はサファヴィー=エカチェリーナと申します。この屋敷の当主です。また、今日からはあなたの後見人もつとめさせて頂きますので、どうぞお見知りおきください」


 間違いない。確定だ。だって自分で言ったのだから。


 遥火は、馬鹿みたいにサファヴィーの顔を見つめながら思った。この人が一番偉い人。当主だ。


 頭がくらくらした。サ・ファ・ビ・―・エ・カ・チェ・リ・―・ナ。なんつういかめしい名前!自分はたったのセ・ト・ヨ・ウ・カなのに。しかもサファヴィー=エカチェリーナは名前だけでなく外見までも豪華な城にぴったりだった。すなわち、見るからにさらさらの、肩にかかる灰色の髪。歳は二十歳前半だろうか。今まで見た人の中で飛びぬけて整った顔。


 ――王子様だ。


 しかも今の話ぶりから察するに、中身まで王子様のようだ。

 遥火は同級生の女の子たちと男子の好みが一致しない子だった。しかし、このまま何事も起こらなかったら、いくらそんな遥火でも、恋に落ちていたかもしれない。


 しかし、またしても、信じられないものを見るような驚きの色が、今度はサファヴィーの瞳に現れたのだ。それを、遥火は見逃さなかった。ここまで来ると遥火の不快数値も限界を超えていた。そんな表情を見せなかったのは門番だけじゃないか。他はどいつもこいつも人を化け物みたいな目で見やがる。しかももっと不快だったのは、ほとんど全員がその表情を押し隠そうとすることだった。確かに自分の格好は汚い。だったらずっとそういう目で見ればいいではないか。その表情を押し隠すのは、赤い絨毯じゅうたんの左右に並ぶ人々よりも、執事よりも、この当主が早かった。よってここにおいて遥火が最も嫌いになったのもこの顔と言葉遣いの良い当主だった。


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