第6話

 いっしょに寝てとお願いをしたら、彼女は一瞬だけ難しい顔をしたけれど、ただ抱き枕にされて寝るだけならいいですよといってくれた。倒れて以来、なにかとおねだりを聞いてくれるようになったなと感じる。


 ごはんを作ってといったら料理本をたくさん買ってきたり、適当にシャツ一枚をひっかけた格好でうろついてたら、毛布やひざかけを持ってきてくれたり。


 ずっと彼女のことを甲斐甲斐しく大切にしてきたつもりだったけれど、蓋を開けてみれば年下の彼女はとても面倒見がよかった。そういえばお姉ちゃんなんだっけ、ということを思う。


「いいこにして待っててくださいね」


 ほっそりとした指が髪をひと房、耳にかけた。彼女が目を細めて、やさしい微笑みを浮かべる。見惚れて、うんと子供のような返事しかできなかった。


 夜が深まりあたりは暗く沈んでいた。開け放たれた向こう、キッチンから漏れる蛍光灯のオレンジ色だけが光源だった。


 彼女はカウンターで、明日の予定を手帳に書き写しているのかもしれない。ぽつぽつと聞こえてくる物音の穏やかさに、ほうとため息をつく。


 しばらくしてすべての電気を落とし、暗闇の中、手探りでベッドのふちを探しに来た彼女へと手を伸ばす。腕を取り、あっさりと俺に引き寄せられた彼女を布団の中に入れてやる。


 ぎゅっと抱き締めると、あごの下で彼女の頭が窮屈そうに身じろぎをした。それさえもいとおしくて、髪にひとつ、キスをする。


「おやすみ」


 目が覚めたとき、腕の中に彼女はいなかった。代わりに卵の焼けるいい匂いがしていた。ゆるやかに起床してスリッパをひっかける。


「おはよう」


 そういって俺を出迎えたのは彼女ではなかった。よく行く店の、よく夜遊びをしていた女のうちのひとり。


「なん、で」

「奥さんが入れてくれたのー。なんでも数日間家を空けるとかで」


 女はにっこりと微笑むと、視線を手元に落とした。見慣れたエプロンを違う女がしている違和感に、ひどく頭が混乱して、今にも悲鳴をあげそうだった。


「あなたからいきなり自宅まで来てほしいってメッセージが来たときは正直どうしようかと思ったし、行ってみたらいるの奥さんだし、心臓止まっちゃうかと思ったけど、なんかあなた最近倒れたんだって? それであまり見かけなくなってたのね。で、ひとりにするの心配だからってとりあえず履歴の一番上にいた私に連絡したんだって。はい朝ごはーん」


 女のいうことのほとんどが音の奔流となって、単語の意味を聞き取ることができなかった。


 食卓に、ワンプレートに盛り付けられたパンケーキが並ぶ。果物とメイプルシロップの鮮やかなそれと、付け合わせのサラダとベーコンエッグの色彩は作り物のようだった。


 きゃーきゃーと楽しそうに女が写真を撮っているあいだ、俺はこんなプレートが家にあっただろうかということに呆然としていた。このランチョンマット、このフォークとスプーン、このティーポット。現実がひとつずつ塗り替えられていくようだった。


 身を屈めてシャッターを切っていた女が、ふと視線だけで俺を見て、勝ち気そうに口角を上げた。


「あの可愛い奥さんは、あなたと私の関係を知っているのかしら?」


 誘うように、逆撫でするように、黒いアイラインの引かれた目が細められる。それは一瞬のことで、女はまたすぐに撮影に熱中し出した。


「やーんすごくかわいくできた。朝ごはんにするのもったいないくらい。シャンパンとか隣に置きたいな」


 はしゃいでいる女が、さあ早く食べましょ? と席についた。まるでこの女と住んでいたかのように、向かい合わせに座り、いただきますと手を合わせた。

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